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万国博覧会と旅客輸送 第一話

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万国博覧会と旅客輸送 第一話
日本万国博覧会とは
日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。

輸送計画の概要
万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思います。
当時の資料を参照しますと、
万国博覧会の訪問者は
国内日本人  48,980,000人
    • 近畿    27,500,000人
    • 近畿圏以外 21,480,000人
外国人 1,020,000人
    • うち訪日外国人   740,000人
    •   在日外国人   280,000人
と推定されていました。
現在と比べますと、訪日外国人の数は非常に少ないのですが、なお、交通網に関しては、大阪地下鉄の延伸、国鉄、阪急による鉄道輸送と自動車による輸送が想定されていました。

当時の資料から直接引用させていただきます。
参照、交通技術昭和45年1月号、万国博輸送についてから引用

■万国博会場への交通網
 万国陣の会場は、大阪市の中心から北東へ約15 kmのところに千里ニュータウンと隣接して所在し、広さ約100万坪、中央口を始め東口・西口・南口・北口と5つのゲートを有します。国鉄 茨木駅から西方へ茨木駅前道路を経て2.2 km、阪急京都線、茨木市駅から同じく茨木駅前道路を経て3.5 kmで会場東口にいたり、南茨木駅からは中央環状道路を経て4.3 kmで万博中央口にいたる。会場の西駅を阪急千里山線が走り、臨時に設けられる万国博西口駅と陸橋で会場西口と結ばれる。会場のすぐ東側を名神高速道路か走り、吹田インターチェンジが新設される大阪国際空港からは。中央環状道路を経て釣10 kmで会場中央口にいたる。中央環状道路は。会場を東西に横断しており、西側へは中国縦貫道と並行して池田市にいたり、会場の東側へは、名神高速道路と吹田インターチェンジで立体交差し、近畿自動車道と平行して南下し、大阪市の外周を取り巻き、各衛星都市を貫通し、堺市にいたる大阪高槻京都線。国道1号線、大阪生駒線・阪奈道路。国道25号線、国道26号線など大阪市内から京都・奈良、和歌山など他府県へ伸びる放射軸道路を結ぶ基幹的な環状道路である。
         中略
いわゆる万国博急行といわれる北大阪急行電鉄は、現在、新大阪駅に乗り入れている大阪市地下鉄1号線が御道筋と平行して北上し、江坂まで延長されるが、この後を受けて、上新田にいたり、そこで右折して中国縦貫道の道路敷の片側を占用して会場中央口にいたる鉄道である。(上新田~会場間は万国博終了後撤去される)。以上が移換したように万国博への交通網は、鉄道・道路とも網の目のように整備される。もちろん、空の玄関である大阪空港・海の玄関である大阪港・神戸港も整備される。

となっています。

国鉄の動き
国鉄は、大阪に向かう万博利用者のその多くを引き受けることとなるため、新幹線脳輸送力増強、臨時列車の増発等が行われました。
特に、ゴールデンウィーク以降は、利用者が急増し、ゴールデンウィーク及び夏休みにはエキスポこだまなる、なんともユニークな列車が上りのみ運転(下りは回送)されました。【詳細は後述】
阪急電車の動き
阪急電車では、千里山線の南千里と北千里の間に、万博西口駅が臨時で設けられました。
なお、この当時は現在の「山田駅」は誕生していません。
現在、駅があった付近は駐車場となっており、駅から西口まで歩道橋で結ばれていました。
北大阪急行電鉄の建設
北大阪急行電鉄は、昭和42年6月28日に運輸大臣、通産大臣、大阪府知事、大阪市長、及び阪急社長の5者会議で建設が決定したもので、は大阪市営地輸送が不透明であったことから、最終的には、政府・府・市などの強力なバックアップの元にという条件で、阪急の子会社として設立されました。
実際には、建設費の殆どが万博輸送で償却できたほか、東西線(万博中央口から千里中央仮駅間の撤去費用は、高速道路建設の一環として行われたため負担がなかったことも有り、現在も初乗り100円という非常に安い運賃が実現されています。)
以下は、次回以降に書かせていただきます。

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