腎臓移植への道と予期せぬ診断
これまでの話の中で、私は糖尿病を発症し、それが進行して貧血、そして腎機能の低下へと至ったことをお話ししました。腎機能の低下が続く中、ついに 腎臓移植のリストに登録 してもらうことになりました。もちろん、その前にクリアしなければならない検査や手続きがたくさんありました。その 移植リスト登録のための検査の一環 で、肝臓に 影 が見つかったのです。
その影は 長年かけてできたもので、テニスボールほどの大きさ だと言われました。さらに、胆嚢の状態もかなり劣化していたため、 胆嚢を摘出する手術 を勧められました。私はあまり深く考えず、「ついでに肝臓の影も一緒に取ってもらえますか?」とお願いしました。それが承認され、肝臓と胆嚢の手術を受けることになりました。
想像以上に大きな手術
正直、私は肝臓と成人病(糖尿病や腎不全など)はあまり関係がないと思っていました。そして 手術当日、コロナ禍の中で1人で病院に入院 しました。手術自体は簡単なものだと思っていましたが、目が覚めると お腹にはチューブ、全身が痛み、看護師さんからは「大きな手術が終わりましたよ」と声をかけられました。
「大きな手術?いったい何時間かかったんですか?」と聞くと、
「5時間ちょっとかな…」
と言われ、思わず驚きました。
これまでの人生で 20歳の時に扁桃腺の手術で入院した以外、入院経験がなかった私 にとって、これは想像を超える経験でした。病室に戻ると、体のあちこちにチューブが入り、痛み止めのボタンまで渡されました。とにかく お腹が痛い。
まさかのがん診断
翌日、摘出した肝臓の検査結果が出ました。 「がんでした」 と医師に告げられました。
テニスボール大のがん が肝臓にあったと聞かされ、最初に思ったのは 「俺、いつ死ぬんだろう…?」 ということでした。
これからどんな治療をするのか?抗がん剤?放射線治療?不安で頭がいっぱいになりました。しかし、その直後に医師からこう言われました。
「がんは肝臓の中で完全に隔離されていて、転移は一切ありません。したがって、今後の治療は基本的に必要ありません」
「治療がない」と言われてホッとした反面、「もしかして見放されたのでは?」 という不安もよぎりました。それでも、とにかく生きていることに感謝しました。
今度は膝の激痛…そして痛風の発症
手術から 3日後、左膝に激痛 を感じました。痛くて まったく動けないレベル です。
私は過去に左膝の靭帯手術をしたことがあるので、その影響かと思いましたが、それにしても痛すぎる…。すると、退院後すぐに 激痛のため救急病院に搬送 され、そこで 「痛風」 と診断されました。
「なんでこんな時に痛風?そもそも、痛風なんて考えたこともなかったのに!」
しかし、これは 手術後に腎臓が機能しなくなり、体内の毒素(尿酸)を排出できなくなったことが原因 でした。その毒素が 膝や肘に溜まり、痛風として現れた のです。
透析生活の始まり
痛風の治療を受けた後、 初めて透析を受けることになりました。
私の腎臓はすでにかなり悪化していましたが、まさか 入院中に透析が始まるとは思っていませんでした。その後、痛風の治療が終わった後も、定期的な透析が必要となり、週2回、ノースウェスト・キドニーセンター で透析を受けることになりました。こうして、私の 透析生活が始まってしまった のです。
次々と襲いかかる成人病の悪化
ここまでに 糖尿病、貧血、腎不全、がん、透析 と、成人病の進行はまさに 最悪の方向に一直線 でした。しかし、自分でどうすればよいのか全く分かりません。
さらに、肝臓にがんが発生したことにより、腎臓移植のリストから最低でも2年間外されることが決定 しました。この状態で透析を続けながら生活し、肝臓がんの再発を防ぐために3ヶ月ごとに検査 を受ける日々が始まりました。
この生活は 2025年1月まで続く予定 です。