《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?!〟❖ ’24-43 ❖ 》

《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?...
《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?...
《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?...
北鎌倉・光泉のおいなりさん。 北鎌倉・光泉のおいなりさん。
《 雅羅・/・襍囈〝いなり!?...
《  今日は、何の日!!“初午”  》
「初午」とは、「2月の最初の午の日」のことを言う。
この日に行われる全国各地の稲荷神社のお祭りをも指す。
お祭りでは豊作、商売繁盛、開運、家内安全を祈願する。
各地の稲荷神社で色々な祭が行われ賑をもつ。
赤い幟りが立ったり、赤飯や油揚げ、団子等が売られ、賑やか。
2月の初午の日って!! 稲荷神社の総本社の伏見稲荷大社によれば、
その昔、和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、
穀物の神様が稲荷山(伊奈利山)に降臨されたそうだ。
この故事から、稲荷神を祭る祭事が行われるようになったとされる。
旧暦2月の初午の日は今の3月にあたる。丁度、田畑の準備を始める時期。
豊作を願って稲荷神社に参拝する習慣ができ今日に至っている。
ちなみに、稲荷の名は稲作の「稲生り」から来たとも言われている。
午(うま)は十二支のひとつで、干支に当てはめると2月。
初めて「午」となった日が「初午」。この日は、年によって変化する。
本来、旧暦二月の最初の「初午」を指すが、今は新暦2月の初午を指す。
「初午」といえば「いなり寿司(初午いなり)」をいただく!?!
 これは、稲荷神の使いであるキツネの好物が油揚げだったことに由来。
初午の際に油揚げや、油揚げに稲荷神の恩恵ある米(酢飯)を詰めたもの。
これを奉納したことが、「いなり寿司」の始まりと言われている。
稲荷神社、いなり寿司を親しみを込め「おいなりさん」と呼ぶ様になった。
だが、いなり寿司の形が東日本では、米俵に見立てた俵型をしている。
対して西日本では、キツネの耳に見立てた三角形が主流のようだ。
東日本では「いなり寿司」、西日本では「お稲荷さん」と呼ぶとも聞く。
更には、いなり寿司以外にも、「初午」に食べる行事食があるそうだ。
「初午団子」とは、繭のような形をした白いお団子を言うとのこと。
初午には、蚕の神様を祭る行事も行われていたそうだ。
繭が沢山できることを願い繭の形に似せて作ったお団子をお供えする。
食べる際には、醤油をつけない決まりがあったと伝わってきた。
理由は、醤油をつけると繭にシミがつき不良繭になる、と忌み嫌われた由。
「しもつかれ」は、鮭の頭、鬼おろしで擦りおろした大根や人参、油揚げ、
節分の大豆などを酒粕と一緒に煮込んだもの(栃木県の郷土料理)。
初午の日に、藁を束ね作った「わらづと」にしもつかれを入れ、
赤飯と一緒に稲荷神社にそなえる風習がある。
「旗飴」、旗を巻付けた棒の先に飴をつけたもの(奈良県にある飴菓子)。
商売をしている家が稲荷神社に供え、そのおさがりをもらうために、
商売をしている家に「旗飴ちょうだい」と子ども達がまわる風習もある。
日本の伝統に、五穀豊穣を祈る風習が根底にあったと言えようか。
更には、「初午祭」では五穀豊穣だけではなく様々なご利益を祈願する姿。
群馬県太田市にある6世紀より約1500年もの間、祭祀祭礼を以ってきた神社。
「冠稲荷神社」は、源氏にゆかりが深い神社としても知られている。
冠神社の初午大祭は、山の神が神馬にのって里におりたつ訪春を祝うお祭り。
旧暦の初午に近い3月、木瓜の花の咲く頃に毎年開催されている。
ランドセルなどのお祓いをしてもらえる「初午開運安全幸福祈祷」、
「義経公・義貞公 厄除稚児行列」「細谷冠稲荷獅子舞」などが行われる由。
面白い祭礼、此の眼にも焼き付けてみたい祭礼である。
*       *       *
きつねとおいなりさん、いなり寿司の形についても云われがあって面白い。
関東の「俵形」は、五穀豊穣の神を祀(まつ)る田の神信仰に由来する。
「稲生り(いねなり)の神」とされてた事から米を入れた俵に見立てた。
関西の「三角形」は、稲荷神社総本宮・伏見稲荷大社の稲荷山の形に見立てた。
又、狐の耳の形に見立てた等々言われは諸説あるが、稲荷信仰の反映である。
 
好みのいなり寿司、北鎌倉・光泉のそれは一般の俵型を横に大きく2つ分が一つ。
もう半世紀もの間、折々に頂いている。北鎌倉には名物和菓子もある。
観光的鎌倉にあって、誇れる食文化が脈々と続いている。嬉しい限りだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)2月12日、記」
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