2025/03/03 朝の随想
3月
3日
真夜中の2時前に目覚め30分程読書を、再就寝。目覚めは5時過ぎ、早いので暫くウトウトと。起床は6時過ぎ。昭和大橋右岸袂、6時35分。外気温度は1℃。霙が降っています。やすらぎ提右岸を下流方向へ歩き、JR高架下を通り帰宅は6時55分。軽体操はお休み部屋へ。
本日、3/3は上巳の節句「お暇様」2月に入って飾っていましたが、雪国では旧暦を季節感が合うので、4/3まで飾っています。画像をアップ。
昨日の新聞紙上で「益田孝(鈍翁)」のひ孫の状況を書いていました。この「益田鈍翁」に関して昔から多くの資料を集め調べました。
父親は佐渡相川の金山を管理する「佐渡奉行所」の地役人で「益田孝」が六歳の時に箱館の奉行所へ家族で転勤を。その後、明治に変わった時に横浜で外国事務所に勤め、その後、三井の大番頭となり成功を。
よって、あまり「佐渡」への思い入れは殆ど無かった様子が覗えます。実妹は徳川家の医師の養女となり、駿府(静岡)に住み、明治四年のUSA女子留学生となり、渡米を。
明治初期の立役者「澁澤栄一」や「大倉喜八郎」「薩長土肥の大物」との関係で日本の発展の礎を築いた一人です。この当時の記録を丹念に渉猟すると、面白い事柄に遭遇します。
父親は佐渡相川の金山を管理する「佐渡奉行所」の地役人で「益田孝」が六歳の時に箱館の奉行所へ家族で転勤を。その後、明治に変わった時に横浜で外国事務所に勤め、その後、三井の大番頭となり成功を。
よって、あまり「佐渡」への思い入れは殆ど無かった様子が覗えます。実妹は徳川家の医師の養女となり、駿府(静岡)に住み、明治四年のUSA女子留学生となり、渡米を。
明治初期の立役者「澁澤栄一」や「大倉喜八郎」「薩長土肥の大物」との関係で日本の発展の礎を築いた一人です。この当時の記録を丹念に渉猟すると、面白い事柄に遭遇します。
朝から詰らないお話を。明るく元気に楽しくスタートしましょう。