“継ぐ形・・創造するGerden(2)”《襍観・/・凡声19-7》

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消失前の邸。
復元された邸。
この後ろに広大な庭園が在る。
上は、紫陽花の一部。
こんな・・・バナナまで植わっている。
昆虫ものんきに蜜を吸っていた。近づいても逃げない!?!

《時節・_・襍感⇔個人豪邸も歴史遺産“昭和時代の庭園!!”》
伊豆半島探訪で“紫陽花”に対して思いを・・・新たに~~新たにした。
神奈川県内でも自生萼紫陽花は、どこぞで生き延びてるだろうと!?!
宅地開発、観光の激化で植物の生育環境が狭められているのは事実だが!!
自生萼紫陽花にしても観音崎だけではないだろう、と諭され不見識を恥じる。
紫陽花の自然交雑は、人の生活環境も影響するともお教え頂いた。
「野生化」、、、植栽した移植植物でも月日を重ねれば立派に野に帰る。
南伊豆の走雲峡の花々を観て、対応が・・考え方、処し方だろうと思った。
新たに創造してゼロから始まった平塚の花菜ガーデン。今後が、とっても楽しみ。
と同時に、神奈川という環境でしばらくまえに造設された大邸宅庭園がある。
旧住友家俣野別邸1939年(昭和14年)は、住友家当主16代住友吉左衞門が建てた住宅。
今、公共施設となって、庭園をも含めて開放し、建造物も復元され始めている。
そこをありきたりの園芸種植物で埋めるのではなく、往時の環境を再現してほしい。
横浜市戸塚区「俣野別邸庭園」、伝統的日本の庭師感覚で魅せて欲しく希して止まない。
土地の潜在特性にあわせた庭園。そこには俗に云う雑草も自然に観せてほしいのだ。
歴史的建造物と周りの自然環境保全を併せて考えて欲しいものである。

今年の紫陽花巡りで感慨をもった。神奈川県内でも自生萼紫陽花や山紫陽花は在る??
歴史を見れば紫陽花名が書物に登場したのは『万葉集』であった(初見)。
「味狭藍」「安治佐為」とある。
「言問はぬ 木すら味狭藍 諸弟らが 練の村戸に あざむかえけり」
色を変えつつ枯れていく紫陽花を、ころころと言葉や態度を変える人に例えたか。
「安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ」
紫陽花のように群がって咲く花のように、いつまでも健やかにおいでください。
この花を見るたびにあなたを想います。
往古の時代より紫陽花は詠まれているが人気があったわけではなさそうだ。
『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』などに紫陽花の記述は、ない。
桃山時代に狩野永徳が画いた紫陽花画「松と紫陽花図」(現京都南禅寺所蔵)、
江戸時代、尾形光琳や俵屋宗達、酒井抱一によって描かれているが、一般的ではない。
江戸時代は、園芸文化が根付き、繁殖が容易な紫陽花は、植木屋に好まれなかった!?!
今でこそ松尾芭蕉の句「紫陽花や帷子時の薄浅黄」や葛飾北斎の「あじさいに燕」は知られているが。
紫陽花に限って云えば江戸幕末に逗留したシーボルトの存在が大きい。
植物学者ツッカリニとの共著『日本植物誌』の中でアジサイ属14種を新種として紹介している。
そうした事あってか、1900年代初頭にフランスで紫陽花園芸種が出現、セイヨウアジサイへと発展した。
大正時代には西洋紫陽花(手毬咲き)として里帰り、今日に至っている。
今や、梅雨時の代表的花として各地に名所ができた。
手毬咲き紫陽花=西洋アジサイと云われた時代もあった。
鎌倉の明月院の殆どの紫陽花は、手毬形だが日本固有種(小紫陽花) である。
明月院ブルーとまで言われるが、日光霧降高原には白花の シロバナコアジサイが咲く。
伊豆高原(伊東市)から城ヶ崎海岸周辺は、観光地であり紫陽花の宝庫でもある。
城ヶ崎や下田の公園で紫陽花イベントが開催されているが、生活地周辺の方が面白い。
生活地に見る自生紫陽花、それぞれが、微妙に違って我々の眼に魅せてくれるのだ。
「造形美と自然美」どちらも美しい。だが、自然との共存が根底にあるべきだ。
伊豆半島の自生紫陽花探訪から戻った週末に「俣野別邸庭園」を訪れた。
数年前と比べて着実に訪問者が増えている。母屋の復元公開にも寄るだろうが。
種々の紫陽花が咲き誇って。一つの歴史的遺産「復元と創造」に期待し帰宅した。

「2019/06/16横浜市戸塚区」




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