「神奈川の屋根」と呼ばれる丹沢山地、県土面積の約6分の1を占める山塊。
山岳信仰(山伏)の修験道場でもある(現在でも修験者は居り修験道もある)。
中でも登山・観光として名を馳せている「大山(おおやま)」。
その麓の名刹「宝城坊さん」、正しくは、高野山真言宗日向山宝城坊日向薬師。
奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)、僧行基により開山された。
僧「行基」が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げで、
相模国(現在の伊勢原市)に、日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)を開山。
本尊、薬師瑠璃光如来(鉈彫り国重文)真言「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」。
奈良時代に盛んになり、全国に広がっていった「薬師信仰」。
薬師如来は、東方瑠璃山(とうほうるりせん)に在って現世のご利益を願う尊(ほとけ)。
日向山霊山寺は、勅願寺とされていたが民衆の篤い信仰を受け今日まで法燈が受け継がれてきた。
人々の心の安らぎ、和やかさ、健やかさのご加護を願う尊(ほとけ)として信仰を篤くしている。
日向薬師としての歴史はふるく、鎌倉期には将軍頼朝や北条政子も参詣しているとある(吾妻鏡)。
この名刹ヘは、若い頃文化財等の収集と記録保存で参加させて頂いていた。
本堂の裏手より30分ほど登った所に洞穴があり、日向薬師奥の院と称されていた。
奥の院にまっすぐ上がる道は、現在通行禁止になっている。
以前は、この奥の院(洞穴の奥)に虚空蔵(こくうぞう)菩薩が祀られていたが、
現在は本堂脇の霊樹のなかに祀られている。以前にも増して霊験あらたかになった!
虚空蔵菩薩は、丑・寅年生まれの人の守り本尊とされ牛・虎一対の像が社の入り口を守っている。
「虚空蔵」とは、アーカーシャ・ガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、
広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味。
そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、
これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。
京都嵐山の法輪寺では、13歳の少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かる「十三詣り」なる行事が行われている。
***ウィキペディア***より引用。
近世の地誌『新編相模風土記稿』によれば、近世の日向薬師には別当坊の宝城坊を含め13坊があり、それ以外にすでに廃絶した坊もいくつかあったと記載されていることから、往時の規模がしのばれる。また、山内には七所権現社や東照宮などがあり、神仏習合の信仰が行われていた。
明治時代初期の廃仏毀釈によって多くの坊舎が失われ、本堂(薬師堂)、鐘堂、仁王門などをわずかに残すのみとなった。現在は霊山寺の別当坊であった宝城坊が寺籍を継いでいる(別当坊とは、山内の最高位の僧が住む坊のこと)。21世紀の現在も「日向薬師」として病気平癒、特に眼病に霊験ありとして信仰を集める。また、山内の自然環境が良好に保持されていることから、ハイキングコース、健康保持増進や心の安らぎの場として人気を集めている。
2月4日誌「丹沢山地・宝城坊」
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