今朝の部屋からの風景です。
昨晩の部屋からの風景です。
ただ今、バリ島の東部、Sidemenに来ています。昨日は、ずっと、座っていたので、腰が痛くなりました。今朝は、少し良いです。こちらは、椅子やベッドが高いので、起き上がるときに、腰に響き、苦労します。すこし、辛いかな..
旧竹田荘の母屋。
「竹田と杏雨」のチラシ。
一昨日、日曜美術館のアートシーンを見ていたら、今、出光美術館で文人・南画家「田能村竹田」展が行われているようだ。実は、アップし忘れたが、先月、大分の竹田町へ行ったときに、田能村竹田の生家、「旧竹田荘」へ行ってきた。一応、国指定史跡に指定されている。ついでに、近くの竹田市立歴史資料館で「田能村竹田生誕記念展 竹田と杏雨」も見てきた。
田能村家は代々竹田町(たけたまち)に居住していたので、家を「竹田荘(ちくでんそう)」、自らを「竹田(ちくでん)」と号したようである。
竹田の生家は、落ち着いた静かで良いところだった。高台に建っているので、窓から見える竹田町の風景も良かった。資料館で行われていた生誕記念展の「竹田と杏雨」では、竹田の作品は少なかったが、弟子の帆足杏雨の作品は充実していた。
音風景に関することが、家に入ってすぐのところに説明されている。
庭では、下駄に履き替える。
これも、「瀧廉太郎が幼い時に聴いた音」という音風景の演出である。
竹田の街にある瀧廉太郎記念館である。12歳から14歳まで暮らした屋敷を記念館にしたのである。1992年にオープンした。全体計画を監修したのが、建築家故木島安史氏で、庭園整備計画をしたのが、日本サウンドスケープ協会の現理事長、鳥越けい子氏である。ということで、この記念館、サウンドスケープデザインが行われた。もちろん、当時、音環境に携わる人たちの間で話題になった。
ところが、オープンしてから、もう20年以上も経ち、当然、最初に作ったときのようなコンセプトのままでは維持されておらず、今年、サウンドスケープ協会の会員である鷲野さんと鳥越さんらが携わって、リニューアルされたのである。
今回初めて、鳥越さんらと一緒に、記念館に訪れた。なかなか良いところだった。
アフリカ研究の先駆者であり、言語学者で文化人類学者の西江雅之先生が亡くなりました。西江先生は、日本サウンドスケープ協会の会長でもありました。ご冥福をお祈りいたします。
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