一宮から見る戦国絵巻

一宮から見る戦国絵巻
一宮市の北部に138タワーと呼ばれる建造物があります、イチノミヤの138として138mの高さの展望台です、シアトルのスペースニードルの183mよりも低いのですが、立地条件がよく、特に冬は遠景が楽しめます。
市の観光協会のHPの仕事で写真撮影を行いました。
コントラストを出すために早朝での撮影です。

写真はタワーから西で、伊吹山、関ヶ原、大垣、墨俣などが一望出来ます。

ここから清洲、犬山、小牧山、遠くに長久手、すぐ北には金華山の岐阜城を見ることが出来ます。

織田信長のデビュー戦「浮野古戦場」も眼下です。
#アート #伝統 #文化 #芸術

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素晴らしい眺望ですね。私の好きな京都の幕末絵巻ではこのようにはいかないですね。
投稿日 2008-03-01 17:08

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比叡山からの展望はいかがでしょうか?
投稿日 2008-03-02 03:51

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私は右側生まれなんだぁ!
投稿日 2008-03-01 17:43

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右がわ? 

ですか・・・・
投稿日 2008-03-02 03:52

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方向音痴なもんで…(ーー;)

大阪は左?
投稿日 2008-03-03 15:05

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はぁーい、大阪は向って左側です。
投稿日 2008-03-03 15:29

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よく考えたら伊吹山は木曽川の西やもんね。(^^ゞ
投稿日 2008-03-04 07:10

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コンストラストまでの配慮は、さすがですね。

ライティングは、考えても、自然はわがままなものだと、つくづく思います。

HPの仕事も、色々な作業があり、大変だなと感じました。
投稿日 2008-03-01 21:26

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ここでの展望写真は数年前に撮影したのですが景観が変わってくるので再撮影なんです。

厄介なのは東側は午後からの撮影が可能なんですが、西側は早朝の撮影となります。
つまり通常の営業時間帯ではないため
管理団体の国交省に、その調整(何月何日までの内、晴天と思われる前日の5時までに依頼書を提出)が大変です(笑)
投稿日 2008-03-02 13:02

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birdyさんも私も

左側生まれですよお!(^^)!
投稿日 2008-03-01 21:52

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ひだり?

ですか?????
投稿日 2008-03-02 13:03

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歴史上、天下分け目の関が原がそこですか。

そう言えば、伊吹山に行く時、「関が原」でお昼御を食べました。
投稿日 2008-03-02 00:08

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明治村とセットで是非お出かけ下さい、ご案内しますよ。
投稿日 2008-03-02 15:04

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伊吹山、関ヶ原、大垣、墨俣


清洲、犬山、小牧山、長久手、金華山の岐阜城

織田信長や齋藤道三、蜂須賀小六の時代に出てくる
地名が甦りますね

史実のど真ん中にお住まい
羨ましい!
投稿日 2008-03-02 08:16

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壬申の乱の古代より、尾張平野は大穀物倉として兵站の補給基地の位置を確立していたようです。

近所にも北麻積(きたおおみ)なる地名があり、古代朝廷への献上品「麻」の集積地であったことが知れます。
当時は河川での運搬が中心であたため、尾張平野を流れる河川(多くは木曽川の支流)は重要な位置にありました。
ここでの運搬を生業とする豪族の棟梁が蜂須賀氏で、「須」は河川の州と同じとい言われ、蜂須賀なる地名は複数存在しています。
投稿日 2008-03-03 13:46

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またまた、知識が増えました


網野嘉彦氏と田中優子氏の対談を読んだばかりで
南北朝には海夫(特権を持った漁民・海民集団)
は北九州の松浦党の下で活動
海部を間において繋げると、尾張・紀伊・淡路・阿波・豊後
など太平洋、瀬戸内海をつなぐネットワークがあり
済州島まで至るそうです
日本海の隠岐・能登・佐渡にも海部は移動している
と載っていました

海部元首相はその末裔でしょうか

約束どおり、一部を消去しました。
投稿日 2008-03-03 16:58

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777

ほんと、信長〜家康時代の歴史に登場する地名がそこかしこにある。

標識や駅名に残っている!
すごいことですよね。

墨俣一夜城、一度行ってみようと思います。
投稿日 2008-03-02 09:42

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仔細に調査すると、この地方は歴史の宝庫で、観光立地が十分に可能なほどです。
投稿日 2008-03-03 13:47

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