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大洋漁業創業者は明石出身

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大洋漁業創業者は明石出身 大洋漁業創業者は明石出身 大洋漁業創業者は明石出身 大洋漁業創業者は明石出身

明石公園(明石城)の入口には大洋漁業創業者の 「中部幾次郎翁」 の銅像があります。

中部翁は1866(慶応2)年に明石に生まれ、地方の一個人商店だった  「林兼商店」 を日本有数の会社に育て上げ、

その後、明石中学(現県立明石高校)の建設にあたり多額の寄付をするなど明石市の発展に尽くしたそうです。

大洋漁業というと 「下関」 というイメージがあったが、実は明石にも縁が深かったということですね。


【大洋漁業のマルハの 「は」 の由来は?】
  創業者の中部家が明石郡林村の出身であることから、屋号が「林屋」となり、
  途中の代から林家兼松と名乗り、屋号を 「林兼」 とした。
  この当時から屋号の略称として 「は」 の字を用いており、
  林兼商店となった後も丸枠の中に 「は」 の字を入れた商標を用いていたことに由来する。
  また、航海中 『荒波(は)を丸く収める』 という意味も掛けられていた。
  

★下関で横浜ベイスターズが試合をすることはあるが、明石でのプロ野球というと阪神戦ばかりで、
 ベイスターズの主催試合が行われたという記憶は無いようです。
  (ビジターでなら1998、99年にオープン戦が行われたことはある)


#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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