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Discover Japan 美しい日本と私 お寺に泊まろう

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「DISCOVER JAPAN... 「DISCOVER JAPAN」 展覧会で再発見 今、何を見つけますか
産経新聞 2014.9.18
前回は、宿泊でお寺に泊まることが出来ると書かせていただきました。
改めて、もう少し詳しく書かせていただこうと思います。

2年目のキャンペーンと言うことで、かなり新しゅう取組が行われていることが窺えます。
丁度、国鉄ではマル生運動も始まった頃であり、若手の国鉄職員を中心に国鉄を変えようという意識があった飲も、今までの常識に囚われない増収に繋がったと思われます。

国鉄の部内誌、国鉄線昭和46(1971)年8月号から、長いですが引用させていただきます。

お寺の販売
最近の旅行はデラックスになりつつある反面、民宿や国民宿舎、ユースホステルを利用した旅行形態もふえている。また、女性週刊誌などにのっているように、若い女性の声として。"お寺に泊ってみたいというのも多い。そこで浄土真宗西本願寺派の寺院に宿泊する”お寺に泊る”販売を実施し、新しいディスカバーの旅の形として販売宣伝を開始した、その要項は次のとおりである。

  1. 全国で約250か寺にしぼった。

    西本願寺派にしぼったのは、ここには統一した組織があり、宿泊設備の改善、指導や、連絡などが徹底できるため。本年の実績をみて、来年以降ふやして行きたい

  2. 宿泊券(お寺券)は、東京、上野、新宿、大宮、名古屋、京都、大阪駅の旅行センターで取扱う。(お寺との販売契約は日本交通公社、日本旅行が行なった)

  3. 宿泊料金 1泊2食 1,350円

    食事は何品と定めてないが、郷土料理など特殊なものを提供するようにしている。(精進料理ばかりではない。)浴衣と洗面道具の提供はない。風呂はほとんどあるが、一部で付近の壇家のもらい風呂がある。朝のおつとめなどは強要しない

  4. 二名以上の女性のグループに限る。

    新しいムードづくりの対象になるのは女性であると考えられたからである。ただし、小学生までは男子でもよい。


ということで、女性の旅行需要を誘発しようとしていました。
お寺の販売
宿泊券のデザイン

ということで、お寺へ泊まってもらう体験を国鉄自らが置こうなったというのは非常に画期的なことであったと言えます。
当時は、アンアン・non・noと言ったファッション雑誌が全盛のころで、独身女性同士の旅などがやっと一般化してきた頃でした。



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Discover Japan 美しい日本と私キャンペーンと国鉄

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万博輸送その後の計画されたキャンペーン

国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始されました

このキャンペーンの目的は、経済成長により可処分所得が増えたことや、万国博覧会を経て、個人旅行の機会が増えたこと等から更なる旅行者の誘発を目的に昭和44年10月頃~考えられました。

キャンペーンは、昭和45年1014日から始まりましたが、この時初めて売り出されたのがミニ周遊券でした。

それまでの周遊券は、オーダーメイド形と言われるもので、旅慣れない旅行者には手続きが煩雑でした。

そこで、昭和45年10月からは、「ミニ周遊券」と呼ばれるもので、全国9箇所をの周遊値を指定して発売されました。




翌年からは、本格的なキャンペーンの開始
翌昭和46年には更に実質的に商品に結びつけることに重点を置いて推進する積極的なキャンペーンが7月から12月にかけて行われました。
以下に列挙してみたいと思います。


  • 美しい日本と私71の執筆依頼


  • 現代の71人の人たちに「思い出に残る土地と、そこでのできごと」について執筆をお願いし、北はオホーツクから南は指宿までのなかでの思い出の土地を選んでもらい、これを"美しい日本と私"と題して旅への呼びかけを行なう(71にしたのは、今年が1971年であるため。)この71を基本にして、一般へは"71人の人たちは、このような旅と、思い出を持っています"あなたなら、どのような旅をしますか?"といった呼びかけをして旅へのムードをもりあげる。

  • "美しい日本と私71箇所の駅長招待旅行の実施"


  • "美しい日本と私71の思い出に残る土地のもより駅長が、地元観光協会、旅館組合等の協刀を得て、その地へ旅してみたいという人々をグループで招待する。これは、遠くの駅長が旅行に招待してくれるという期待を持って、はがきを出す」という全国的なDISCOVERJAPANムードのもりあげをはかる企画で。官製はがきに応募要項を記載してもより駅長あて投函することにより招待旅行に応募の権利をつかむというもの、7月1日から9月20日(消印有効)間で多数の場合は抽選によることとしている。一箇所について3組(1組は4名以内)のグループを1泊2日ないし2泊3日の旅行に招待するが、現地での行程は駅長が観光協会等と協議してきめたものとしている。なお、全国各地からの応募があるので、招体内旅行のさいの行程は、当選者国鉄もより駅から順路によることとし、途中、特急、急行利用と指定』車、B寝台車は提供することにしている。招待旅行の交通費は国鉄負担、宿泊、観光地めぐりは地元負担で実施する。

    駅掛ポスターを作成

  • ミニブック"美しい日本と私71"の発行


  • 71人の人たちに書いてもらった「思い出に残る地と、そこでのできごと」の短編(3000字程度)と、その地にふさわしいカラー写真をのせたミニブック"美しい日本と私71"という小冊子を発行、駅の売店や、旅行あっ旋業者の窓口、一般書店で発売。新書版(約60ページ)、定価1OO円

    これら"美しい日本と私71"一連の周知宣伝は、従来どおりマス媒体を含めた各種媒体を使って進めているが、とくに駅長招待旅行の応募要領についてはBO版(B全版の二枚連続)駅掛ポスターを作成し、これに71箇所の写真ともより駅名、住所、郵便番号を掲載した。

  • 駅スタンプの増備


  • 駅スタンプの増備

    昨年10月、駅スタンプを整備して、全国的にスタンプムードをもりあげたが、各地から増設の要望もあったので、7月1日から23駅と2個列車(特急さくら、上・下)を追加した。これにより、駅スタンプの数は全国で1357となり、このほか船11、列車8となっている。〔追加駅〕蒲田、桜木町、松田、伊那大島、玉島、日生、茶屋町、道後山、香椎、原田、篠栗、石原町、伊田、後藤寺、新飯塚、新田(東北本線)、屋代、六日町、万座・鹿沢口、大河津、伊達紋別、夕張、岩内

    他にも、女性限定ではあるが、浄土真宗西本願寺派のお寺【全国250箇所限定】で宿泊できるキャンペーンが実施された、女性2名以上での宿泊限定で、食事付きとなっていました。
    浄土真宗西本願寺派のお寺【全国250箇所限定】で宿泊できるキャンペーンが実施された

    お寺に泊まるプランを国鉄が発売していたというのは実は、今回こうしてblogを書いていて初めて気づきました。

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    輸送の近代化と輸送力増強

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    D51形蒸気機関車 D51形蒸気機関車
    首都圏から蒸気機関車引退
    新鶴見操車場から横浜港を結んでいた、高島貨物線が電化されるのに伴い、それまで使用されていた蒸気機関車が廃止になることに伴い、昭和45年10月10日、11日、18日に東京駅~横浜港間をD51形蒸気機関車が牽引する旅客列車が走りました。
    東京駅に、蒸気機関車が入線するのは、13年ぶりだそうで、客車6両を牽引してD51791号機が走ったのでした。

    夏期の当日の記録を残した貴重な写真が上がっておりましたので、リンクを貼らせていただきます。

    東京でサヨナラ蒸気機関車東京でサヨナラ蒸気機関車
    上記動画:引用 NHKアーカイブス

    この運転を最後に首都圏では一足早く蒸気機関車が姿を消すことになりますが、むしろ昭和45(1970)年まで、東京付近に蒸気機関車が残っていたことの方が驚きです。
    むしろ、地方の方が無煙化は早く進んでおり、昭和34年に全通した、紀勢本線の最後に開通した、三木里駅 - 新鹿駅間 (12.3km) を含む紀勢東線区間は開業当初から無煙化されており、トンネルは多いものの旅客が煙に悩まされることはありませんでした。

    輸送の近代化に着手
    コンピューターを取り入れた運転情報システムの構築に取りかかり、運転計画伝達システム(オペラン-D)と呼ばれるシステムが、昭和45年10月(詳細な府は不明)から開発が始まりました。
    弊サイト、国鉄があった時代から引用します。

    オペラン-Dに着手


    年々増加する需要と社会構造の変化などにより、輸送には即時的、列車には質的な要請が高度化してきている
    しかし運転計画から実施にいたるまですべてを人手により処理しており業務の複雑化と所要時間の増大化を来しているのが現状のため、国鉄ではコンピューターを取り入れた運転情報システム(オペラン-A~H)の開発を進めており、今回、運転計画伝達システム(オペラン-D)を実施することになったもの
    オペランDとは、主要現場機関に与えられる運転条件の変更、指示をコンピューターを用いて迅速、正確に選択し、伝送するシステムで、このシステムの完成により、従来現場で達示の整理のため局報から所要事項を抜すい、転記していた業務が大幅に軽減されることになる
    今回の計画では、このオペランーDを東海道沿線32動力車区で実施することとなったもので、工事は今年度から着手し、47年度には完成する、なおオペラン計画はAからHシステムまで8種類あるが、これらオペラン計画の推進により、運転業務は大きく前進するものと期待される→注:オペラン計画は、昭和46年からスタートしましたが、昭和48年に中止されています

    なお、これについては下記のような記事が有りましたので、引用させていただきます。
    その原因としては、マシン処理能力が低く、使用対象範囲の拡大につれて計算機処理が追いつかなくなり、入出力機器も未発達で、実務に供するには無理があったこと?列車の運転時刻データという重要データを持たなかったため、大きな効果が表れなかったこと?対象線区以外は従来業務のままであるが、列車は線区をまたがり走行するため、現場での効果が少なくなり、現場の協力姿勢が得られなかったことなどが挙げられている。
    出典 輸送計画のシステム化の歴史と列車運行に関わる情報の標準化の重要性について―JR西日本における輸送業務近代化の取り組み―


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    万博輸送その後 新快速電車の誕生

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    万博輸送その後 新快速電車の誕...
    万博輸送後のダイヤ改正
    大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。
    期間中の入場者数は、6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)であり、当初目標が3000万人であったので大成功を収めました。
    国鉄も、輸送力増強で応えた他、茨木駅を万博東口として、バス輸送を行ったほか、新幹線の16両化、12系客車に見られる、波動用客車の増備などが行われました。
    12系客車の話はまた別の機会に詳しくさせていただきますが、15年ぶりに製造された一般型客車であり、6両1ユニットで運用される客車で、冷房装置が付いた車両でありもっぱら急行用に利用されました。
    車体の基本構造は、上下2段式の窓や2枚折り戸など同時期に製造されたキハ65とよく似ていました。
    国鉄としては、こうした万博輸送に向けて増強した輸送力を活かすための方策が幾つか考えらることとなりました。
    その一つが、新快速電車の誕生でした。

    新快速電車の誕生
    新快速電車の誕生
    新快速電車は、万博輸送用の快速電車として投入された車両を使用して増発されることとなり、当初は京都~西明石間に1時間一本の割合で運転されることとなり、京都~西明石間を1時間20分で結びました。
    当時は関東から転属の113系冷房改造車が投入されました。
    当時の時刻表には下記のような説明文が書かれています。
    ただ、国鉄本社は新快速という名称ではなく、特別快速にしたかったようですが、最終的に管理局が押し切ったようです。
    ただし、10月号の時刻表では、本文が「新快速」ではなく、「特別快速」と書かれています。11月号からは「新快速」の表記かと思いますが手元に昭和45年11月の時刻表がないので確認ができません。
    本文が「新快速」ではなく、「特別快速」
    Discover japan(美しい日本と私)キャンペーンの始まり
    そして、もう一つ国鉄が充実させた輸送力を活かすために考えたものが、Doscpver Japanキャンペーンでした。
    駅頭にDiscover Japanと書かれたポスターが貼られ、駅にはスタンプが用意されていました。
    an・anと言う雑誌が発行された頃もこの頃で、女性の社会進出、女性同士の旅行などが増加していった時期でも有りました。
    今でも、youtubeで見ることができますが、当時の情勢のファッションなど見ることができます。
    こうした新しいキャンペーンは、国鉄の強化した輸送力を吸収するのに上手い具合にマッチしてくれました。


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    万国博覧会と旅客輸送 第二話

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    ユニークな万博列車、名古屋から... ユニークな万博列車、名古屋からのエキスポ号に加えて、万博号が運転されています。
    河瀬発、新大阪、姫路発、茨木止と言うユニークな列車に注目
    ユニークな臨時列車
    万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。
    国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています

    当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。
    時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。
    同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。
    これ以外にも、上り列車としては、16:30 茨木発 河瀬着18:18、万博4号、21:21 茨木発、河瀬着22:47 万博6号 下り列車としては、他に、茨木発 16:17、姫路18:14 万博3号、茨木発 21:17、姫路着 23:10の三往復が運転されていました。
    また、名古屋始発のエキスポ号が陰転されていました。こちらは快速電車ですが、「全車指定席となっていました。
    河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する
    国鉄線という雑誌の記事を引用したいと思います。
     大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。

    となっています、また、「快速電車の茨木駅臨時停車」として、当初は臨時扱いだったそうです


    万国博覧会その後
    万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します。
    この新快速に関しては、本社は「特別快速」の名称を使わせたかったようですが、大鉄局が押しきった形となりましたが、時刻表の表記は間に合わなかったのか、特別快速と書かれています。

    茨木駅と快速停車
    茨木駅の快速停車は、万博終了後は正式に、停車駅として認知されることになりました。
    万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します

    北大阪急行の廃止と延伸
    北大阪急行は、万博終了後の経営が懸念されていましたが、万国博覧会会場に通じていた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)については、万博終了後の翌々日に失効すると言うことで、仮駅の千里中央~会場までの約三kmの路線は廃止されました。
    元々、中国道の路盤を借用していたものであり、撤去工事の費用は道路公団の予算で行われたほか、鉄道建設費は万博輸送で償却できたため、現在でも初乗りが100円と非常に安い鉄道となっています。
    建設当初は、万博終了後は赤字になるのは必至だからとして、大阪市交通局が難色を示したと言うのも笑い話のようです。

    1970年(昭和45年)

    2月24日:南北線・会場線 江坂 - 万国博中央口間 (9.0 km) が開業。
    9月14日:会場線 分岐点 - 万国博中央口間 (3.6 km) が廃止、南北線 分岐点 - 千里中央間 (0.5 km) が開業

    阪急の駅廃止と駅新設

    もう一つの万博への会場アクセスであった阪急千里線に、南千里と北千里駅の間に、万国博西口駅が開設されました。
    この駅は、現在の山田駅より北側に400m程行ったところで、現在は跡地は駐車場になっています。
    ちなみに、山田駅が開業するのは、昭和48年11月23日でした。

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    万国博覧会と旅客輸送 第一話

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    万国博覧会と旅客輸送 第一話
    日本万国博覧会とは
    日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。

    輸送計画の概要
    万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思います。
    当時の資料を参照しますと、
    万国博覧会の訪問者は

    国内日本人  48,980,000人

    • 近畿    27,500,000人

    • 近畿圏以外 21,480,000人


    外国人 1,020,000人

    • うち訪日外国人   740,000人

    •   在日外国人   280,000人

    と推定されていました。

    現在と比べますと、訪日外国人の数は非常に少ないのですが、なお、交通網に関しては、大阪地下鉄の延伸、国鉄、阪急による鉄道輸送と自動車による輸送が想定されていました。


    当時の資料から直接引用させていただきます。
    参照、交通技術昭和45年1月号、万国博輸送についてから引用

    ■万国博会場への交通網
     万国陣の会場は、大阪市の中心から北東へ約15 kmのところに千里ニュータウンと隣接して所在し、広さ約100万坪、中央口を始め東口・西口・南口・北口と5つのゲートを有します。国鉄 茨木駅から西方へ茨木駅前道路を経て2.2 km、阪急京都線、茨木市駅から同じく茨木駅前道路を経て3.5 kmで会場東口にいたり、南茨木駅からは中央環状道路を経て4.3 kmで万博中央口にいたる。会場の西駅を阪急千里山線が走り、臨時に設けられる万国博西口駅と陸橋で会場西口と結ばれる。会場のすぐ東側を名神高速道路か走り、吹田インターチェンジが新設される大阪国際空港からは。中央環状道路を経て釣10 kmで会場中央口にいたる。中央環状道路は。会場を東西に横断しており、西側へは中国縦貫道と並行して池田市にいたり、会場の東側へは、名神高速道路と吹田インターチェンジで立体交差し、近畿自動車道と平行して南下し、大阪市の外周を取り巻き、各衛星都市を貫通し、堺市にいたる大阪高槻京都線。国道1号線、大阪生駒線・阪奈道路。国道25号線、国道26号線など大阪市内から京都・奈良、和歌山など他府県へ伸びる放射軸道路を結ぶ基幹的な環状道路である。
             中略
    いわゆる万国博急行といわれる北大阪急行電鉄は、現在、新大阪駅に乗り入れている大阪市地下鉄1号線が御道筋と平行して北上し、江坂まで延長されるが、この後を受けて、上新田にいたり、そこで右折して中国縦貫道の道路敷の片側を占用して会場中央口にいたる鉄道である。(上新田~会場間は万国博終了後撤去される)。以上が移換したように万国博への交通網は、鉄道・道路とも網の目のように整備される。もちろん、空の玄関である大阪空港・海の玄関である大阪港・神戸港も整備される。


    となっています。

    国鉄の動き
    国鉄は、大阪に向かう万博利用者のその多くを引き受けることとなるため、新幹線脳輸送力増強、臨時列車の増発等が行われました。
    特に、ゴールデンウィーク以降は、利用者が急増し、ゴールデンウィーク及び夏休みにはエキスポこだまなる、なんともユニークな列車が上りのみ運転(下りは回送)されました。【詳細は後述】

    阪急電車の動き
    阪急電車では、千里山線の南千里と北千里の間に、万博西口駅が臨時で設けられました。
    なお、この当時は現在の「山田駅」は誕生していません。
    現在、東寺駅があった付近は駐車場となっており、駅から西口まで歩道橋で結ばれていました。

    北大阪急行電鉄の建設
    北大阪急行電鉄は、昭和42年6月28日に運輸大臣、通産大臣、大阪府知事、大阪市長、及び阪急社長の5者会議で建設が決定したもので、は大阪市営地輸送が不透明であったことから、最終的には、政府・府・市などの強力なバックアップの元にという条件で、阪急の子会社として設立されました。
    実際には、建設費の殆どが万博輸送で償却できたほか、東西線(万博中央口から千里中央仮駅間の撤去費用は、高速道路建設の一環として行われたため負担がなかったことも有り、現在も初乗り100円という非常に安い運賃が実現されています。)

    以下は、次回以降に書かせていただきます。
    ユニークな臨時列車

    日本万国博覧会の決算

    万国博覧会その後
    茨木駅と快速停車

    北大阪急行の廃止と延伸

    阪急の駅廃止と駅新設
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    ヨンサントウ改正、波動輸送の確立と特急列車新設

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    昭和43年の改正では、波動輸送... 昭和43年の改正では、波動輸送に備え事前にダイヤが設定された。
    ヨンサントウ改正では、波動輸送について特に注意が払われました。
    それまでの臨時列車は、いわゆる、「盛りスジ」と呼ばれるもので、既に出来上がったダイヤの隙に押し込む形で臨時列車を設定するようになっていました。
    この方式だと、同じ急行列車であっても、途中駅で後続の定期急行列車に抜かれたり、単線区間では普通列車を交換待ちすると言ったことも起こりえるわけで、列車としての価値は低くなるのでした。
    そこで、ヨンサントウ改正では、当初から波動輸送が見込まれる線区には当初から定期列車と同じように設定しておくことで、臨時列車の質を高める工夫がなされました。
    以下は、紀勢本線のダイヤですが、臨時列車が予定臨として、定期列車とほぼ同じダイヤで運転されています。
    例えば、改正前の週末臨時列車の「急行しらはま」は、「急行きのくに」 に統合された上でスピードアップも果たしており、定期列車と所要時間も変わっていません。
    昭和43年9月時刻表

    「急行しらはま」と異なり、停車駅も整理されてスピードアップしており、定期列車と遜色はありません。

    昭和43年10月時刻表


    このように、波動輸送の整備を図ったのは、ヨンサントウの改正が最初でした。


    また、この改正では中京地区に2本の特急が同時に誕生しました。
    1本は、高山本線を走る特急で、急行ひだ2号を格上げする形で設定されています。
    急行時代は、富山~名古屋間でしたが、「特急ひだ」は、金沢~名古屋間に延長下にも関わらず、1時間ほどスピードアップしているので、金沢始発の時間は、急行ひだの富山始発の時間と変わらぬ6:45発、(急行時代は富山6:47発)で、名古屋到着は11:57【急行時代は名古屋着12:00)であり、食堂車非連結の6両編成で、1両が1等車【現・グリーン車】で半室が指定席というこぢんまりとした編成でした。
    また、もう一つの列車は、「特急しなの」こちらも、「急行第1しなの」を置き換えたようなダイヤで、名古屋始発が急行時代より20分遅い8:40、長野着は12:51で急行時代より50分ほど時間短縮されています。
    新製されたキハ181系の堂々9連で、食堂車・1等車を連結した堂々とした編成でした。
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    ヨンサントウ改正、東北本線輸送改善と北海道連絡

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    東北本線にも進出した583系 東北本線にも進出した583系
    国鉄の部内誌などを参考にして、ヨンサントウ改正の記述を見ていきたいと思います。

    ヨンサントウの改正で、もう一つの目玉はやはり東北本線でしょう。
    東海道線と比べると、近代化も遅れ気味でしたが、盛岡~青森間が複線化・電化開業で近代化は一気に進み、昭和42年に月光がたでデビューした583系電車が東北路を走ることとなりました。

    電車化により、キハ81で運転されていた「はつかり」は、上野~青森間は8時間30分と大幅に短縮されることとなり、現行の「はつかり」と比べると1時間54分の短縮でした。
    これは、電車化の高速化以上に、複線化による待避等の時間がなくなったことも大きいと思われます。
    ちなみに、昭和33年に「はつかり」が客車列車で誕生した頃は、12時間ほどかかったそうですから、僅か10年の間で3時間半も短縮されたことになります。

    北海道連絡に関しては、東北本線の列車のうち。下りゆうづる2号並びに、上りゆうづる1号に接続する特急はないとされています。

    実際に、時刻表で確認してみますと、下りゆうづる2号は、青森9:35 青森発10:00発の19便が接続しており、北海道では急行すずらん2号、ニセコ2号が接続する形になっています。
    北海道連絡に関しては、東北本線の列車のうち。下りゆうづる2号並びに、上りゆうづる1号に接続する特急はないとされています。


    時刻表で確認してみますと、下りゆうづる2号は、青森9:35 青森発10:00発の19便が接続しており、北海道では急行すずらん2号、ニセコ2号が接続する形になっています。
    同様に上り列車は、北海道内は、急行すずらん3号が、函館を14:50に出発し、青森駅に18:40に到着する、24便を受ける形になります、こちらは、19;00発の十和田3号と、青森駅で45分待ちで19:25発のゆうづる1号が受ける形になっています。

    これは、特急用気動車の配転の関係だそうで、次回の電化完成により捻出される気動車を北海道に転出待ちのため、急行で代用しているとしています。
    なお、奥羽本線からの特急日本海は、青森11:50着、12:15青森発の21便と、特急白鳥は同じく、青森 23:40着、00:05青森発の11便が受けており、それぞれ、北海道では、日本海が、北斗2号が、白鳥は、特急おおぞらが受ける形となります。
    余談ですが、白鳥ですと、大阪が8:30発で、札幌は翌朝8:50となっており、通しで乗車すると、24時間20分列車に乗りづめと言うことになります。
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    ヨンサントウ改正、大幅な見直しが行われた、四国島内のダイヤ

    スレッド
    ヨンサントウ改正、大幅な見直し...
    国鉄の部内誌、 交通技術の昭和43年9月号の記事を見ていますと、四国に関しては、急行列車の行き違いを主要駅と複線区間で行えるように列車の配列を考えたと書かれています。
    以下、本文から引用させていただこうと思います。
    四国連絡網の整備
     ここらで四国連絡に目をむけてみよう。四国の列車ダイヤは、ネットダイヤを組んでフリーケンシーを主体とした輸送計画がなされているが、連絡船~宇野~山陽線と、多岐にわたる連絡はスムーズに行かない。そこで今回は白紙改正の効果を生かすべく、次のような順序でダイヤ作成を行なった。
     まず、四国線内のダイヤの形として、急行列車同士の行き違いが、主要駅と複線区間でできるように列車配列を考え、また、停車訳を養理して精密なネットダイヤを組み、これに合わせて、連絡船の運航を定め、宇野~山腸線の時刻も決定するなと優先的に列車設定を行なって、質的な向上をはかった。
     列車増発としては、山陽線で特急1往復、急行2往復、四国管内で急行2往復であるが。さきに説明したように根本的な改正によって、時分のバランス、接続の改善によって非常に便利なダイヤとなったばかりでなく、到達時分も大阪~松山間で平均30分の短縮となった。

    とあります、実際に、宇高連絡線のダイヤを参照したいと思います。
    昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ

    そして、こちらが昭和43年10月の、改正後のダイヤになります。
    昭和43年10月の、改正後のダイヤ昭和43年10月の、改正後のダイヤ

    急行列車 うわじま1号と足摺1号の時刻が入れ替わると共に、連絡船の運行時間が五分短くなっています。
    昭和42年9月の時刻表では、急行あしずり1号は、5:17でしたが、4:55と25分速くなっていますが、到着は改正前が佐賀着、11:01だったのが、10:04と30分所要時間が短くなっています。
    同じく、5:05発だった、急行うわじま1号は、うわじま2号に変更、(うわじま1号は、改正前の急行「いよ1号」を改称)出発時刻も、4:55と10分速くなったものの宇和島到着が10:42と改正前の11:07と比べると、15分短縮されています。
    さらに、宇高連絡線との接続時間が劇的に短くなり、ヨンサントウ改正前は、高松駅での連絡時間が、30分ないし40分だったのが、平均7分になっています。
    漠然と眺めていると気づかないものですが、改めてこうして時刻表を見ていますと、個々に変更されたダイヤがあることに気づかされます。
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    ヨンサントウ改正、強化された、関西対九州のダイヤ

    スレッド
    昭和43年9月の時刻表から 昭和43年9月の時刻表から
    今回から、しばらくはヨンサントウこぼれ話として、何回かに分けてアップしたいと思います。

    一回目は、九州特急と新幹線を取り上げてみたいと思います。
    東海道新幹線の成功は、いまだ新幹線が開通していなかった東京~九州の旅行者のスタイルを変えました。
    特に前年に運転を開始した、月光と新幹線を使えば、前日の19:45に月光に乗車すれば、翌朝の9:10には東京に到着が可能になったわけです。

    この列車の設定には、当初はかなり危惧したらしいのですが、実際には連日好評であったと言うことで、国鉄では、「あさかぜ」を増発することになります。
    この増発された「あさかぜ」は、博多駅を14:50とかなり早い時間に出発する列車でしたが、東京に7:30に到着できるダイヤで、広島~東京間のビジネス利用を想定し手設定されていました。
    これにより、広島からのビジネス客は、月光以外に、もう一つ19:00台に出発する寝台列車で乗り換えすることなく、東京まで行けるチャンスができたわけです。
    さらに、この改正では、1時間ヘッドで寝台特急を設定し、時間帯には、最高4本の急行列車を挿入して、対九州の利便性は大いに強化されました。
    飛行機が一般的でなかった時代ですから、寝ている間に移動できる寝台列車は非常に魅力的と言えました。

    また、開業以来好調な新幹線も20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築されました。【それまでは、2-2ダイヤ】これにより、対九州のダイヤは大幅に強化されたのです。【実際には、昭和42年のダイヤ改正で3-3パターンは出来上がっていたのですが、ヨンサントウでは、その時間帯が朝夕のみからほぼ全ての時間帯に拡大されました。(2018/11/4 追記)
    【それまでは、2-2ダイヤ】

    20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築
    その反面、ヨンサントウ改正までは、東京から直通で走っていた急行列車が1本に減少、それまでは、10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりましたが、これは臨時列車で毎日運転する列車ではありませんでした、改正前に11:10【桜島】のダイヤは、そのまま、霧島・高千穂となりいずれも西鹿児島行き【高千穂が日豊本線経由】、霧島は鹿児島本線経由でした、余談ですが、後に、この霧島は、桜島を名乗ることとなり、最後の東京発客車急行として新幹線博多開業前まで残ることになります。
    10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりました昭和43年9月のダイヤ、東京発の定期急行が3本走っている。

    ヨンサントウの改正では、東京~九州間の輸送力が大幅に強化され、特に大阪では、夕方から寝台列車がそれこそ、18:19 :発の西海1号・べっぷ2号を筆頭に、18:28:始発の「あかつき1号」西鹿児島・長崎行き、季節列車の「桜島」、「雲仙1号」、18:58:始発の「べっぷ3号」大分行き、19:13着 19発の東京始発の:・高千穂が到着、19:28 :始発の「彗星」宮崎行き、その7分後には季節列車の「月光1号」博多行き、19;48には、急行「西海2号」佐世保行きが大阪から出発、更に20:06 :駅から急行「日南」宮崎行き、季節列車「ことぶき」(新婚さん専用列車)、20:28:始発、明星と言った具合で、翌2:39のあさかぜ2号まで、延々と寝台列車が西下していったのです。
    大阪駅は憂国から深夜までは、寝台列車のゴールデンタイムだった
    寝台列車ファンにしてみれば、羨ましい限りかもしれませんが、当時は高速バスもなく、飛行機も一般的でなかった時代にあっては、こうした長距離の列車は必要不可欠のものでした。
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