冠木門の屋根裏を使ったギャラリーは、豪農の館として一般公開されてる屋敷の
入口にあります
太い梁に、数点のお面が飾られていました
その下の鎧兜もこの、人形作家のものです
以前、変わった人形を数日に亘ってブログルにアップしました
今回、屋根裏ギャラリーで一カ月のロングランの個展をやっています
台風がやって来ると報道され、こんな日には訪問客は少ない事を
みこして尋ねました
急な階段を昇ると[Well Come]の人形が出迎えてくれました
早朝ウオーキングを終えて、橋をわたっていると民放のビルディングに周りの
建物が映っていました。
時間と光の加減でこのような光景を見るチャンスは少ないものです。
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2010/09/11 第六十一回
過日、三橋貴明氏のコメントで「輸出頼みのニッポン」と言う誤解・そして真の弱点とは を読んで愕然とした。日本の輸出依存度はアメリカ(USA)に次いで低い。比較した国々はイギリス・フランス・ドイツ・中国・韓国・ロシアである。日本は「輸出入に頼らなければ成り立たない」国なのであろうか。この考え方に基づけば、諸外国は日本以上に外需に依存した国であるし、輸入に頼らなければならない事になる、と述べている。国内の需要(まだまだ必要な社会インフラや個人消費)が活発になる事がこの国を世界に冠たる素晴らしい国家になる可能性を秘めている。今回アップした「伊能忠敬」を調べると、高齢者を一括りに捉えて生活弱者と見做す現在の社会システムに大きな欠陥が潜んでいると考えられる。兎角、日本の住宅供給に関して、公的機関が指導的立場に立って戦後リードしてきたが、これらの組織も官僚の巣くう構図になっている。天下国家を論じ、国民の目線や立場を論じ、法制をする議員が出ないとこれからも、素晴らしい国家にはなかなか成らないであろう。
佐渡島の地図と、現在の両津港近辺を拡大
して見ました
実際に地図の上に立って確認ができます
皆さんのお住まいの近辺は200年前には
どんな村名や町名があったのかが確認できます
大きな36.000/1の大地図、コートの脇に張られた縮小地図です
9月2日の画像の右端に見られた地図(青いシート)
以前、書きましたが「大図」は36.000/1の縮尺で運動場のコートの大きさが必要な
程の大きさとなりました
「中図」は216.000/1
「小図」は432.000/1
で作られています。
その他、様々の大きさの副本があったと伝えられていました。
隠宅から幕府の暦局へ通い始めた頃に、世界地図を
書き写したものと記録されています
伊能忠敬は家督を譲り、隠居に入ると江戸に居を移しました
隠宅から幕府の天文方御用屋敷(暦局・司天台)へ通うのに
実測をして緯度を出したとあります
隠宅は東京にお住まいで無い方には、位置関係がはっきり
しないないかも知れませんが、門前仲町の近辺地図を見て
頂くと浅草橋の近くであったのが分ります。
昨日、誤ってアップしました
本日は同じものを、隠宅の位置を図示して伊能忠敬の歩いた
所をご確認ください。
左図は
黒江町浅草測量図
測量開始前に緯度1分の距離を計測する為、隠宅と
暦局の間を測ったと考えられる測量図。
深川黒江町(門前中町)の隠宅から清澄通りを北上。
吾妻橋を渡って、浅草観音の二天門を本堂まで進む。
仲見世を通って江戸通り(旧奥州街道)へ出て、天文
方御用屋敷(暦局、司天台)両国橋、清澄通りを経て
帰宅する。
(伊能忠敬記念館蔵)
右図は
黒江町測量ルートの現況
現在の地図上に黒江町浅草測量ルートを再現した。
第1次測量に対し、御沙汰書が出ました
これで、各藩に対しての協力が得られます
宛先名は「伊能勘解由」となっています
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ