《呟記_戦禍・反省・・警鐘!?!》
『8月15日』、“終戦記念日”だが、“敗戦を考える日”であるまいか。
団塊世代人として次世代の人々・我が子達に何を伝え残したい。
戦後処理、日本が世界に向かって表明してきた史実を正確に、と思う。
1982(昭和57)年4月13日の閣議決定にて制定した法律がある。
8月15日を「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と制定した。
太平洋戦争における全戦没者に対して国を挙げて追悼の誠をささげる。
同時に平和を祈念するため、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われている。
※ ※ ※
以前から昭和天皇による1945年8月15日の大東亜戦争終結ノ詔書を記してきた。
「終戦の詔勅」を口語訳で表記し(不正確かも)、戦後を再考したい。
『私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、
非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、
ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、
それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、
代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。
先に米英二国に対して宣戦した理由も、
本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、
他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、
我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。
それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、
しきりに無実の人々までをも殺傷しており、
惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、
ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。
このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、
代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。
これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)
するよう下命するに至った理由なのである。
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては
遺憾の意を表せざるを得ない。
日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、
さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。
また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、
私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。
あなたがた国民の本心も私はよく理解している。
しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、
未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、
常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。
もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、
あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、
そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、
私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、
責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、
正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、
世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。』
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「勝てば官軍、負ければ賊軍」こんな表現は、現代には似合わない。
戦争は、あってほしくない。願わくば、軍備も保持しないほうがいい。
だが、国の安全保障・国民の安全を考えれば軍備は必要不可欠。
而して自衛隊、海上保安官、行政警察官、消防吏員の職務を真摯に考えたい。
我々国民は、かような人々に守られて日々、安全に生活出来ている。
現場の過酷な・熾烈な職務に感謝の念が希薄である、と再認識。
隣国から聞き及ぶ干渉ごとに、真摯に対峙し正々堂々と主張すべきだ。
他国の軍備拡大を批難しつつ、より強大な軍備拡大を図る国々。
更には、靖国神社参拝を非難するなど、干渉でなくて何???
「令和伍年(皇紀2683年)8月16日、記」