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  • 2023/11/03 朝の随想

2023/11/03 朝の随想

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お早うございます 
 いよいよ始まったか「認知症」。今朝は1時間勘違いして行動を。外へ出たら5時前。天空に16夜の月が煌々と輝いていました。5時12分、昭和大橋。外気温度は13℃。やすらぎ提左岸で萬代橋、5時29分。帰宅は6時7分。近所を一周りしてダンベル体操と蹲踞運動を終えて部屋へ。
 漸く、一つの論考をほぼ纏めました。
 江戸時代末の旅宿「のとや傳右衛門」が発行した「引き札(広告・チラシ)」二枚の情報から当時の状況を検証する論考を。専門的な「学者先生」では問題視しないテーマです。一枚は地元新潟からの街街道筋の旅籠を六路線列挙。二百五十宿場名を記載。ここに使われている図は地元の「新潟真景圖」で嘉永二年(1849)年刊記を引用しています。
 地元新潟から発着する舟便は二十四地点を案内。当時は相当舟便を利用した様子が窺えます。
 もう一枚は安政六年(1859)に新潟沖に来航したヲロシア船とヲランダ船に関する引き札です。ここには二隻の船の大きさを記載。警護する大名溝口(新発田)・堀(村松I)二名の名前と長崎から派遣された通詞名(通訳)と発行者の名前が記載されています。
 これにより、「新潟湊之真景圖」に描かれた船が判明。当時の幕府直轄の新潟奉行所から警護を依頼された大名名が確認され、長崎から江戸幕府を通じて派遣された通詞(通訳)が確認されます。当時の通詞は「支那語」と「オランダ語」が存在し、「英語」を通訳できる人間は存在しなかったと書かれています。
 当地に来航した異国人が上陸したスケッチがあり、そこに書かれた「横文字」がオランダ語表記と言われ、この引き札に書かれた通詞が書いたと推測できます。
 これらの情報を、一旅宿「のとや傳右衛門」の発行した「引き札(広告)」から読み取れるとは、「学者先生」には理解できないでしょう。
 朝から歴史談義を。明るく楽しく元気にスタートしましょう。

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