3月
11日,
2022年
今でも鮮明に記憶に残る「今日」という日
毎年巡ってくる3月11日。日本人である我々には、特別な日となったと言っても良いだろう。
そして私個人にとっても2011年3月11日は、一生涯忘れない日である。
私はその約一ヶ月前の、2011年2月1日に単身で日本へ帰国していた。5年間強を過ごしたニュージーランドから、日本へ戻って新しい仕事を見つけるために、家族を海外に置いて、先に帰国していたのだった。
そして、その後の2月22日に、ニュージーランドで第二の都市、
「クライストチャーチで大地震」
が発生。現地の人はもちろん、多くの日本人もビル崩壊の犠牲となった。
そして、3月11日。
私はその日、実家に滞在していて、ある大切なことを待っていた。海外との電話インタビューである。ある外資系企業のポジションに応募していて、とんとん拍子に2次面接まで通った。そして最終3次面接が3月11日に予定されていたのだ。
実家で私が長い間使っていた自分の勉強部屋の机で、何となく落ち着かないところを襲った大きな揺れ。
地震はそれまでも何十回と経験しているので、最初は「あ、地震!」くらいのことだった。しかしなかなか収まらない。むしろ段々と揺れが激しくなる。どうなっているんだ、そろそろ収まるはずなのに!
私は自分が使っている机を、両手で掴んで思わず大声で叫んでいた。
「止まれ!」
こんなことは始めてだった。
まだ収まらない。そして私はその机の下にもぐって、「スカイプ」を起動させた。ニュージーランドに残っている家族に連絡を取ろうと思ったのだ。
ネットはまだ繋がっていた。妻の声が飛んできた。
「あなた、大丈夫?ニュージーランドでも地震のことはニュースで伝えている。でも場所はどこなの?場所が聞き取れないの!」
揺れる机の下に潜り込みながら、私は大声で答える。
「東北。福島らしい。だからここからは、そんなに近くは無い。それにしても、こんなに長く続く地震はこれまでで始めてだよ。」
「実家のお父さんとお母さんは大丈夫?」
「あー、大丈夫。実は今晩、アメリカと電話で最終インタビューなんだ!」
さながら事件現場からの実況中継の様に、こちらの様子をスカイプ先の妻に伝えていた。
「え、今晩?」
「そうなんだ....。でも、まだ揺れている。どうしてこんなに長いんだろう...」
と話した瞬間でスカイプは止まった。ネットが切れたのだ。そして、慌てて携帯から妻に電話をかけてみたが繋がらない。実家の固定電話からも全く通じない。
これでニュージーランドの家族に、連絡する手立てが無くなった.....
今でも、その時のことは鮮明に覚えている。ゆらゆらとまるでボートの上で揺れるような状況で、パソコンに向かって話す光景。まだ揺れが止まらない。なぜだ???
その後、妻を初め家族は、当初の予定より相当早めに日本へ帰国することを決心した。
当初は私の日本で新しい職場にも慣れて、地ならしをした後で日本へ帰国してくる予定だったのだ。
「あなたとのスカイプが切れてしまった瞬間、何か全てが止まってしまったように感じたの。だから一日も早く日本へ帰ろうと思った。」
そして妻は、こう続けた。
「ご近所のニュージーランド人の友人から、『なぜ地震と津波で大変なことになってしまった日本に、わざわざ今、帰るのか?』と訊かれて、答えに窮したの。」
その時の妻の答えは
「我々は日本人だから。そして、家族は一緒に居なくてはならない。」
というものだった。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお