先日の「開運なんでも鑑定団」で高さは60cm位はあると思われるとても立派なアールヌゥ―ヴォー調の錦光山窯の花瓶が出品された。中国に留学していた時お世話になった教授の祖父が大正時代に購入したものだそうで、文化大革命のときにも隠して守ったものだそうである。その話を聞いた依頼人は感動して、これは日本に持って帰らなければならないと思い、日本円でだいたい25万円位を払って持って帰ってきたものだそうだ。
これに対して、中島誠之助が下した判定は偽物。鑑定額は5万円。その判定理由は「日本錦光山造」とさらっと書かれている銘で、本物は「大日本錦光山造」あるいは「錦光山造」ときちっと楷書で書かれており、描かれている絵柄も武士や桜など日本風な柄で、このような規格化された花柄はないということが理由であった。
これは、ひどい判定である。どうやら、中島誠之助は1900年以降のアールヌーヴォー調の作品を制作していた錦光山窯を知らないようだ。ひどい勉強不足である。困ったものだ。
今行われている広島県「はつかいち美術ギャラリー」で行われている「明治・大正時代の日本陶磁」展に出展されている錦光山窯の花瓶の銘も「日本錦光山造」とさらっと書かれている。私のHPに掲載している同じ形の錦光山宗兵衛もやはり「日本錦光山造」とさらっと書かれている。
大正時代に購入したということは、1911年以降で、アールヌーヴォー調の作品を制作していた時期と重なるので、私は本物であると思う。さらに高さもあり、絵柄も「ロイヤル錦」時代のものを含めても、かなり上手のものだと思うので、25万円は妥当と考える。
しかし、偽物と判断を下された依頼人は本当にお気の毒である。頭に来て叩き割ったりしていないことを祈るばかりである。
いま、開運なんでも鑑定団のHPにも掲載されているので、興味のある方は見てください。
今日は、11時半から14時まで、桜田さんのスマルプグリンガン、サイピトゥを使って練習しました。この楽器で練習するのは初めてです。どうやら、今、私が作っているものより、少し音は低いようですね。共鳴器もなかなか手に入らない竹を使っており、鍵盤も磨かれて、とても、奇麗で贅沢な作りです。さて、少しずつ、曲を覚えていかなければ..
こちらは、隣にあるミュージアムショップとカフェが入っている棟です。建築は西沢さんではなく、安井秀夫アトリエだそうです。
軽井沢から帰ってきました。写真は中軽井沢に新しくできた軽井沢千住博美術館です。建築家は西沢立衛氏。内部の写真は撮れませんでしたが、曲線をいっぱい使った面白い空間となっています。今日はここと昨年も訪れたRay coffee houseを貸し自転車で回りました。坂道が多く、なかなか運動になりました。
この前の日曜日に、松濤美術館へ行こうと思い、渋谷に降りたら、なんと109から東急本店へ行く道が通行止めになっており、得体のしれない団体が踊りながら、行進していた。どうやら、鹿児島県のおはら祭りというものをやっていたらしい。
もう終わってしまいましたが、渋谷東急本店のそばにあるポスターハリスギャラリーへ「寺山修司と天井桟敷 ポスター展」を見に行ってきました。路地裏にあるマンションの1室をギャラリーにしているなんとも、シュールな場所でした。
なんか、とても、懐かしかったですね。この廃頽的な感じ、昔、嵌った時がありました。3000円以上買うと、ポスターを差し上げますとあり、思わず、買いそうになってしまいましたが、ぐっとこらえました。ピンクフロイドのTシャツもありましたが、こちらは値段が結構してましたので、あきらめることができました。
お客さんは若い人が多かったですね。カップルで来ている人もいました。いまだに人気があるのですね。まあ、とりあえず、無事、何も買わずにギャラリーを後にして、松濤美術館へ行きました。
どうも、ゴールデンウィーク明けなのか、とても疲れています。日曜日大丈夫かな..
眞葛ミュージアムに展示してある眞葛焼の破片断面のアップである。緑の釉下彩部分、下絵具が素地と釉薬の間にあることがわかる。
さて、展覧会の入場者数、ゴールデンウィーク5月6日までの人数は3800人弱ということ。天気が悪かったからな..。あと、12日間。5000人行くかな...。
今日は、開館後、ロムドシンの塩谷さんの記念セミナー「ロイヤルコペンハーゲンでティータイムを楽しむ」が行われます。ちょっと、帰りに覗こうかな..
「青華菖蒲画花瓶」である。これの黄色の背景は釉薬の色、すなわち、黄釉で、染付で菖蒲が描かれている。実は、眞葛博士さんによると、眞葛の黄色の釉下彩ものでも、箱書きには黄釉と書かれているものがあるそうだ。私は宮川香山が黄釉と黄色の釉下彩を同じものと表記するとは考えられなかったが..
そして、現在、東京国立博物館にある「黄釉銹絵梅樹文大瓶」も眞葛博士さんによると釉下彩だというのである。これは、1893年にシカゴ万博に出品され、現在、重要文化財になっている。これは、とても信じられなかったが、私はこれの背景の色が黄釉か釉下彩かどうか、じっくりと見たことがなかったので、反論できなかった。
しかし、家に帰り、東博のwebpageにある写真をアップにし、じっくりと見て、やはり、黄釉であると判断した。もちろん、東博のwebpageには、黄釉と解説している。それと、フェルグソナイトを用いて飛鳥井孝太郎が名古屋で黄色の釉下彩すなわち、アスカイ黄を発明したのは明治29年、すなわち、1896年である。眞葛の後期における黄色の釉下彩もこのアスカイ黄を使っているはずであり、1892年時点では黄色の釉下彩を出すのは不可能であったはずである。
まあ、眞葛博士さんを少し弁護するならば、おそらく、眞葛の黄釉は厳密に言うと黄色の上絵具と思われる。すなわち、素地に黒の下絵具で梅を書き、一度透明釉を掛け焼成し、さらに、その上に黄色の上絵具で塗って、もう一度高温で焼成していると思われる。こうすることによって、黄色の上絵具が透明釉の中に沈み、あたかも釉下彩のように見えるのである。すなわち、イングレイズ(釉中彩)のテクニックを使っていると思われる。そうでないと、白抜きの梅の花の部分の透明釉をいつかけているか説明ができない。
どちらにしろ、断定はできないので、とりあえず、一回東博にいって、じっくりと自分の目で確かめる必要はあるかな。
東博のwebpage 「黄釉銹絵梅樹文大瓶」を貼っておきますので、皆さんも見てください。
昨日は横浜にある眞葛ミュージアムへ行ってきました。半分は、松濤美術館のチラシ等を置いてもらうことが目的でしたが、HPを覗いたら、ゴールデンウィーク4,5,6日だけ、館内の作品撮影可ということでしたので、これはチャンスと思い、伺いました。ちょうど、11時からのギャラリートークが始まるところに着いて、参加しました。なんと講師は、このブログでコメントを頂いた眞葛博士さんでした。
写真は、1899年の作品、美人顋斉(さいさい)杜若画花生です。この作品、2001年に横浜美術館で行われた「眞葛 宮川香山展」における図録の英語では「Vase with underglaze Polychome Irises Design and Light Reddish Glaze」と表記してありますが、背景の色となっているピンクも釉下彩でした。ということは、1899年の時点で「ピンク、紫、青および緑」の4色の釉下彩を出せる技術があったということになります。1900年に「美人顋斉釉菊図花瓶」という作品も作っているようで、おそらくこちらの背景色のピンクは、釉薬の色だったのかもしれません。横浜美術館の学芸員は美人顋斉と名付けられたピンク色はすべて釉薬の色と思いこみ、チェックを怠ったかな..
ちなみに、一昨年、愛知県陶磁資料館で行われた「明治の人間国宝」展では、この花瓶「Vase, design of irises, underglaze enamels」と表記されています。これって、釉下彩という意味だろうな..
ところで、私が念力で花瓶を浮かしているみたいで、なかなか面白い写真でしょう。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ