諸々の事情で、書き込みが遅くなってしまったが歴史的なことを記してみる。年頭の初詣で知られる、東京明治神宮に、「代々木」という樹がある。正参道を北に少し入った所にある樅の木がそれである。高さ約17メートルで、脇に由来を記した高札があるのですぐわかる。明治神宮ホームページ等によると「代々この場所にモミの巨木があったことから、このあたりの地名が『代々木』と呼ばれるようになった。明治以前は、この場所は原野で大きなモミの木が立っていてとても目立ったことから旅人の目印となっていた。江戸から明治にかけて生えていた「代々木」は、とても大きく、「明治神宮御境内林苑計画」によると、枝の広がりが最も広いところで約54メートル、幹まわりが10.8メートルもあったといわれている。
江戸時代には井伊家の下屋敷があり、あまりに高く、江戸城が丸見えなので、登ることは禁止されていたらしい。黒船来航の際には、遠めがねを持った見張りが登って黒船を監視するのに利用したらしい。歴史の生き証人(証樹?)であった。現在でも「代々木」は代をかえても明治神宮の森に息づいている。鬱蒼(うっそう)と樹木が茂り、野鳥たちが棲む代々木の森(神宮の森)。この森は人工林である。明治神宮の造営・この地が明治神宮の敷地に決定したのは大正4年で、その当時はほとんどが草原と田畑ばかりの土地であった。100年後の森を想定した壮大な計画が立てられたのである。当時から「森の掟」がある。「敢(あえ)テ人為(じんい)ノ植栽(しょくさい)ヲ行ハスシテ永久ニ繁茂(はんも)シ得(う)ヘキモノタルヲ要ス」明治神宮の森は「明治神宮御境内林苑計画書」にあるこの言葉により幽邃森厳(ゆうすいしんげん)な森となったのです。この先人たちの残した掟には、「落ち葉の清掃は参道や建物の周りだけに限り、樹木の養分になる森の中の落ち葉はそのままにしておくように」といったことまで記されています(明治神宮HPより)。
神宮の森の環境は、都会を忘れさせる、心のオアシスと言える場所かもしれない。自然環境の大切さを思うとき、100年あまりで立派な生態系(生きた本物の森)が造られる事を改めて思う。
自然界のバランスが崩れている昨今、人間は、自然と共存する手立てを早急に処置すべきだろう。自然環境破壊が言われて久しいが、この明治神宮の森は、人間が出来る手立てを示しているようだ。歴史的に色々と差し障りもあるだろうが、「代々木の森ものがたり」にあるように、この森は、大都会の中心にあって、生態学的構造、または、秩序と言えるか、即ち、生産者としての植物、消費者の動物、還元者としての菌類、これらが共存できる状態(食物連鎖)、生物社会でのバランスを崩さない生存環境を守る為に、自然の多様性、生物社会の多様性を残すことが自然保護の基本理念である事を、示している。日本人が行った(今現在において)自然環境造りが、明治神宮の森であろう。故郷の樹による故郷の森、樺太から朝鮮、台湾に至るまで様々な土地から14万本の献木を得て、土地の能力に応じて、椎の木(ブナ科の常緑樹)、楠木(クスノキ科の常緑樹)、タブの木(クスノキ科の常緑喬木)、樫の木(ブナ科の常緑緑喬木)を中心に、温かい所は、台湾のものを、夏の暑さに弱いカラフトから木々は、つっかえ棒として、本命を守る様な形で植樹し、更には湿った所にはケヤキ・シカラシ、林床には、ヤブラン、シュンラン、青木、ヤツデ、榊のような低木が混じって、本物の森が出来た。この森は今や防音・集塵・空気の浄化機能を持ち、火事には火防林・地震には直行林といった環境保全機能を果たし、人間が、造った森の象徴とされる。長い年月を経てその土地に適した環境が自然淘汰的に形成されている場を、最小限の負担に抑えて開発するのは人間に課せられた義務とでも言い得ようか。都会の形態を示す見本が、神宮の森そのものだろう。 この騒音環境の中で住民・市民・行政が一丸となって「緑の創造」を模索すれば、生活環境は、将来的には良い環境になっていく事は間違いない。30年後を見越して緑濃い場所にしていくべきと思うのである。
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