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  • 2025/03/04 朝の随想

2025/03/04 朝の随想

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 真夜中に寒さを覚え、毛布を重ねて再就寝。目覚めは5時過ぎ、早いのでウツラウツラと過ごし、。起床は6時過ぎ。6時32分西跨線橋手前。外気温度は1℃。遅いのでJR高架脇の側道を歩き帰宅は6時45分。軽体操終えて部屋へ。
 
 昨日の夕刻NHKTVで面白い報道を。群馬県桐生市に「冥土カフェ」が。白いエプロンと白い髪飾りを付けた60歳過ぎの「メイド」さんが応対。秋葉原の「メイドカフェ」をもじった作戦。
 これを見て、狂った爺(翁)は早速「沖縄・読谷(よみたん)」から引用し、「黄泉譚(よみたん)」を思い浮かべました。
 「黄泉譚(よみたん)書房」と銘を打った古書店を開こうと。遊び心が人生を楽しくします。

 コロナ禍で三密(密閉・密集・密接)を避け、換気、マスクの着用、手洗い消毒を徹底した
生活が人々を委縮させました。
 さて、仏教でも三密があります。
 仏教の三密とは、身密(行動)、口密(言葉)、意密(心)の三密です。日常生活においてこの身口意に意識を向け調えていく実践が大事です。お釈迦様の最期のことばといわれる『遺教経』の一節に「教えの要は心を修むるにあり」とあります。
 その言葉に続くのが「己に克たんとつとむべし、身体を正し、言葉を正し、心を誠にし、常に無常の理を忘るることなかれ」と説かれ、まさに諸行無常のことを認識しつつ、煩悩(欲)に振り回される自身に打ち克ち、三密(行動・言葉・心)を正していく実践を説くのが仏の教えです。
 また、『懺悔文』にも「従身口意之所生 一切我今皆懺悔 (身、口、意によって生ずるところのもの、すべて我いま皆懺悔し奉る)」においても身口意を懺悔していくことの大切さを説きます。
 臨済宗妙心寺派の「生活信条第一」に、一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょうとあります。「三密」である身口意を調えていく点が、身(身)と呼吸(口)と心(意)と合致します。このことを実践すれば坐禅ということになります。「一日一度は静かに坐る」先行きが不透明な不安な時期だからこそ身体と呼吸と心を調えて「静坐」を自宅の部屋で実践しましょう。静かに坐ると心が落ち着き、正しく物事を判断する心が養えます。
 「静かに坐る」の「静」の漢字を分解してみますと左右それぞれ「青」と「争」です。現代人の心はかさかさに渇いて荒廃しています。今の季節ですと私自身も坊主頭の頭皮や顔面の肌もかぴかぴになり肌が荒れてきますが、保湿液を肌に浸してみると、しっとり潤いハリのある肌でゆとりがでます。皆様も心が荒れてきたなら、ちょっと立ち止まってゆっくり坐り、心にしっとり潤いを与えてみましょう。水の象形文字であるさんずい偏「氵」を左に加えると「清」「浄」になります。『臨済録』の「仏とは心清浄これなり」とあるように、渇かない心は、清浄なる心であり、仏の心であり、禅の心であります。
 
渇いた心に泉が涌きでる、禅の「おあしす運動」を紹介します。
 「お」おかげさまと感謝して (報恩奉謝(ほうおんほうじゃ))
 「あ」ありがとうを心を込めて (無常無心(むじょうむしん))
 「し」静(しず)かに坐り、心を清浄にして (静坐清心(せいざせいしん))
 「す」勧(すす)んで共に、歓んで手をあわせましょう (勧共歓拝(かんきょうかんぱい)
 お釈迦様が悟られた菩提樹の下にて静かに坐って悟りを開かれたお釈迦様の心を追体験し、静坐して仏の心に一歩でも近づいてみませんか。大恩教主お釈迦様の悟られた内容の根幹は「諸行無常」~この世にあるものはすべて移ろいゆくものである。そして「縁起」~相互依存によって成立しているという教えがあります。煩悩やコロナウィルスもいつまでも同じ状態ではないはずです。身口意を調え清らかに、しっかり自分を見つめ、感謝を忘れず、今ここを大切に、お互いに手を合わせながら支え合って過ごしましょう。
口業・・・妄語 綺語 悪口 両舌
松雲寺 住職 柳原好孝
 
 朝から堅い言葉を。明るく元気に楽しくスタートしましょう。

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