久々にネクタイをしてみたら、
クビがきつくなっていた。
死んでしまうと、可能性がなくなる。
窓から顔を出したところをイスラエルの狙撃兵に銃殺されたパレスチナの若者の亡骸イラクでおそわれたアメリカ軍の車両
フロントガラスに銃痕がいっぱい残っていた
乗っていた6人中5人が亡くなった
生き残った1人も3日後に殺された勤め先近所で開催されていた報道写真展に展示されていた作品の説明(の僕の記憶の断片)イスラエルでは窓から顔も出せないのかと思った。軍隊の車は防弾ガラスではないのか?
防弾ガラスなのに突き破ったのか?そしたら意味ないやん、と思った。事実ではあるんだろうけど、
あまりにも日常からかけ離れていた。趣味の山登りの最中、崖から足を滑らせ死んだ僕の友人写真展を観て家に帰ると封筒が届いていた。暑中見舞いの返事だった。
実家からだったので、封筒を見た途端に嫌な予感はしたけど。彼が足を滑らせた日、僕は大原簿記にいった後、入院していた祖母を見舞った。彼の遺体が見つかった日、僕は勤務先で子会社の会計伝票を入力していた。会社帰りに生命保険のアンケートに応じて、謝礼として3000円受け取った。彼が死んだ日も遺体を見つけてもらった日も、僕は日記を書いていた。彼は昼過ぎにふらっと写真を撮りに行くと家を出たらしい。僕は胃ガンになったけど、ガンの部分が胃潰瘍を起こして(「これは珍しいことです」と内科でも外科でも、お医者さんが言ってた)、早期の段階で対処できた。今から2年半前。彼が足を滑らせる1週間前に、予備校で一緒だった友達がアトランタから帰ってくるので集まろうと段取りしてた。結局アトランタの奴が都合が悪くなったので中止になった。
彼は僕がガンであったことを知ったのは、献血車の前だった。彼は赤十字に勤めていて、たまたま僕の勤務先の近所まで献血車で献血に来た。
社内に通達を流して、みんなに献血を呼びかけて欲しいと言った。僕は渋々通達を流した。みんなに言った手前、僕は嫌々献血車に行った。
(僕は注射が嫌いだ)でも、
事前問診で、ガンになった人は、一生献血ができないと診断された(すごく嬉しかった)。問診の横で、受付をしていた彼が驚きつつ寄って来た。「ほんまなん?何があるか分からんよな」と言って、お詫びとお礼に献血していないのに、献血した人よりもたくさんジュースをもらった。勤務先に帰ると、前日に風邪薬を飲んだので献血できない、どうして前もって言ってくれないんだ、と苦情を言いに来たオッさんの対応をした。
鬱陶しいので、「ほんとに当日言われても困りますよね」と笑顔でジュースを一本渡した。
去年の夏か秋口。
パレスチナの彼とイラクで死んだ6人が、
僕の身近になった。
友達の死を知ったことで。
彼らも死んだんだ、と理解できた。死んでしまうと言うことはどういう事か、
いまいちイメージできなかったけど、
少なくとも可能性が亡くなることなんだ、と
今は思っている。
1)経営コンサルタントが人員削減(とは言わずにリストラと言ってた)では、組織が必要とする人間から辞めていくと言ってた。2)「ダイエットすると胸とか大事な所から落ちていくやんなー」と電車で女の子が言ってた。1)と(2)は共に夢がない。既に聴き知ってる事も同じ日に聞くと、
頭の中で結びついてしまうこともある
ずっと気になりつつも買えなかったBIG ISSUE。
今日はすーーと販売員の人に「1冊下さい」と言えた。
「ありがとうございます」って1冊くれました。その時の彼の目からは、本当にありがとうございます、って気持ちが出ていた。(ように感じずにはいられない)私自身の金銭感覚と労働意識を改めさせられる200円でした。
でも、次買う時には、今回ほど深く意識しないんだと思う。●big issue 日本版http://www.bigissuejapan.com/
昔から紅茶が大好きだった。カルピスを自分の好きな濃さで入れられるようになった中学2年生から「紅茶カルピス」を試していた。濃いカルピスは紅茶以上に好きだ。でも、その都度、乳成分が分離した赤い液体を前に、「カルピスもったいなー」と泣く泣く流しにあけていた。
そんな僕に、スマッシュヒットな飲み物「紅茶が香るカルピス」
喫茶店で出るアイスティーの原液が入ってるカルピスだった。
「間違ってない。でも、そうとちゃうやろ」と思いつつ、家まで持って帰ったものの、やはり今回も流しに流した
こんなにも売っていないものかと愕然とする。
ノートはB5が天下を握ってるからか?
インターネットでここまでヒットしない商品に
久し振りに会ったような気がする。実社会にしても、LOFTでも1種類しかないからなー。(下敷き自体少なかったけど)
ハンズでもないだろうなー。
彼女の性格を考えて、告知はしていないらしい。
ガンだけは先輩の僕は、何ができるか考えた。時間を作って、会いに行くこと祖母の負担にならないように、顔を見てもらうようにしよう。
上司と百貨店でしてる時計フェアに行った。
僕のお目当ては、パテック・フィリップのカラトラバ。上司はブレゲ。
「夢のまた夢」を拝みに行く感じだった。会場は、イッセー尾形も公演していた劇場の跡地で結構広い。
パテック・フィリップのブースに行くまでに、ハリー・ウインストンの宝石がゴマみたいに付いた時計とか、ブレゲのトゥールビヨンとかを潜り抜けねばならず、金銭感覚が完全に3桁狂ってしまった。
ブースでは和製カーネルサンダースみたいな店員さんがマニアを相手にバーゼルフェアの話をしていた。そのマニアが立ち去るまで、僕たちはブレゲやバセロン・コンスタンチンを見て過ごす。金銭感覚は完全に狂ったままで固定されてしまった。
で、パテック・フィリップに辿り着いた頃には、すっかり購入(するのも厭わない)体制になっていた。すると、カーネルサンダースもショウケースからカラトラバを出してくれて、僕にも(マニアよりも初歩的な)説明をしてくれた。
すっかり(そのうちに)買う気になって「また来ます」と言ってブースを離れる時に、「お待ち致しております」と言ってくれた。
目標 40歳でカラトラバ
中学二年の時の新潮夏の百選に入ってた「村上朝日堂」
表紙が印象的だったので購入。
これが僕と村上春樹との出会い。
僕をハルキスト(と僕が命名)にした本です。 安西水丸と出会ったのもこの本。
(表紙が水丸画伯のもの)
中学三年の美術のサブテキストに
画伯が出てて、決定的にファンになってしまった。
理由はよく分からないけど、
好きになる瞬間って、そんなものなのかもしれない。
57のオッさんが、言うなー。57まで何をやってたんじゃ、ボケー。
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