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ヨハネス・フェルメール

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ヨハネス・フェルメール
 昨日、紹介したヨハネス・フェルメール(1632−1675)の「手紙を読む女」である。この絵は、「ドレスデン国立絵画館」が所蔵している。手前に果物を入れている芙蓉手の大皿が描かれている。
 ご覧のように、昨日のヴィルヘルム・ハンマースホイとは構図も空間の遠近感も異なる。ただ、両者の写実には、画面に描かれている空間から漂ってくる独特な静寂さがあり、これが非常に似ている。この静寂さは、やはり、現在、渋谷にある東急文化村のミュージアムで行われているアンドリュー・ワイエスの絵にも感じることが出来る。ただし、ワイエスの場合、外の風景が多く、また、アメリカなので、フェルメールやハンマースホイのようなヨーロッパ的な暗さはなく、明るい。
 まあ、「ぜんぜんそんな静寂さは感じません。」と言われてしまえば、仕方がない。が、私は非常に感じ、それゆえに、両者の絵は非常に似ていると思うのである。
 さて、昨日、私が言いたかったのは、この静寂さではない。
 フェルメールが、芙蓉手の大皿を画面に描いたように、ハンマースホイもブルーフルーテッドのパンチボールと大皿(おそらく)を描いたのではないかということである。
 逆にいえば、なぜ、ハンマースホイは、ロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドを描いたのか。それも18世紀のブルーフルーテッドを。この作品は、1904年に制作されているので、当時、すでに1900年のパリ万国博覧会でグランプリを獲得したロイヤルコペンハーゲンの釉下彩の大壺でもよかったはずだ。また、同じく1900年のパリ万国博覧会で好評を得たビング&グレンダールのエフィーのグロテスクな大花瓶でもいいではないか。あるいは、19世紀末にアーノルドクローが再生産したブルーフルーテッドのパンチボールでも良かったのではないか。
 でも、やはり、このアールヌーヴォー全盛期の時代でも、デンマークの生活空間に誇りを持って飾れる陶磁器は、染付けのロイヤルコペンハーゲン製ブルーフルーテッドであり、そして、それは18世紀のものでなければ、いけなかったのであろう。
 こういう観点から見ると、フェルメールが描いた芙蓉手の大皿も中国製ではなく、デレフトではないかという気がする。でも、専門家は描かれた皿の薄さや光沢、表現されている質感から、中国の染付け磁器と鑑定している。おそらく、陶器ではなく磁器だということで、中国の青華だと判断しているのであろう。
 わたしは、計算高いフェルメールであるから、デレフトと考えてもよいと思うのであるが、当時のオランダは東インド会社を通して、経済的に世界を支配していたことを考えれば、中国の青華でもいいような気もする。

 まあ、どうでもいいことですね。
#アート #伝統 #文化 #芸術

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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2008-10-31 09:06

今はやりのフェルメールで、

我が蔵書にも絵画集が加わったわけだけど、
こういうふうに見ることはできないね・・・。

う〜〜〜ん・・・サスガダ!

文章長いとコメントも長くなるよな・・・(-。-)y-゜゜゜

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hiro
hiroさんからコメント
投稿日 2008-11-01 10:07

フェルメール画集買いましたか。

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KEIさんからコメント
投稿日 2008-10-31 10:21

どうでもいいことを書きます(笑)

どうでもいいことって割と大事だとおもうんですが。まあ本題。

画家って結構小物に凝りますよ。
ですからこのマチエール、全体の雰囲気で
19世紀末の再生産品はありえないでしょう。
特に光源が左上からのようですので、再生産品ではてかるのではないでしょうか?
それにこの絵のクラスを表す小道具でしたら18世紀なのでは?
フェルメールの場合もデルフトではなく青華だと思います。
フェルメールの場合、小物に絨毯や異国の高価なものを描く傾向が強いですよね。
そういう点からもデルフトでがなく中国物に1票!なんですが・・・。

ただ以前からの疑問で平織りではなく、厚みのある所謂絨毯をテーブルに掛けてある絵が多いですが
(折れているときの質感は平織りではありえません)
本当に絨毯をテーブルに掛けていたのでしょうか?
デコボコしてて使いづらいでしょうに。
しかもその上で紙に字を書いている絵まであり(下敷きのある絵もありますが直接もあります)
ありえん!!!と思うのですが、雰囲気作りでしょうか?

ほんとにどうでもいい話ですが・・・。

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hiro
hiroさんからコメント
投稿日 2008-11-01 10:08

雰囲気作りでしょう。

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risukoさんからコメント
投稿日 2008-11-03 09:48

おはようございます。みなさん、絵画にも詳しくて、凄いです。

minak83さんの芸術はパトロンなしでは
花開かない、感性の鋭い画家たちは、その作品内に描く小物にも見る側の眼を意識しているというご意見は、本当にそのとおりだと思います。(もちろん、違う画家さんもおりますが)感心したと同時に似た考えの方がいて、嬉しくなってしまいました。

ハンマースホイとフェルメール、もちろん構図や技法は違うと思いますが
空間に差し込む光の使い方が似ていて
似た雰囲気の画家達だなと私も
思いました。その時代の他の画家の絵に
お互い意識しあって、自分の絵に
真似をするのではなく、他の人の絵の
良い点を自分なりの解釈でプラスして
いく事は、ありえるのではないかと思います。ハンマースホイがフェルメールを
意識していたのではというhiroさんの
ご意見に私も賛成します。

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