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歴史の一齣

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歴史の一齣
この小祠「明石堂」
由来を読んで、歴史の重みと当時の
人の流れや、勉学に勤しむ住民を
知りました

堀次郎将俊 播磨 明石藩士の家に
生まれる(元和6年 1620)
浪人となりこの地「小千谷 山谷」
にて村童を教えていた
延宝7年 1679 没
当地の織物に新たなる技法を考案
指導した
これを讃えて嘉永元年 1848に建立
された小祠である
と書かれています
内外に精巧な彫刻が施されています

当時、瀬戸内の地から雪深いこの地まで
どのような経路と苦労をしながら辿った
のかは想像を絶するものがあります
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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2010-11-14 14:38

先人の努力と工夫・・・。

いまの日本人には失われてしまった気がしますね・・・。

すっごい彫刻ですね・・・!!

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2010-11-15 06:19

今から約450年前に、どう云った経路を辿って
移動したものでしょうか

豊臣政権から徳川に移行した際、改易や減封など
大名や家臣がそれに伴い、浪人や移動を
余儀なくされた時代です

上杉家は現在の上越・春日城から会津の地へ
家族や家臣全てが移動しました
但し、農民は移動禁止です
中には武家が農民となり、移動を拒否した
家族があったそうです

この堀次郎将俊はどう云った経緯で小千谷に
移動したのでしょうか

この近辺の寺社には彫刻を施したところが
多く見受けられます
有名な彫刻職人は「雲蝶」と云います

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