以前、書きましたが「大図」は36.000/1の縮尺で運動場のコートの大きさが必要な
程の大きさとなりました
「中図」は216.000/1
「小図」は432.000/1
で作られています。
その他、様々の大きさの副本があったと伝えられていました。
隠宅から幕府の暦局へ通い始めた頃に、世界地図を
書き写したものと記録されています
伊能忠敬は家督を譲り、隠居に入ると江戸に居を移しました
隠宅から幕府の天文方御用屋敷(暦局・司天台)へ通うのに
実測をして緯度を出したとあります
隠宅は東京にお住まいで無い方には、位置関係がはっきり
しないないかも知れませんが、門前仲町の近辺地図を見て
頂くと浅草橋の近くであったのが分ります。
昨日、誤ってアップしました
本日は同じものを、隠宅の位置を図示して伊能忠敬の歩いた
所をご確認ください。
左図は
黒江町浅草測量図
測量開始前に緯度1分の距離を計測する為、隠宅と
暦局の間を測ったと考えられる測量図。
深川黒江町(門前中町)の隠宅から清澄通りを北上。
吾妻橋を渡って、浅草観音の二天門を本堂まで進む。
仲見世を通って江戸通り(旧奥州街道)へ出て、天文
方御用屋敷(暦局、司天台)両国橋、清澄通りを経て
帰宅する。
(伊能忠敬記念館蔵)
右図は
黒江町測量ルートの現況
現在の地図上に黒江町浅草測量ルートを再現した。
第1次測量に対し、御沙汰書が出ました
これで、各藩に対しての協力が得られます
宛先名は「伊能勘解由」となっています
伊能忠敬は50歳から19歳年下の高橋至時(よしとき)に測量を学んだ
今から210年前に55歳の伊能忠敬は第一次測量に東北から蝦夷【北海道】西別まで出発
その後、10次測量(71歳)迄の日本地図は大図・中図・小図の3種類があり
この他に特別な縮尺図があると、相模女子大の鈴木純子講師は書いています
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2010/09/04 第六十回
民主党の代表選挙で菅・小澤の両氏が立候補を表明。日本の財政を立て直す議論は「仕分け」ではそれ程の効果は出てこなかった。ただ、これまで密室で同類項の人種が行ってきた事を国民の面前で行われた事に意義があった。
高級官僚の二次・三次就職口(天下りの語彙に非常に嫌悪感を感じます。誰が【天】と決めたのでしょうか?)の手前味噌には呆れてしまいます。
ところでこの国の財政支出の多くは「補助金」の支給に使われ、これを実施する為の公務員はどの位の人件費を使っているのでしょうか。農政・漁業・建設業・交通機関・子育て支援・教育などなど。自立が出来る人や機関にも一律に補助をする。これって、国民の自立心を殺いでいると感じます。
江戸末の日本で活躍した英人「アーネスト・サトウ」の日記抄(荻原延壽著)の七巻 「江戸開城」315ページに戊辰戦争の奥羽列藩との戦場の負傷者を治療に当った英国領事館付医官「ウィリス」の文章にこれまでの高級官僚の源流を感じました。
『ところで、わたくしの不安は、日本のすべての役人の生活の底にはひとつの病根が巣くっているのではないか、ということである。それは公金の不正な使用と、公的な信用を私的な利益の為に悪用している事を指している。』(文書九)当時の公使パークスに宛てた報告書です。ウィリスが東京へ戻ってからの覚書に「私が見通したところによると、どんなに悪く考えても共有財産とみなされるべき公金の使用に関して、日本人には名誉心と正直さが情けないほど欠如しているように思われ・・・
日本人のはなしでは、公金の三分の一が間違った目的に使用されているという。あたかも公金の管理と責任をまかされた日本人は、だれもがただちに自分に寄せられた信頼を裏切り始め、計画的に公金を私的な利益に転用し始めるかの如くである。」この後、ウィリスはようやく敵方(賊軍とされた会津軍)の治療費を占領当局より支給された顛末を見て書いている。二本差しが三人で書類を偽造し、懐へ入れる状況に我慢がならなかったようである。この二本差しは「日本ではどこでも行われている慣行である。」と云って弁明した。と覚書に書いています。150年前の幕末とは言え、今日の高給公務員の状況にはこのような伝統と源流が未だに脈々と伏流水の如く流れてDNAを受け継いでいる感がします。
昨日の画像を別視点で拡大して見ました
これをご覧になると、日本地図と判断できると思います
屋内総合体育館のフロアーを使った展示会
勿論、この市営の体育館は公式のバレーボール
大会やバスケットボールも行われます
この床面を使った展覧会が旧盆に行われました
はて、何の展覧会でしょうか
明日以降、数回にわたってアップ致します
海岸まで、自転車で走った
早朝ウオーキングも、たまには自転車に跨って
坂道に汗し
遥か沖合をタグボートに引かれた台船が大型クレーンを載せて
この時間に、ここまで来るのには何時に段取りをし、出港したのであろうか
一般のサラリーマンや官庁の職員は、ともすると寝床に居るかもしれない
現業や、現場の人々が汗水たらして働いている
この人々に、報いる社会が・・・・
2010/08/21 AM05:55
これまでの商店街はどちらかと云えば、ファッション関連の
業種が多く、集まる人々の層が偏っていた
このお店はこれまで縁の下の業界で、馴染みのない業種である
「古町 糀(こうじ)製造所」
冷たい糀を生かした飲み物を提供しているようだ
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ