なぜこの名前になったのか?漠然とは聞いていたものの、
最近になって母親から聞いてみると祖母の愛情が聴けて良かったと思う。
自分の名前を命名したのは祖母なのだけど、
自分の父親は体が弱く、幼少から中学あたりまでは
部活もきちんと活動できなかったらしい。
いろいろな意味で身体が弱いというのは将来の致命傷になる。
丈夫な体で産んであげられなかったという無念がずっとあったんだと思う。
孫には丈夫でありますように、という気持ちが込められて命名された。
父親はもしかしたら、身体が弱かったのは中学位までだったのかもしれない。
高校では並み以上まで良くなった?と思っている。
それは、社会人として陸上の国体選手(競歩)にまでなった為である。
努力家だった父、どういった鍛錬を重ねて並み以上まで
体力を向上させたのかわからないけど、誰もができるものではない。
父親の晴舞台だった岩手国体(1970年)、
祖母は残念ながら息子の晴れ姿を見ず50歳で急逝。
父親は現役を退いた後に小さい工場を営む傍ら、
陸上競技審判として岩手競歩の後進の後押しをしながら60歳で急逝。
祖父も70歳で他界、叔父も53歳で他界。皆、逝くのが早い。
父親は高校以上は丈夫だったけれど、
肝心の孫(自分)は未だに弱い。
1歳の時に発症した「細菌性亀頭包皮炎」(たぶん名称はこれ)に
罹患する事を皮切りに病気のオンパレードになっている。身体が弱い証拠でしょう。
(細菌性亀頭包皮炎は中学の時に手術してどうにか完治)
SF好き的な見方をしてみると、
これは、どうしても自分というものを弱め続けたいという
何らかのエネルギーが作用してるのではないか?と思う事もある。
また、これだけ痛めつけられても、抗おうとする気持ちを
抑えようとしているエネルギーが作用しているのではないか?と。
そう考えると、自分は相当強いのかもしれない。(謎です。)
50歳はとうに過ぎたけど、割と幼稚な思考のままです。
仮に父親と同じ年齢で他界するのなら、リミットは7年。
なんだかSF映画の「TIME」みたいな事を考えている。
映画ならわくわくするのですが。