豊後國の国主 大友宗麟公
6月
9日
1578年(天正6年)宗麟48歳の年に洗礼を受け、
洗礼名は 「ドン・フランシスコ」 と名乗り、キリスト教徒となる。


南蛮貿易を開花させ理想の国を追い求めた、キリシタン大名 大友宗麟。
『むじかの里』 戦争のない平和な国、理想の国を作ろうと決心するが・・・


1551年、宗麟が21歳の年、イエズス会宣教師 フランシスコ・ザビエルと引見し、キリスト教と出会う。
★領内の布教活動を保護することで、南蛮貿易を活発に行い莫大な利益を得る。

この大砲の音の大きさと破壊力により、「国崩し」 と呼ばれた。
★日本で初めて大砲(当時は国崩しと呼んだ)を使ったのが宗麟だとされる。
★鉄砲も種子島伝来より10年も早く、豊後へ伝わったとされてる。

その使節団の中心が、『伊東ドン・マンショ』 大友宗麟の名代の正使として派遣される。
伊藤ドン・マンショ像(大分市内・遊歩公園内)
豊後國(現在の大分県)の国主で戦国時代の九州一のキリシタン大名。
『大友義鎮(よししげ) 1562年(32歳)に出家して、大友宗麟(そうりん)と号す』 (1530年~1587年)
豊後国(ぶんごのくに)=今の大分県(宇佐市と中津市を除く) ★宇佐市と中津市は当時、「豊前(ぶぜん)」 に属す。
その豊後国の主、強大な戦国大名、キリシタン大名、宣教師からは 「王」 と呼ばれたのが大友宗麟です。
【昨年の春に、来年のNHK大河ドラマが 『大友宗麟』 に決まりそうだとの情報が、
しかし、現実は 「黒田官兵衛」 に決まり、中津や宇佐の方には悪いのですが、がっかりしました。】
★宗麟公に関する画像をご覧ください