いつもと反対側に買い物に出かけました。久しぶりに通った道では、田圃が 緑色の絨毯 で埋まっています。 5月のはじめに田植えをしたので、稲がすくすくと育っています。 あっ!!発見しました。 珊瑚色の悪魔 が根元に忍び寄ってきています。 この 珊瑚色の悪魔 は、大田螺の卵です。 以前、食用大田螺を輸入したら、不味くて食用にならずに今では、稲を食べる外敵になっていると聞きました。 それにしても・・・不思議な 珊瑚色 です。 何を主張しているのでしょうか?
小さな蓮のような葉に雨の雫を湛えたナスタチウム(金蓮花)。 ころんとした澄んだ雫が、梅雨空を払拭して爽やかです。 ナスタチウムって、どのような花?と思って調べてみました。 なんと、食用にもなるそうです。 ◇葉と花は生で食すとピリッと辛く、ほどよい酸味があります。 フランスでは‘ペルークレソン’と呼ばれるほどピリッとした辛みのある若葉はクレソンの代わりに使用されることも。 葉と花は、サワークリームと相性がよく、サラダやサンドウィッチになどに入れてフレッシュなうちに生食します。 種子は、同じく辛さがあるので胡椒挽きやすり鉢ですって、香辛料として使います。未熟な果実をおろしがねですると、鼻につんとくるワサビの代用となり、和食の薬味として、おいしくいただけます。 また、酢漬けにするとケイパーの代用となります。 ◆葉は、ビタミンC、鉄分を多く含み、抗菌作用があります。 風邪 ・貧血 ・肌荒れ ・血液の洗浄に効果があり、熱湯に葉の搾り汁を混ぜるか細かく刻んで煎じて飲みます。 葉をサラダに加えて生食します。 庭の花とばかり思っていたナスタチウムは、グルメなお花でした♪
夏の花が咲いています。 この藤のような花は・・・? そうそう・・・ 萩 です。 紫色の高貴な花を天へ向けて「わたくしの季節でございます」と誇っているようです。 曇り空が「ごめんなさい」と平謝りしている気がします。 萩は、夏きものの文様に数多く用いられています。 ああ!夏きものが着たい・・・。 夕方から少しずつ晴れ間が見えてきました。 先日の登場!の紫式部さんは、 薄紫色 の花を咲かせ始めています。 紫の御方・・・どちらも日本の夏!を感じさせてくれる花ですね。
「峠」という漢字は、日本で考え出されたそうです。 山の上りと下りの堺目だということがよく分かります。 峠といえば、恐ろしいお話がつきものですね。ひっそりとした峠に佇むと、魔界への入口が開いているような気分に陥ります。 それでは、ここで景望のむかしばなしをいたしましょう。 むかし、むかし。 ある峠の茶屋は、半夏生で覆われていました。 旅人は、この峠の茶屋を半夏生茶屋と呼んでいました。 半夏生茶屋の横には、道祖神が祭られています。 旅人は、道祖神に手を合わせてから、半夏生茶屋に立ち寄ります。 どんなに暑い日でも、この峠の半夏生茶屋の椅子に腰かけると、すっーと何処からともなく涼しい風が吹いて、ほっと一息できるのでした。 この半夏生茶屋の名物は【葛蓬】です。 半透明な葛饅頭の中に緑色の蓬餡が涼やかに包まれています。 蓬は、鬼が嫌う薬草でもあります。 半夏生茶屋の看板娘の名は、お千夏ちゃん。 元気な笑顔で旅人たちを迎え、送りだします。 過去の重荷を背負った人々が、峠に辿りついて、そこで旅の安全を願って道祖神に手を合わせ、半夏生茶屋で休憩し、また、先の見えない未来へと歩み出すのです。 今日も峠の半夏生茶屋は、満員御礼です。 とっぺんはらりのすっすっすっ。 <峠> 夏至から十一日目にあたる日から、五日間を「半夏生」といいます。 農作業がひと段落して、休憩を取った時期、また、毒草や大雨を用心した時期でもあります。 今日はちょうど一年の折り返し点です。 あらためて、一年の旅路の幸せと無事を祈りましょう。
七月に入りました。 七という数字は、とても幸運な気がします。 <愛逢月〜めであいづき>、七夕月、七夜月・・・七夕にちなんだ七月の異称です。 文月は、短冊に歌や字を書いた七夕の行事からだとか・・・。 他に、蘭月、女郎花月、穂見月、秋初月(旧暦ではもう秋のはじまり) 一日強い雨が降る七月の始まりの愛で逢いは・・・ 紫陽花の雫たち。 緑色の葉を封じ籠めて、七夕への想いを膨らませています。 どうぞ、七夕さまの日だけは、晴れますように〜♪ 今からお祈りいたします。
早朝より土砂降りの雨・・・のスタートとなりました。 今日から、中学校での読み聞かせが始まりました。 はじめての中学一年生への読み聞かせです。 ドキドキ・・・初体験にみなさん不安でした。 土砂降りで、道路が渋滞したために、開始時間に間に合わなかった人の代わりに入りました。 念のため持参した絵本は『わからんちんのココ』です。 本を読む前に少し問いかけをしましたが、素直に答えてくれました。 手応えありです。 取りあえず、1年生だけ、月2回のペースで入ることになっています。 小学生の時から、聞いてくれていた生徒たちなので、これからもこの調子で続けて行けそうです。 楽しい時間のはじまり、はじまり!!
本日は、「独り立ちの準備」講演会に行ってきました。 内容は、期待していたものとは違いましたが、また違う意味で感動して帰って来ました。 医=生きること 食=食べること=生きること 農=農業=生きること 自然=環境=生きること 私たちの命は、生まれるだけで奇跡です。 人は、そこに存在するだけで価値があります。 「性」=「生」=「食」 「生」の反対は、何だと思いますか? 答えは、「死」ではありません。 「生まれないこと」です。 生まれなければ、死ぬこともありません。 身体の成長は、食物をしっかり食べることで成り立ちます。 心の成長は、優しさを掴むことです。優しい気持ちは、心を強くします。 家族団欒で囲む食卓には、優しさが生まれます。 では、その優しい気持ちを培うためにはどうすればいいのでしょう? 残飯いっぱいの給食の残飯を限りなく0にする取り組み・・・ある校長先生が「月に一度のお弁当の日」を作りました。 自分でお弁当を作ってくる日です。 自分でお弁当を作ることで、今まで見えなかった「いただきます」からはじまるいのちが見えてきます。 人の優しさ、苦労、痛みが読める人になってきます。 毎月一度自分でお弁当を作ることで新しい自分に出合います。 工夫できる人 自ら学ぶ人 感性を磨ける人 心豊かな人 賢い人 想像力のある人 幸せな人生を送れる人 慈しみのある人 逞しい人 人とともに生きていける人 社会をよくしていける人 世界をよくしていける人 人に好かれる人 独り立ちしていく人 感謝の気持ちを忘れない人 家族の愛に包まれた人 ・・・等々 それぞれの自分で作るお弁当が、それぞれに跳ね返ってくるのです。 誰かに認められているという気持ちが、人に優しくなれる気持ちを生みます。 それは、しあわせの連鎖を生み、感謝の気持ちを生むことに繋がります。 分かっているつもりの「食」の大切さを実感し、反省する時間でした。 <羨み顔〜うらやみがお> 羨むは「心病む」心が病んだ状態。 「羨」という漢字は、羊がごちそうを見て、よだれを流している様子を写したものだそうです。 羨ましいと思った時には、鏡の前でにっこり微笑んでみましょうよ。 4303
見上げるくらい高い所に、天使のラッパ(キダチチョウセンアサガオ)がたくさん咲いています。 見上げて撮影したので、お顔しか撮れませんでした。お顔だけだと、朝顔の面持ちですね。 名前の通り、全体像は、細長くラッパの形をしています。 天使が持っているラッパの形から、名前が付いたのでしょう・・・上手に名付けたものです。 薄黄色の花は、梅雨空を明るくしてくれます。 本日は、朝から大忙しの模様です。 文学館「女性作家の手紙展」→ランチのじかん→高校生の自立へのステップ講演会→地域と学校との懇和会・・・と夜まで続きます。 さぁ!6月最後の日を盛り上げましょう♪
『骸骨ビルの庭 下』宮本輝著 講談社 内容(「BOOK」データベースより) 育ての親、阿部轍正は、子供たちの一人、桐田夏美への性的暴行の汚名を着たまま、苦悩のうちに死んだ。真相を求めて、八木沢は夏美の行方を追う。過去の謎が謎を呼び、秘密は深まる。一方、八木沢はビルにもう一度畑を甦らせようと一人耕し始める。そして、小さな命が蕾をつけるとき、骸骨ビルの本当の意味が明らかになる。自分は何のために、そして、誰のために、生きているのか?心の奥底から溢れ出す人間への讃歌。すべての生きとし生けるものへ贈る感動の長篇小説。 ゆるやかに・・・様々な人が語るその時の話から、真相が明らかになって行きます。 その真相と庭での畑仕事が重なって行きます。 「生きる」ということは「生かされている」という感謝のもとに存在していることがこころに沁みてきます。 最後は、少し物足りなかった・・・気もします。 それでも、被害者のふりした加害者の夏美が、花に包まれて暮らす夢(家の後ろに桜並木がある)が叶っているところに、これからの夏美の贖罪の可能性を信じたいと思いました。