そういえば、目的があったよね
6月
30日
私たちは日々、さまざまな行動や選択を繰り返している。
そのひとつに
「目的」
があるかどうかは、思っている以上に人生の質を左右しているのを感じる。
目的があるということは、自分の行動に意味があることを自覚し、時間やエネルギーの使い方に納得感をもたらすということだと思う。
それは
自分は「なぜそれをするのか」
という問いへの答えがあるということ。
それこそが、自分の人生を尊く、そして自分らしくしてくれるような気がしている。
目的があると、同じ行動でもその意味合いがまったく変わってくる。
たとえば
「毎日仕事に行く」
という行為も
「生活のために仕方なく」
なのか
「誰かの役に立ちたい」
「自分の成長につなげたい」
なのかによって
心構えや疲労感、達成感は大きく違う。
目的とは、行動に『意味の重み』を与えるものなんだと思う。
それがあることで、日々の営みが「ただの作業」ではなく、「自分の人生の一部」として感じられるようになった。
そしてその感覚は、自分の存在を肯定する静かな支えとなってくれている。
そして
人生には、思い通りにいかないことや、努力が報われないように感じる瞬間が必ずある。
そんなとき
目的があると
「なぜこれを始めたのか」
「何のために続けているのか」
という問いに立ち戻ることができる。
それは、嵐の中でも揺るがない『コンパス』のようなものなんだと思う。
子育てや介護、創作活動など、すぐに成果が見えない環境の中でも
「この人を笑わせたい」とか
「この表現を残したい」とか
目的があることで、やめようと思った時でも、踏みとどまる力が生まれる。
目的は、困難を消してくれることはないが、困難の中に意味を見出し、次の行動を見つけ出す力をくれるのを感じている。
目的を持って生きる人の姿は、他者にとっても力になる。
それは
何かを成し遂げたとかそういうことだけではなく、「なぜそれをしているのか」が伝わるからだと思う。
目的は、自分の人生を語る言葉であり、他者とつながるものでもある。
目的そのものがその人の生きてきた物語であり、それはこれから始まる物語でもあると思う。
だから、目的があるということは苦しくもあるけど、人を豊かにしてくれるものでもあるように思う。
目的があるということは、自分の人生に対して「こう在りたい」と願う意志を持ち、その意志を日々の行動に静かに織り込んでいくこと。
そしてそれは、他人に見せるためのものではなく、自分自身との対話の中で育まれていくもの。
目的がある人生は、たとえ遠回りに見えても、一歩一歩に納得と意味が宿る、尊い道のり。
その道を歩む人の姿には、静かな強さと、深い優しさがにじんでいるのだと思う。
何かがなくても、目的があれば、また始められる。
よし、また始めてみよう。