黄葉の始まった街路樹越しに、洋風の建築物が建っている
遠目に見ると、一瞬USAかヨーロッパの風景と見まごう景観である
和風の建物でも、景観を考えて建てられると日本の風景も捨てたもの
ではないと思うが、回りとマッチした風景には中々出合わない
大理石に覆われた階段状のファーサード
一番上にパネル状のオブジェが山の緑を借景にして設置されている
上に昇るには足の不自由な人には大変だが、裏側にエレベーターが
用意されている
色づき始めた樹木を背景に「日・独」の国旗が翻っている
バウハウス・デッサウ展を開催している美術館で
秋色が両国の国旗を際立たせていた
会期終了間近に、バウハウス・デッサウ展へ行ってきた
バウハウスの名前と概略は知ってはいるが、詳細は分からない
説明パネルを読んで、見た事のある名前は
イギリスの「ウイリアム・モリス」
この人の思想と啓蒙を受けてバウハウスは設立されたようだ
初期の教授に「ブルーノ・タウト」がいた。
教官に「パウル・クレー」「カンディン・スキー」が載っている
その他の名前は分からない
展示作品も試作や教室での製作物が多い
難しい展覧会であった
※ブルーノ・タウトは在日した事もあり、高崎に庇護されていた
時期がある。トルコで客死した
小さなこの町は、交通機関の発達していない江戸や明治には
川を使った交通の要衝でした
遠い親戚の話として、明治の初期に女学校の寄宿舎に生活を
していた女学生は船便で帰省したとのこと
恐らく、その女学校の一期生位のお話です
その実家は醤油・味噌の醸造を家業として今も続いています
表通りに面した間口の広い格子戸にその面影を残しています
あちらこちらを歩き回り、そろそろお昼の時間となった
料理屋も沢山あるが、昼から豪勢な会席料理は懐が許さない
はらこ飯(醤油漬けのイクラ)と海鮮丼
流石に鮭料理が多く出る
この武家屋敷は丁度、藤沢修平の「海坂藩」の舞台を髣髴と
させる雰囲気を醸し出している
母屋は生憎、修復中であった
保存されている武家屋敷の冠木門は茅葺きである
内部から天井を見上げると、釘は使わず細紐で結わえてある
出来るだけ当時の状態を保存している
飾り方は各家庭やお店で自由に任せられ、人形や大皿なども
展示している
有田焼が多く見られるのは、江戸時代の廻船による物流が
影響していると思われる
「屏風まつり」
この期間は多くの町屋で所蔵する屏風・掛け軸を展示し
一般公開している
それぞれの自宅や店舗に飾り、応対をして
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