「みどりの日」に思う・・「代々木の樹」!!。

「みどりの日」に思う・・「代々...
画像はexcite newsより拝借

5月4日が、緑の日になるとか。その緑の日に引越しをした。新たな生活環境、毎日ではなくまた、定期的ではないが、航空機の騒音が半端ではない。
諸々の事情で、書き込みが遅くなってしまったが歴史的なことを記してみる。

年頭の初詣で知られる、東京明治神宮に、「代々木」という樹がある。正参道を北に少し入った所にある樅の木がそれである。高さ約17メートルで、脇に由来を記した高札があるのですぐわかる。明治神宮ホームページ等によると「代々この場所にモミの巨木があったことから、このあたりの地名が『代々木』と呼ばれるようになった。明治以前は、この場所は原野で大きなモミの木が立っていてとても目立ったことから旅人の目印となっていた。江戸から明治にかけて生えていた「代々木」は、とても大きく、「明治神宮御境内林苑計画」によると、枝の広がりが最も広いところで約54メートル、幹まわりが10.8メートルもあったといわれている。
江戸時代には井伊家の下屋敷があり、あまりに高く、江戸城が丸見えなので、登ることは禁止されていたらしい。黒船来航の際には、遠めがねを持った見張りが登って黒船を監視するのに利用したらしい。歴史の生き証人(証樹?)であった。現在でも「代々木」は代をかえても明治神宮の森に息づいている。鬱蒼(うっそう)と樹木が茂り、野鳥たちが棲む代々木の森(神宮の森)。この森は人工林である。明治神宮の造営・この地が明治神宮の敷地に決定したのは大正4年で、その当時はほとんどが草原と田畑ばかりの土地であった。100年後の森を想定した壮大な計画が立てられたのである。当時から「森の掟」がある。「敢(あえ)テ人為(じんい)ノ植栽(しょくさい)ヲ行ハスシテ永久ニ繁茂(はんも)シ得(う)ヘキモノタルヲ要ス」明治神宮の森は「明治神宮御境内林苑計画書」にあるこの言葉により幽邃森厳(ゆうすいしんげん)な森となったのです。この先人たちの残した掟には、「落ち葉の清掃は参道や建物の周りだけに限り、樹木の養分になる森の中の落ち葉はそのままにしておくように」といったことまで記されています(明治神宮HPより)。

神宮の森の環境は、都会を忘れさせる、心のオアシスと言える場所かもしれない。自然環境の大切さを思うとき、100年あまりで立派な生態系(生きた本物の森)が造られる事を改めて思う。
自然界のバランスが崩れている昨今、人間は、自然と共存する手立てを早急に処置すべきだろう。自然環境破壊が言われて久しいが、この明治神宮の森は、人間が出来る手立てを示しているようだ。歴史的に色々と差し障りもあるだろうが、「代々木の森ものがたり」にあるように、この森は、大都会の中心にあって、生態学的構造、または、秩序と言えるか、即ち、生産者としての植物、消費者の動物、還元者としての菌類、これらが共存できる状態(食物連鎖)、生物社会でのバランスを崩さない生存環境を守る為に、自然の多様性、生物社会の多様性を残すことが自然保護の基本理念である事を、示している。日本人が行った(今現在において)自然環境造りが、明治神宮の森であろう。故郷の樹による故郷の森、樺太から朝鮮、台湾に至るまで様々な土地から14万本の献木を得て、土地の能力に応じて、椎の木(ブナ科の常緑樹)、楠木(クスノキ科の常緑樹)、タブの木(クスノキ科の常緑喬木)、樫の木(ブナ科の常緑緑喬木)を中心に、温かい所は、台湾のものを、夏の暑さに弱いカラフトから木々は、つっかえ棒として、本命を守る様な形で植樹し、更には湿った所にはケヤキ・シカラシ、林床には、ヤブラン、シュンラン、青木、ヤツデ、榊のような低木が混じって、本物の森が出来た。この森は今や防音・集塵・空気の浄化機能を持ち、火事には火防林・地震には直行林といった環境保全機能を果たし、人間が、造った森の象徴とされる。長い年月を経てその土地に適した環境が自然淘汰的に形成されている場を、最小限の負担に抑えて開発するのは人間に課せられた義務とでも言い得ようか。都会の形態を示す見本が、神宮の森そのものだろう。

この騒音環境の中で住民・市民・行政が一丸となって「緑の創造」を模索すれば、生活環境は、将来的には良い環境になっていく事は間違いない。30年後を見越して緑濃い場所にしていくべきと思うのである。

#自然

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明治神宮の森を拝見して

私見

経済の先進国と称するヨーロッパや北米、日本は500〜600年以前は人口も少なく、森に覆われていた。その後人口の急増による食料の調達とエネルギーの大量消費により森は急激に減少してきた。

日本は幸いにして温暖であり、雨量も豊富である。
行政と一般市民が「公園」や「山野」を手入れしつつ森林に育て上げれば、半世紀以上経過すれば「準明治神宮の森」が出来上がるであろう。
国営公園は全国に多数あるが、自然林の表土を削り取りそこに公園仕様の樹木を植栽する。
これでは樹木の育成には無理がある。
建設業者、造園業者の工事を作っている。

先人の取組んだ明治神宮の森の智恵を借りれば、日本全国に素晴らしい、”自然形態風”公園が出来上がるであろう。

経済の先進国を標榜する我が国が快適な緑豊かな国土を造り、景観と環境が美しくなり、諸外国から羨望の眼差しで見つめられるようになれば、必然的に二酸化炭素の排出量は減少し、観光立国となり、科学、IT先進国でありながら自然と調和する国土ができあがるであろう。

代々木の由来が分かりました。この地は友人が喫茶店をやっており、いっとき手伝ったことがあります。
いまは代々木ゼミで有名ですが、当時は山野愛子の美容学校が有名でした。

投稿日 2005-05-18 15:29

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おはようございます、snailwalkerさん。コメントありがとう。

お説のとおりですね。中世に西欧で言われた「東洋の彼方にある黄金の国・ジパング」、’60〜70年代に自然保護が言われだした頃、ドイツの植生学者が日本を見て周り、”ライス・デル・ガルテン”(稲田公園)と感歎されたとか・・・。まさに黄金の国であったように思います。緑は、社寺を中心に守られてきた(鎮守の森)。日本独自の景観・風情は、今もあります。
先日、来日されておられた、マータイ女史が、日本語の「もったいない」と言う表現に感銘されて異国の地で、世界に向けて「mottainai」運動を奨励してくださるとか。日本の文化を、我々自身が思い返さなければと思います。園芸もそれは良し、とおもいますが、野生の、原生の植物を大切に、、、。僕は野生の植物に引かれる。

投稿日 2005-05-19 14:55

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zakkaさん
おはようございます。

今朝のNHKでゲーム機の見本市がロスアンゼルスで開かれているものを見ていました。
確かにゲーム機は多くの人々に売れ、子供たちに対する影響は大きいものと思います。
この子供たちに残雪のある山で「ブナ」や「楢」の新緑の芽吹きを見せて、自然の偉大さ、美しさ、威圧感を(本物を)みせてやりたいものです。
もし、これらを見た子供の一部は自然と人工(バーチャル)の対比に気が付くでしょう。
投稿日 2005-05-19 17:10

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こんにちは、snailwalkerさん。

人工的な緑環境に慣れてしまった子供達。
野山をかけずり回る子供も少ない。ある土地開発に反対してカンパを頂いたものがあります。今、市内の小学生を対象に自然環境に関する、作文を募ってもらえるように教育委員会に交渉しています。コンペではありません。集まった作文を冊子に纏め市の図書館に寄贈しようと思っているのです。里山、小学校の周辺は、この地は緑濃い場所です。海岸・磯の生物も手にとって観察できる。
現代社会で、子供達に教える事はしているでしょう。しかし、個々の子供の感性を引き出す事に欠けている教育現場、できることを本物を見分ける感性の発露、大切な事と思います。
投稿日 2005-05-19 22:18

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お陰さまで花名が分かりました。

今朝、頂いた農家へ行って写真を撮ってきました。
この株を分けて貰いました。
投稿日 2005-05-20 08:23

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おはようございます、snailwalkerさん。

1種増えましたね。鉢植えから地植えですか。生育が楽しみです。

後は、畑ですか。
投稿日 2005-05-21 17:41

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いえいえ、この写真は農家のものです。
この「先代萩」を分けて貰い、我が家は2鉢に植えたものです。
参考までに、こんな風に植わっていましたとアップしたまでです。
家庭菜園はとてもやる気にはなりません。
花を植えて愛でるだけで精一杯です。
投稿日 2005-05-22 00:38

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「代々木」の由来、大変楽しく拝見させていただきました。

自然との共存を唱え、現在開催されている愛知万博。
「海上の森」という大切な自然の一部を切り取って開催する意味があるのか。開発は一瞬でも森が形成されるのには何百年という時の長さが必要なのに、何故あの場所で開催しなくてはいけないのか。
削られていく山肌を見るのはとても苦しいものがありました。
万博終了後、あの場所がどのように使われていくのか・・・噂どおり宅地と化すのか、それとも荒れ果ててしまうのか、しっかり見ていかなくては、と思っています。

ところで、
もうすっかりお引越しのお片づけは終わりましたか?
投稿日 2005-05-21 11:42

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コメントありがとう、浬さん。

今や「万博」など日本にとっては不要の産物ですよ。準備、開催・事後活用を計ってやるなら分る。国レベルのイベントが、産業優先的感覚で、会場設定をしてる。「森の精」を怒らせると大変ですよ。手をつけてよいところといけないところがある。必ず、そのしっぺ返しがあると思います。愛知万博など関心がありませんが、開幕当初、お弁当持込禁止の報道を見て、さらに行く気は、消えました。その中で、カレーパンもだめだって??怒ってました(好きなんですよ^^)。公害が、問われた頃の自然の大切さもわすれさられて、また、今、問われてる地球温暖化が言われてる時に、理に逆行する「万博」などいらん・・と思ってます。

ダンボールの山です。助けてくれぇ〜〜〜って!!毎夜、うなされてる?
投稿日 2005-05-21 22:46

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先日都内某所でのI知事のお言葉。
私も花粉症になって初めて花粉症対策が必要なことを痛感しました。
なるほど偉い人よ、たくさんの不幸を経験されたい。
それこそ万人に幸いをもたらす近道なのかもしれません。
投稿日 2005-05-21 19:23

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議会を止めて。。。体験の行脚・・いいですねぇ!?! しかし、心身ともにおかしくなりますよ、きっと??知事さんは!!
投稿日 2005-05-22 15:03

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宮崎作品の多くが、森がテーマの大きな位置を秘めていますね。
子供達に森の大切さを伝いたいんでしょうね。

企業優先だった国の舵取りも民間からじわじわ自然の素晴らしさが広まってきていますね。

緑の日。名前を変えるとか。
投稿日 2005-05-21 19:40

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一連の宮崎作品、童話等は、忘れかけている「心」を気づかせてくれる。大人にとっても自己哲学(かたくるしいけれど)と受け止めています。ミヒャエル・エンデの童話は、哲学の講座にも使われていますね。

北野たけしの講座を聴講してみたい^^。
投稿日 2005-05-22 15:17

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