記事検索

Slow Life & Trips

https://jp.bloguru.com/wabysaby

万葉仮名で

1 tweet
スレッド
万葉仮名で
良寛禅師は故郷に戻ってからも、古今和歌集や万葉集を盛んに勉学しました
万葉仮名で書いた句や歌が沢山あります

「堂久保登盤  閑勢閑 毛天久留  於知者可難」
「たくほどは  かぜが  もてくる   おちばかな」

『焚く程は
      風が 持てくる
              落ち葉かな』

秋の一日、心地よい汗と疲労感を味わいました。
#健康 #美容

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
コメントの投稿にはメンバー登録が必要です。
ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ
KUMA
KUMAさんからコメント
投稿日 2010-10-07 07:44

京から遠国とも言える、越後や美濃でも、この類いの教養と学問が盛んだった事に驚かせられます。
岐阜県の大和村(現在は郡上市)は、古来「古今伝授の里」と呼ばれていたようですが、かなり山深い辺境の地です。

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2010-10-07 17:06

最近、歴史を齧ると「古文書」に行き当ります

これを読解出来ると、幅が広がるし検証できると
考えています

地方史でも、これらの資料が豊富に存在しその中に
これまで認識されない歴史観があると思います

「網野義彦」氏(故人)はまさにこれを如実に
行ってきました
但し、以前に書きました「官学」の輩は己の地位が
おかしくなるので、認めようとはしません

日本社会は「東大」「京大」「一橋大」などの
「閥」が幅を利かせ、野の人材には歯牙もかけない
構図を保守しています

政治の世界も同じですね

民俗や風俗の本で、縄文や弥生時代の発掘物が
現在の文明時代とは相当異なった場所が交流の
拠点であったと書いてあります
現在の物差しでは測れない、人類の移動や交易が
存在したと思います

ところで、昔エンジンの無い頃の移動は海・川・湖
・潟の運が多く、これが先回書きました
「津々浦々」や「興味津々」に残滓が見られます
川運は「筏」や「薪」は流し放しで良いのですが
「舟」は元へ戻らなければなりません
この事はあまり、研究対象にはされていません
海運も同じですが

長文、ご容赦!

ワオ!と言っているユーザー

KUMA
KUMAさんからコメント
投稿日 2010-10-07 17:12

川運での船舶の遡上は、船引人夫と風(特に北西風)の利用とにらんでおります。
近郷の木曽川と、伝え聞いた紀の川のみの情報ですが・・・・

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2010-10-07 17:30

仰る通り
川運では綱を引いて遡上

明治初期に日本の東北地方を回った「イザベラバード」は
津川から新潟へは8時間程で下った
但し話では
戻るのに、4〜5日かかると書いています
当地の保存旧家の脇床の欄間に透かし彫りがあり
蓑傘を付けた人間が、川船を曳いている光景が
彫ってあります

当時「蓑虫」と呼ばれたそうです
雪や氷が張った水面を、褌一丁で舟を曳いたようです

海運は風向きを考慮して移動したようです

ワオ!と言っているユーザー

Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2010-10-07 09:45

良寛禅師もやはり勉強してたんですね。

やはり勉強家の創る句は違いますね。
奥行きがあると思いますね・・・。

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2010-10-08 07:47

「汲んでも尽きない井戸のごとく」多くの学者や
好事家が沢山の資料から研究していますが、
未だに底が見えない深さがあるようです

情報の少ない(江戸・大阪に比べ)草深い田舎に
生活の基盤を持ち、喜捨による生活を送っていた
良寛が、ここまで深く書や歌に精通して、評価を
されていることに、驚かされます

ワオ!と言っているユーザー

ハッピー
悲しい
びっくり