美大を卒業した仲間で友人が毎年行っている絵画の展覧会「五歩展」を見に銀座にある「あかね画廊」へいってきました。今年は女性3人が参加していました。働きながら、20年以上続けており、頭が下がります。写真は、友人の作品3点です。
明日銀座へ行く用事がある方は是非寄って見て下さい。午前11時から午後5時までです。地下鉄B4出口を出て、すぐに並木通りを入るとすぐ(20mくらい)右側2Fにあります。開催中は並木通りに「あかね画廊」という看板が立っています。
コメント欄に友人の作品の写真を一枚ずつアップしていますので、ご覧ください。
お客さんも沢山来てくれました。気持ち良く、そして楽しく演奏できました。ありがとうございました。
子供たちのために始まった羽根木プレーパークも今年で30年だそうです。7月には30周年記念イベントがいろいろあるようです。
18時から30年ぶりの高校の同窓会が横浜で行われ、片付けの後、すぐに、梅が丘から渋谷に出て、東横線で横浜へ。東横線の特急は速いですね。あっという間に着きました。
なつかしかったな。みんないいおじさんになっていて。ひさしぶりに酔っ払いました。でも、午前様にはぎりぎりなりませんでしたよ。
昨日は、朝から会場設営のために8時45分から力仕事。晴れてよかった。準備もスムーズに終わり、時間が余ったので、午前中はのんびりと踊りの人たちの場当たりを見ていました。
昨日と今日、一泊二日で軽井沢へ行ってきました。遊びではありません。ちゃんと仕事で出張してきました(笑)。二日とも軽井沢は雨でしたが、中軽井沢にある石の教会を見てきました。明治・大正期のキリスト教指導者・内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂があります。
地上の礼拝堂は撮影禁止でした。下の写真は地下にある内村鑑三記念堂から地上のエントランスにつながる階段の空間を撮影したものです。
アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグが手がけたものだそうです。この建築家は良く知りません。
しばらく礼拝堂に座っていたら、フィンランド、ヘルシンキにある岩をくりぬいた教会を思い出しました(これはfrom copenの方で取り上げています)。とても美しい良い教会でした。
5月23日(土)に小田急線の梅が丘にある羽根木プレーパークでガムランの演奏会があります。わたしも3曲ほど演奏します。太鼓、ガンサ・カンティランという鍵盤楽器、そして、レヨンというお鍋逆さにしてコブがついているような楽器を叩きます。お時間がある方は、是非見に来てください。
写真をクリックすると大きくなります。
フランスから購入したコンポートである。一昨日届いた。ビング&グレンダール製で作家はファニガード。年代ははっきりとしないが、おそらく、1920年頃制作されたものだと思う。発送から2週間半かかった。まあ、ゴールデンウィークと税関に止まっていたのでこんなもんだろう。でも、どうも税金の計算は、よく良くわからない。日本では、アンティークの場合、100年超えていれば関税は無税である。今回は、90年しか経っていないので関税がかかったのだが、まあ、たいした金額ではない。これより、消費税のほうが大きい。今回、税関から電話がかかってきて説明したのだが、どうやら1ユーロ127円で計算しているらしい。私が購入したときは確か130円を超えていたと思う。だいたい、いつのレートを基準にしているのだろう。もう払ってしまったのだから、何をいってもしょうがないが、計算が合わなく良くわからないのである。
届いたコンポートは、内側は錆釉がたっぷりとかかって、ずっしりと重い。回りの花のレリーフも浮き彫りで、全体の釉薬も厚い。そのため、裏の番号がよく読めないのがちょっと難点だが、なかなか良いものである。まあ、日本で購入するよりは、安く手に入れることができたので良しとしましょう。
熱海駅から歩いて20分のところに起雲閣があります。1919年に別荘として建てられ、1947年に旅館として生まれ変わり、多くの文豪の宿として使われました。そして、2000年に熱海市の所有となった建物と庭園です。熱海市は3回のオークションでやっと手に入れたようです。なんといっても、二人目のオーナーである鉄道王、根津嘉一郎が1932年に建てた洋館と庭園がすばらしい。上の写真の飛び出しているサンルーム部分の内部が下の写真です。もちろんこれだけでなく、内部は和洋折衷プラス中国の装飾で隅々までデザインされて見ごたえがあります。ローマ風浴室もそのままの状態で残っています。取り壊されてしまいましたが、この起雲閣には別館があったそうで、そこで太宰治が人間失格を執筆したそうです。なんで、取り壊してしまったのでしょうね。観光の目玉になったのに。
20世紀の日本は、なにも考えずにスクラップ&ビルドの時代でしたからね。本館はしっかりと維持してもらいたいですね。ここでも、地元のボランティアの人たちが一生懸命説明していました。
4月30日から5月4日まで東京プリンスにおいて美術骨董ショーが行われております。私は初日の4月30日に行ってきました。そこで、手に入れた3代目松風嘉定の彩磁竹文C&Sです。時代は明治後期です。横から見えるように内側にも竹の葉が描かれております。3代目松風嘉定の作品はほとんど海外へ輸出されており、なかなか手に入りません。松風の作品を手にとって見たのも初めてでした。今年の東京プリンスは、円高のせいか全体的に昨年に比して安く感じました。今日も最終日ですが、午後から行こうかなと考えております。
もう少し詳しく見たい方は、こちらをどうぞ。
彩磁竹文C&S
この旧日向邸の母屋(写真上)は、タウトの設計ではありません。東京国立博物館や銀座和光などを手がけた渡辺仁です。この母屋の前にある人工地盤の上に造られた庭(写真下)の下にタウトが設計した地下室があります。この地下室は社交室として使うために後から日向さんがタウトに設計依頼したもので、いろいろなところにタウトに感動を与えた桂離宮や伊勢神宮の影響が見られます。チラシの写真は、真ん中の部屋にある階段ですが、何かの舞台を造ったわけではなく、どうやら、敷地の地形から階段を造らざるを得なかったようです。階段は座ることを目的にして設計されており、各段の高さやデザインが微妙に異なっております。
マドはサッシが嵌め込まれており、少し興ざめですが、海風の影響を受けるので仕方がないのでしょうね。おそらく、保養所として使われるようになってから、取り付けたのでしょう。
でも、竹や桐がたくさん使われており、和洋折衷でとても良い空間でした。3部屋あり、タウトはベートーベン、モーツアルト、バッハの音楽になぞらえているそうです。タウトがデザインした椅子や照明なども展示されています。特に、階段の上にある照明スタンドは日向さんがタウトに地下室を設計依頼することを決断させたスタンドです。
熱海へ行った一番の目的は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが1936年に地下室を設計して建てられた旧日向邸を見学に行くことでした。この地下室は2006年7月に重要文化財になっております。
近代建築史の授業でも必ず習いますし、建築雑誌などでも見ていたのですが、2004年まで民間企業の保養所だったので未公開でした。日本においてブルーノ・タウトが設計した建築物はここだけです。2004年11月、熱海市の所有になり、2005年から一般公開が始まりましたが、申し込み制です。申し込みは3ヶ月前から1ヶ月前までで、ボランティアの方々が実際運営していますので、見学は土日休日のみです。また、昨年、雨漏りがひどく、修復工事をおこなったため、今年の3月まで入れませんでした。
今回、4月29日に家族4人で申し込みました。子供たちには退屈かなと思ったのですが、意外と反応が良く、家族で申し込んで正解でした。長男は、いままで、建築家なんて関心がなかったけど、見学を終えて建築家の偉大さが判ったなどと言っておりました。最初の30分、タウトに関するビデオを見たのが良かったのでしょう。タウトの生涯を第二次世界大戦前後の歴史とともに描いておりましたので、受験勉強で歴史を学んだ次男も、退屈せずに見れたようです。
内観は写真撮影禁止なので、かわりにチラシの写真をアップしました。
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