2013年“夏”去りし。

湘南・七里ヶ浜海岸・峯ヶ原付近... 湘南・七里ヶ浜海岸・峯ヶ原付近。
昭和天皇のご学友、酒井 恒先生... 昭和天皇のご学友、酒井 恒先生命名の蟹。
海から陸への進化の接点波打ち際に生息する原始的な蟹!!
同族は、世界各地に生息してるらしい。
湘南海岸にだけ生息してる、スナホリガニの一種。
長男は、酒井先生最後の弟子と?海辺で遊び・教えて頂いて居た。
七里ヶ浜からの富士山輪郭。きれ... 七里ヶ浜からの富士山輪郭。きれいなスロープ。
湘南から見る富士山のスロープは... 湘南から見る富士山のスロープはとっても優しく感じる。


わたくし的には、新年度の始まり月9月。
去った2012年度、色々ありすぎ脳裏は混沌と錯綜してる。
この2年、何か怠惰な生活をしていた側面があった。
怪我・古傷の再発、すべて己のなした業なのに。
ちょっと反省もするが、、、9月からの新年度、前向きに!!

心の傷・痛み、他人には中々分かりづらい。
先日、そんな思いを・・痛く痛感した。
3・11大震災被災者のお子さん達が、湘南を訪ねてくれた。
保護者も含めて20余名。横浜・鎌倉・江ノ島・横須賀等を
見聞して帰宅の途についた。
が、皆・・生まれ育った地には戻らない。
否、戻れない。未だに仮住まいを強いられている。
宮城・福島・茨木と被災した時は別々な地に住まい居た人々。
偶然ある所でご近所付き合いを今、している。
被災した内容!!津波によるもの・地すべりによるもの。。。
そして放射能汚染による避難。
そうした被災者の親子・数家族が、お子さん達(小3~中2)の
夏休み宿題の作文資料として湘南を選んでくれた。
横浜の今の港湾、大正時代の関東大震災で整備が始まり今がある。
3・11大震災では、
横須賀の米海兵隊・海上自衛隊に大層支援を頂いた。
その御礼も含めて、両隊を訪問、歓待して頂いた。
最後に、「海・海洋生物」、海とは切れない日本人。
そこで、海洋生物の宝庫・相模湾を説明してもらうため、
葉山の「しおさい博物館」にも訪問した。
横浜・横須賀・葉山には、長男と仲間が案内役をしてくれた。
ぼくは、所要で北の大地で^^)。。。!
何とか最後の海岸・浜辺には、合流出来た。
そして、波打ち際に生息する「スナホリガニ」を捕獲しに。
浜辺につくまでは、皆、元気だった。
が、しかし波打ち際にお子さんたちは近寄らない??
彼等は、あの惨事を思い出してしまったのだろうか??
2人のお子さんがかろうじて波打ち際に。。。
長男達が、数匹捕まえてきたのを夢中で見ていた。
「・・ちゃんは、、、、何々さんは、、、」と友達や、
なくなったお子さんの名前を言いながら・・・!
「この蟹、見せてあげたい・・・!」
長生きさせられるか否か??分からないが、
其々、長男達が用意した容器に入れて持ち帰った。
(9月2日現在、蟹は水槽の中で元気にしている由)。

夕暮れ迫った浜辺から見る富士山を拝み。。。!
皆さん、富士山・・・きれい!!、って。
ちょっと感傷的な落ち込み、夏の締め括りだった。




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海岸の景を見て、カブトガニを連想しました。

小学生の頃は、よく周防灘に遊びに行き、カブトガニを見かけました。
投稿日 2013-09-03 11:08

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画像は、借り物です。

こんにちは、紫さん。

こちらは、未だまだ33℃位あって、湿度が高く蒸しています^^)。
御地はいかがでしょう??

「カブトガニ」・・・なるほどイメージあります。
原始的で完全な蟹まで進化しておらず、ヤドカリに近いとか!!
小指の1関節にもみたない小さな生物ですが、
ちょこまか^^)、サーフィンしながら捕食してるのでしょうか?
きれいな青紫の甲羅をしています。
生息している浜辺・・近年サーファー・散策者で賑わっていて・・・毎日生息場所を移動しているようです。
投稿日 2013-09-03 23:51

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美しい湘南の海岸と富士山のゆうぐれですね。

東北の子供たちに残る記憶。。。
私たちが忘れてはいけない記憶。。。

東北を通過してこられたzakkahさんの記憶と思いも、より深いものですよね。
投稿日 2013-09-03 17:53

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こんばんは、プランさん。

北海道は、高温多湿のイメージからかけ離れていますね。
列車で道内に入った途端、体感が。。。!
飛行機だと更に違いを感じます。
母の血が流れてる我が感覚。寒いところは大好きです。

昔、幼い頃、函館から七飯まで馬車!?!で行ったのを覚えています。8月下旬だったろうか??途中で男郎花を母親に説明してもらった。とっても大きな花の印象が、、、。先日、紋別で男郎花を偶然見ました。
もっと大きかった様な?? 懐かしかった。

大変なことでも、子ども期の体験・経験は大切な事と。。。
「被災児」として同情はするも甘やかしはよくない。大人・保護者が、子供の顔色を見ながら恐る恐る対応していた。職人の我が長男や仲間は徒弟制度の中に居て、被災児を厳しく指導??していました。ある面、教えられた。
サーファである長男・中学で教鞭を執ってる次男、教え子を連れて江ノ島で合流。一晩、ホテルで交流会を。
皆、子供たちは、強く生きていますね。感心させられました。
投稿日 2013-09-04 04:54

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