《 雅羅・/・囈〝伝統・文化〟❖ ’24-184 ❖ 》

地元で開催されている刺し子の展示会。
色・柄の組み合わせ。実に面白い。洒脱・瀟洒。
古くは、袖口の形状で着る人の身分が分かった由。

自生の「ヒメサユリ」は、是非是非に拜見してみたいが他にもう一件。
会津田島付近には、郷土文化的な衣服・刺し子が今に伝わっている。
全国の歴史的環境を思考していた若い頃、南会津の“大内宿”を観に行った。
その折、南会津の“南郷刺し子が今や観られない”と聞いていた。
(その頃、植物まで思いは及んでおらず、姫小百合は知らなかった。)
そんな伝統的庶民文化が復活していると最近知った。
福島県有数の豪雪地帯の手仕事;
福島県の会津地方、奥深い山々のある夏は過ごしやすいが豪雪地帯。
古く江戸時代から昭和初期??頃まで男衆(男性の呼び方)は、
冬場、屋根葺き(茅葺き屋根)の出稼ぎに家を留守にしていた。
その萱の刈場が現存しているのも貴重な場所でもある。
豪雪地帯での特有の手仕事は、各地に女性達の手仕事として残っている。
冬場、女性達は保存食・着物の仕立て・機織り、糸紬等々を処していた。
冬場の屋内でできる家仕事、南会津には手仕事「南郷刺し子」がある。
「刺し子」とは、布がとても貴重だった江戸時代に始まったとされる。
日常着の麻布に布を重ねて木綿糸を刺して生地を補強、破損部分の補修、
暖かい空気を衣服内に留める保温の工夫として、刺し子が生まれた。
青森県の「津軽こぎん刺し」や「南部菱刺し」、山形県庄内の「庄内刺し子」。
此等はすべて東北地方の豪雪地帯に伝わる刺し子。
「南郷刺し子」の特徴は、刺し子をする対象が“ハレの日に着る絆纏”であった。
ハレの日の刺し子と言われるのは、絆纏の全面に刺された縁起の良い刺し子模様。
背中の中央部分の一番目立つ場所に刺される麻の葉(あさのは)の模様。
生命力強く成長が早い麻の葉を家族の健康やお家繁盛等の祈りが込められている。
前身頃や袖といった他の箇所にも、亀甲(きっこう)や七宝(しっぽう)つなぎ、
柿の花(かきのはな)といった縁起のいい模様が刺されている。
南郷刺し子は補修や補強を目的とする以上に作り手の楽しみも込められている。
ハレの日とは、結婚式等の特別な日ではない。
日々の暮らしの中の少し特別な時のこと。庶民文化そのものと思える。
今の時代で云えば、勝負服的感覚を思うのである。
更には、「よそいきの装い」こんな表現も今や死語かもしれないが。
思いは色々尽きないが、来年には是非に訪れたい所である。

「令和陸年(皇紀2684年)7月2日、記」
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