毎日、盛夏の晴天が続いています
全国各地で、猛暑日
昔のなぁーんにも無い、真夏を思い出します
勿論、エアコン・洗濯機・冷蔵庫・自家用車等々
それらの生活を体験して育った人にとっては、我慢の出来る世界です
左側の尖がった先端の高層ビルディングの場所には江戸時代、
牧野藩の奉行所がその後、徳川の直轄地となり、同じく奉行所や
役宅があった場所です
現在は市が運営する集合商施設
恐らく、税金の垂れ流しでしょう。市民に殆ど公表せずに運営を。
誰も責任を取らない「スーダラ節」の世界
中心街の地盤沈下が全国の都市に蔓延しています
地方の県でただ一紙の地方新聞
校正やタイトル・記事には地方色(お粗末な事)が多々あります
競争が無いために、驕りが感じられますが中央紙に切り替える
のは困難です(止む無く購読)
ITの時代に、それなりの目算で新築を街中に
近辺には国の機関が統廃合・移転で空き地だらけ
さて、お手並みを拝見します
昨年末にLAに4日間滞在し、毎朝ウオーキングを1時間以上していました
とあるビルディングに彫刻が飾られ余り見かけない文字が刻まれています
多分、イスラエルの文字かと考えましたが、分かりません
すっかり取り壊されて、陰も形もない「旧市役所」
それを復元し、歴史博物館としています
その歴史的な経過は分かりませんが、外観を模して
建設されました
恐らく、建てられた経緯や設計者。何故取り壊されたか
等の記録は皆無でしょう
以前、明治期から昭和の初めに私学校を経営していた
「S」氏が私立図書館を持ち、その蔵書3000冊近くを
市に寄贈。現在その記録を探していますが、その寄贈
蔵書の存在が分かりません
勿論、寄贈の経緯についての記録も
杜撰な役所の体質です
USAのスミソニアン博物館のような、情報を網羅した保存
体質がわが国ではありません
お粗末の一言です
日本海側では、11月から翌年3月末までは北風が吹き荒れ
北前船は帆走が出来ません
そこで、浜辺に船を引き上げて春を待ちます
その様子を江戸末に転勤族の奉行が描かせたものです
「囲い船」といいます
船の下に竹を敷いて、コロにしています
拡大すると人間の表情まで読み取れます
コメント蘭にはそれを引いている人夫の様子が描かれています
江戸時代を代表する戯作者 十返舎一九の「滑稽旅烏」の一齣に
越後の女性が良く働くと書いています。
滝沢馬琴は北越雪譜の作者、「鈴木牧之」に一九との交流にこのような忠告をしています。
一九は
「但し、文人のかたには遠し。学者の方にはいよいよ遠し。天晴れの戯作者に御座候」
「あまり戯れた(たわむれた)る草紙に、はじめより貴名流布いたし候へば、世の人
真の徳行をしらねば只書のうえをのみ見て、牧之といふ仁は、ひたものたわぶれたる
浮世人也とのみ思うべく哉」
30軒ほどの住宅が海岸に沿って建っています
この住宅地に近付くには国道から私有道路を通らないと
なりません
通行にはゲートがあり、住民と許可者のみがそのゲートを
開ける事が出来ます
それ以外の通路が無い為に、海岸部は一般人が入る事が
出来ません
国民の財産である海浜に、近付くことが出来ない
不思議な現象があちらこちらに存在します
うっかり空き地と思って入ると、殆ど私有地のため気を付けないと
銃砲が飛んでくる恐れがあります
国際線が「羽田」から発着をするので、地方から国際線を
利用するには、「成田」は余りにも交通の乗り継ぎが大変です
今回、サンフランシスコへ羽田からのJALを利用してみました
この会社は、殆ど「死に体」となった事は、周知の事実です
一時は「親方日の丸」でお金は天から降って来る、地から湧いてくる
意識が今でも根強いと感じます
飛行機の座席ランクは、一般的な言葉を変えて、プレミアム・
プレミアムエコノミー・エコノミーとなっています
上から二段階は特別扱いで、空港施設にfreeの食堂が設けられています
その施設の中に、プレミアム専用の部屋が
他の航空会社の向こうを張って、経費を使う姿勢は相変わらずですね
港に係留された消防艇
あまり活躍はして欲しくありませんが、船火事の
時には頼りなる船です
2~3日前の天気は、久し振りに綺麗な青空を
見ることが出来ました
数十年前に立てられた、展望タワー
100mの高さが売り物でした
しかし、地方都市にも100mのビルディングが
建ち、魅力が薄れたようです
回転する展望リングはお客がいなくて、止まって
います
2011/09/27
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