通天閣のてっぺんの色で翌日の天気予報がわかるようで、晴れのち曇りですね。
反対側からの「づぼらや」のフグです。
「串かつ」のお店が多いですね。夜の通天閣は、新世界にある「づぼらや」のフグを入れて撮影するそうです。とても賑やかで、華やかですね。
武家屋敷跡の土塀を寒さから守る「こも」掛けです。これは、冬の金沢でなければ、見れませんね。
武家屋敷跡、加賀藩千二百石、野村家の雪景色の庭園です。
メインステージです。
当日着た衣装です。
「花と海と太陽のまち 南房総市 産業まつり」のメイン会場です。ここで、演奏しました。私は演奏をしていたので、演奏中の写真はありません。後日、誰かから、写真を貰ったらアップします。
RANDENの嵐山駅である。和の雰囲気がほんわりと展示されていた。
名古曽の滝址側から見た大沢池。奥は嵐山。
嵐山を背景に、大覚寺本殿。
大覚寺の庭園にある大沢池である。とても、美しい。毎年秋に、この池に船を浮かべて、観月会が行われる。水面に映る中秋の名月を楽しむのである。しかし、この観月会のおかげで、大沢池の環境は一時とても危機に見舞われた。この観月会を行うために、蓮が邪魔になり、ソウギョ(草魚)を放した。その結果、蓮はもちろん無くなり、大沢池の環境は最悪になった。そして、この大沢池の環境を元に戻すために、大覚寺大沢池景観修復プロジェクト、ソウギョバスターズが結成された。詳しいことは、
「大覚寺大沢池 景観修復プロジェクト―古代と現代をむすぶ文化遺産―」
出版社:世界思想社
に記述されている。今回、この本の編集者であり、このプロジェクトで中心的な活動をしている河原司さんに、大覚寺の広間でレクチャーして頂いた。とても、面白かった。
名古曽の滝址
ちょっと、ひいて。
大覚寺の庭園内にある名古曽の滝址である。
”滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ”
訳)滝の流れる水音は、聞こえなくなってから、もうずいぶんになるけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から聞こえていることだよ。
平安時代、三十六歌仙の一人 藤原公任(ふじわらのきんとう)が、大覚寺を訪れたとき、すでに水が流れていない古びた滝を詠んだ歌である。この歌から、名古曽(なこそ)の滝と呼ばれるようになったらしい。
音のない滝に音を聴く感性が、すでに平安時代に完成していたのではないか。
無音の滝石組みを愛でる感性。枯山水の布石ではないか。
今回、京都嵐山にある大覚寺で行われた日本サウンドスケープ協会例会「大覚寺・名古曽の滝と嵐山サウンドウォーク」は、とても、こころ豊かなイベントで、日本人の音に対する感性を再認識する旅でした。
窓の外は鴨川です。
一階のダイニングカウンターです。ここで、毎朝、朝食を頂きました。
今回、京都で泊まった宿です。昔は、お茶屋さんだったようで、木屋町通から路地に入った隠れ家のような宿でした。最近まで、フランス料理のお店をやっていたようです。部屋は2階にある鴨川沿いの15畳と本屋町通り側の6畳の部屋、二つしかありません。私が泊まっていた時、客は私一人で、15畳の鴨川沿いの部屋に一人で泊まっていました。朝7時ごろ東山から日が出て、窓をあけると鴨川を照らしてまぶしかったです。
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