我が家に近くに桜街道と呼ばれる両サイドの歩道にビッシリと桜が植えられているところがあります。
今日、そこへ桜を見に行きました。まさに桜満開で回廊のようになっていました。空も覆っているので凄いです。見物に歩いてる人が結構来ていて今日のように日曜日になるとみなリラックスしていて、ついこちらも気分が軽やかになります。 しかし、もう花びらは散り始めていて風が強く吹き付けると紙ふぶきのように花びらが散っていきます、まだ満開になったと聞いて2日くらいしか経っていないのにもうドンドンという感じで散っていきます。
早いです・・・・。 風に舞うように散っていく花びらを見ていて思ったのは、クラシックギターの名曲である<アルハンブラの思い出>です。
この曲で使われているトレモロ奏法が、この風景にピッタリだななどと思ってしまいました。絶え間なく散る風情がトレモロを連想させました。 今日の暑さは春を越えて夏です、半そでの人も結構歩いていました。8月になったら日本の風景はどうなっているでしょうか・・・・。 去年以上の猛暑が続くのかと思うと、4月のこの時点でなんだかげんなりです。
どうにも、日本の季節にゆとりがないですね・・・・(~_~;)
桜が昨日今日の温かい天気ですべて咲きそろったようだ。
今日は暑かった! もう春というより初夏だ、このまま後2〜3日すれば本格的な夏という感じだ、半そでで歩く若者が増えるのではないか・・・・。
今年もまた猛暑が見えていてすでに夏バテを想像してしまう、気持ちが思わず弱くなりそうだ。暑さに弱いもんで・・・・。
もう少し季節にゆとりがあってもいいと思うが・・・・、季節も現代日本の世情に合わせてるんだろうな。
そう思うと気分的に暗くなる。
ビールを想像して明るくと思っても、猛暑が長すぎるとそれもどうかな〜・・・・。
藤山一郎というともう存命しておらず、懐メロ歌手である。戦前戦後の大歌手の一人だが、最近この人の歌が聞きたくなってCDを2枚かって毎日のように聞いている。 明快な歌い方と芯があってソフトな声が非常に気に入った。<影を慕いて>などメロディーは隠滅としているのだが藤山一郎の歌を聞いていてると品の良い憂いになって聞こえてくる、
クラ〜イ気分というより言い方としては、憂愁というのだろうか・・・・。
<青い山脈>になると、ほんとに青春の輝きを感じさせるのと、歌の中にとにかく明るい未来というものを約束してくれるような力強さがある。この曲は、藤山一郎でないとダメだ。
とにかく藤山一郎の歌には常に明るさがあり力強い、そこが気に入って最近よく聞いている。春の季節に良く合うと思う。
今日の天気予報は雨ということになっていた。しかし、朝より春爛漫の天気・・・大はずれだ!!
はずれで商売になるのは天気予報と政治家と決まっている。ま、他にもあるかもしれないが・・・。 この天気に誘われて編曲中の楽譜をかかえて外に出る、なかなか雰囲気のある喫茶店があるのでそこに入る。
コーヒー一杯の値段が高いので案の定店には客一人、おかげで静かでよい。お気に入りの席に座って編曲の続きを始めるがなかなか身が入らない、外の春の陽だまりが気になってしまってどうもいけない、その陽だまりを行く人の足元がなんか軽く見える、花粉症がなければほんとに良い季節だと思うが・・・、テーブルの上はみるみるティシューが積まれる。 しかし、とにかく時間が迫っているので鞭打ちながら予定のところまで終える。メールが飛び込んできた、こういう時のメールはなんかうれしい!返信する指先も軽くというところだろう。
いろいろ大変な出来事の多い中での春の日のこういう一時間がホッとする。
ショパンのワルツa-mollをギタートリオに編曲してる。しかしいままでのところvi・celの編曲が終ったのみ(見直しが残っている)・・・。 ギターパートはまったく手付かずの状態。庶事雑多、多忙を極めている今の状況だとここまでがやっとという感じ。
コンサートが迫っている今を考えると、気は焦るが前に進まずということでイライラがつのるばかり・・・・。 なんとなく弱気の虫が頭をもたげてくるのを押さえつけるので必死だ。花粉症もひどく鼻がつまって苦しい、この状況を何とかひとつづつ通り抜けたいと、苦しい息の中で考えることしきり。
しかし、かなり追い詰められていますなー・・・・・(>_
古賀君がついに路上にギターをかかえて出た。
やるぞやるぞと言いつつなかなかやらないのでこれはやらないのかなと思ったら、先週いきなりやろうと思っていますという一言が出て、
昨日今日やりますと言ってきて、それでも聞きに来られるのは嫌そうだったのでどうしようかと思っていたら、これから溝口駅に行きますとメールが入ってきて、それっとばかり聞きに行きました。
平日のお昼時ということであまり人通りはなく、学生もほとんど通らないのですが、こちらが到着するともう歌っていた。
しばらく聞いていて最初は視線も下になりがちだったのが何曲か歌たっているうちに声が出てきて、しかもギターを弾く指も回りがよくなってなかなか聞かせるようになってきた、結局時間がなくなり最後までは聞いていられなかったが、終わった後に何人か聞いてくれたというメールが入ってきた。
路上というとなかなか足を止めてもらうのは難しいと思うが最初にしては良い成績だと思う。 それにしても晴れわたった空の下、思い切り声が出せたら気持ちいいだろうなと帰りの電車の中で思ったしだいです。(若干風が強く、少し寒いくらいでした。)
近藤さんは今80歳になるギター愛好家です。
70歳で、ある会社の社長職を引退し、それからギター三昧の毎日に突入しました。
若いころといっても戦後すぐのころということですがギターに興味を持ってだいぶ練習したということです。
その若き日のギターへの情熱で80歳になっても元気に演奏活動をされています。ここ何年かは二人の娘また孫という感じの方とギタートリオを組み敬老会やギターフェスティバルなどにどんどん参加されています。
しかし、その元気さを見ていると自分が80歳で演奏しているかどうか不安なものがあります。そこまで生きていればの話ではあるのですが・・・・たんにボケていることも考えられるのであります。
近藤さんのはるか元気な背中を見ながらがんばるかという決意を新たにして練習する今日この頃です。今一息という感じではありますが・・・。
前回、花粉症は公害だと書いたら、<これは犯罪だ>という書き込みをしていただいた。
そういわれればそうだとも思う、以前にスモッグとか川崎公害という言葉があって、結構、新聞でもテレビでも騒がれていた、訴訟なんてこともあったと思う。そのころの公害に対する庶民の反応は厳しいものがあった、しかし、今この花粉症に対する社会の反応はあまりにも他人事過ぎるような気がする。どうしてしまったのかなという気がする。
花粉症の被害は相当大きく、三月ともなれば春の暖かさと共に生き物すべてが生き生きしてくる季節なのだが、我々人間は顔の三分の二がマスク、後残りが花粉マスク(水中眼鏡のようなもの・・・)女性の方たちも輝く季節だというのになんともひどい話だと思う。 音楽とは若干離れた話題でした。
今日の昼間は花粉症がひどく、鼻水が止まることなく流れ続けました。 ティシューでかんでもかんでもきりがなく次々に流れてくるのです。
ギターを弾いていると知らないうちに鼻水が落ちてきます、ギターに落ちるのをそのままにしておくことは出来ないので、鼻にティシューで鼻栓をします、効果はてきめんで鼻水は流れ落ちることはありません・・・・。 しかしながら口で息をしながらギターを弾くといつの間にか鼻息が荒くなり、うるさいと言われてしまい、しかも喉も痛くなってしまいました。
貴重な練習時間は三月後半からかくのごとく厳しい脅威にさらされているのです。ただでさえ少ない練習時間を奪うこの季節は、なんとも納得のいかない季節となっています。 これは明らかに公害です!
横浜開港記念館ホールでの演奏写真が出来ました。
歴史的な建物だけに、重厚観があり、また大正時代を思わせるデコレーションも大いに歴史的ロマンを感じさせるものがありました。メンバー全員大いに気に入りました。
音響も二階までしっかり音が聞こえてきており、スタッフの苦心よく伝わってきましたました。
終わった後、夜になって外を歩きましたが、浜の風というのでしょうか、しっとりとした気分にさせるものがあり、恋人同士が歩くというシチュエーションが似合う感じがしました。物語が始まるような雰囲気を持っている横浜の夜でした。
そういうことに縁のなくなったおじさんのあまり意味のない感想でした。(~o~)
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ