お早うございます。真夜中に目覚め1時間ほど読書後、再就寝。目覚めは5時過ぎ、起床は5時半過ぎ。昭和大橋、6時3分。外気温度は19℃。やすらぎ提左岸で下流方向へ、東屋で知り合いと談笑、ここでUターンを。八千代橋、6時23分。帰宅は6時42分でした。ダンベル体操と蹲踞運動を終えて温水シャワーを終えて、朝食を。
最近、真夜中の読書は中断していました。涼しくなったので、部屋の戸を閉めて読書が可能となりました。今読み始めたのは『森銑三著作集第七巻』 「賀茂真淵と本井宣長」です。書簡を翻刻してあり、それを読解するのに苦労します。
その一部を写してこんな手紙を当時の知識人は遣り取りをしていた事実を、多くの国民は知りません。今から300年以上前の時代です。もう既に伊勢地方や名古屋、大阪、江戸など頻繁に手紙や書籍・絵圖などの運送が行われていました。
書簡ではないが、雲史と云う名古屋の人と思われえる人物が残した『雲史伊勢紀行』に「本井宣長」より教えられた伊勢・山田の「荒木田麗女」を訪ねた文章で当時の女性が和歌や俳句、和文(万葉や古事記、源氏物語)などに精通していた事に驚かされます。
因みにこの「荒木田姓は伊勢神宮の【宮司】にある名称です」
「本井宣長」の書簡の一部を転記して見ます。
『三月十四日之御状素節早速相達し、忝拝見仕候。先以愈御平安に御座披成候由奉賀候。野子無恙罷在候乍憚御安念可披下候。然は古事記傳二ノ巻御返し披下、慥落手仕候。別紙御書付披下候趣、別而忝奉存候。~~云云』
延々とこのような文章が続き。読解するのに眠気を誘います。当時の人々の教養の深さは今日考えている以上に深いと言わざるを得ません。
最近の子供の名づけに使われる漢字の意味やその背景など知り得た「若い両親」が名づけをしていたのでしょう。
朝から古典のお話を。明るく楽しく元気にスタートしましょう。
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