明石公園(明石城)の入口には大洋漁業創業者の 「中部幾次郎翁」 の銅像があります。
中部翁は1866(慶応2)年に明石に生まれ、地方の一個人商店だった 「林兼商店」 を日本有数の会社に育て上げ、
その後、明石中学(現県立明石高校)の建設にあたり多額の寄付をするなど明石市の発展に尽くしたそうです。
大洋漁業というと 「下関」 というイメージがあったが、実は明石にも縁が深かったということですね。
【大洋漁業のマルハの 「は」 の由来は?】
創業者の中部家が明石郡林村の出身であることから、屋号が「林屋」となり、
途中の代から林家兼松と名乗り、屋号を 「林兼」 とした。
この当時から屋号の略称として 「は」 の字を用いており、
林兼商店となった後も丸枠の中に 「は」 の字を入れた商標を用いていたことに由来する。
また、航海中 『荒波(は)を丸く収める』 という意味も掛けられていた。
★下関で横浜ベイスターズが試合をすることはあるが、明石でのプロ野球というと阪神戦ばかりで、
ベイスターズの主催試合が行われたという記憶は無いようです。
(ビジターでなら1998、99年にオープン戦が行われたことはある)
昨日、大阪にて大分県大阪事務所が主催の会が開催されました。
関西の各県人会、市町村郷友会、同窓会の33団体38名がが出席しました。
さらに東海大分県人会、広島大分県人会からも出席が。
毎年この時期に開催され、各団体の情報を交換する話し合いがもたれました。
兵庫神戸大分県人会からは会長と私の2名が出席。
6月2日に開催される 「110周年記念総会」 のPRと出席をお願いしました。
★約1時間の会、活発な意見が出て有意義な会合でした。
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