昭和の時代頃までこの藤沢北西部地区は、農耕を中心とした生活環境だった。
北部とはいえないが、六会(小田急江ノ島線沿い)には大学・附属高・中校がある。
そのアカデミアから奥に通じる田園風景、昭和の原風景!!(半世期ほど前のこと)。
引地川を北上すれば、湘南台・長後と住宅地化している(小田急江ノ島線が主幹)。
この50年余りで都市化、湘南台には、横浜方面からの鉄道が乗り入れられた。
交通の便が格段に良くなり、その周りを素朴な田園景観が包み込む。
古く社寺は、文化の拠点であった。“鎮守の森”とか“鎮守様”と呼んだものである。
今では、学術・・文化といえば大学をはじめとする教育の場か・・・!!
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藤沢市の地区計画に“健康と文化の森地区地区計画”を見つけた。
場所は、遠藤字打越、字西谷、字苅込、字矢崎、字諸之木、字笹窪上、
並びに打戻字大谷 地内、約44.4ヘクタール。
「健康と文化の森地区」がめざす、みらいを創造するキャンパスタウンを形成するために、
みどり豊かな自然を背景に、大学の技術集積や学術研究機能を核とし、
地域の強みを活かした活力が創造される都市環境の形成を図る。
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文化の核(拠点)を大学という学術機関に置き準備・整備されつつある。
昔よりある原風景を堅持しつつ未来に向かって如何に環境を整えるか!?!
整備(再構築)ではなく歴史的環境保全との融合を望みたい。
この藤沢市の計画に隣接する茅ヶ崎市にも大学、里山公園がある。
更には、隣接する寒川町に「相模國一之宮、旧国幣中社・寒川神社」がある。
行政区画では、2市・1町に分かれている。だが田園景観・農耕地が共存している。
点から面へ、而して域へ。歴史的環境=過去・現在・未来を上手く共存させて欲しい。
「令和肆年(皇紀2682年)1月18日、記」