名古曽の滝址
11月
16日
”滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ”
訳)滝の流れる水音は、聞こえなくなってから、もうずいぶんになるけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から聞こえていることだよ。
平安時代、三十六歌仙の一人 藤原公任(ふじわらのきんとう)が、大覚寺を訪れたとき、すでに水が流れていない古びた滝を詠んだ歌である。この歌から、名古曽(なこそ)の滝と呼ばれるようになったらしい。
音のない滝に音を聴く感性が、すでに平安時代に完成していたのではないか。
無音の滝石組みを愛でる感性。枯山水の布石ではないか。
今回、京都嵐山にある大覚寺で行われた日本サウンドスケープ協会例会「大覚寺・名古曽の滝と嵐山サウンドウォーク」は、とても、こころ豊かなイベントで、日本人の音に対する感性を再認識する旅でした。
投稿日 2014-11-16 13:17
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2014-11-16 23:06
ワオ!と言っているユーザー