全国新幹線鉄道整備法公布に伴う、全国新幹線網の決定
3月
25日
全国新幹線鉄道整備法は、日本全国に高速鉄道(新幹線を建設しようという構想で、現在の整備新幹線構想の基礎となっているものです。
決定までの流れ
当時の政府が掲げていた、「経済社会発展計画」に呼応して国鉄が太平洋岸縦断新幹線(盛岡~博多間〉を提案したのが始まりで、その後以下の時系列に示すように、計画が修正、肥大化して行きました。
- 昭和41年9月 経済社会発展計画(目標年次昭和47年)に対応して、経済審議会社会資本分科会に国鉄は「太平洋縦断新幹線(盛岡~博多間〉」ならびに「首都圏高速鉄道網」の構想を提案し、その計画に織り込まれた
- 昭和42年9月 国鉄は、自民党都市政策調査会に総延長約4,500kmの全国新幹線鉄道網、総延長約560kmの首都圏高速鉄道網の構想を説明、都市政策大綱(1968年)に基幹交通体系の建設として具体的に採用
- 昭和43年2月 全国新幹線鉄道網の構想を具体化するための法律、および、-建設資金の調達方法などに関する調査を促進するため、国鉄は本社内にと幹線調査室を設置
- 昭和44年5月 総延長約7,200kmと想定される全国新幹線鉄道網の計画および構想を織り込んだと新全国総合開発計画が閣議決定された。
- 昭和44年6月 第48回鉄道建設審議会で「新幹線鉄道網整備のための法律案を次期通常国会へ提出ずることを目途にする」ことが決議
- 昭和44年9月 自民党国鉄基本問題調査会および同交通部会の合同総会では、総延長約9,000kmの全国新幹線鉄道網を昭和60年までに総額約11兆3,000億円で整備することおよびその他整備に関する基本方針を決定
- 昭和45年3月 第50回鉄道建設審議会で全国新幹線鉄道整備法(案〉要綱決議
- 昭和45年4月 自民党鈴木善幸衆議院議員ほか16名提出による全国新幹線鉄道整備法案が第63国会に上程され審議が開始
- 昭和45年5月 参議院において同法律が可決成立し、昭和45年5月18日、「法律第71号」として公布され、6月18日より施行されることとなった。
交通技術 1970年8月号を参考に作成
最初に決定したのは、上越新幹線・東北新幹線・成田新幹線
昭和46(1971)年1月18日、上越新幹線・東北新幹線・成田新幹線の基本計画が決定され、同日、運輸大臣から国鉄、鉄道建設公団に調査命令が出されました。
同年4月1日、整備計画が決定されて、
上越新幹線兎成田新幹線は、鉄建公団が、東北新幹線は国鉄が直轄で建設することになりました。成田新幹線も空港付近の駅舎建設がスタートしますが沿線住民の反対などもあり、結局成田新幹線は建設されず、現在はJRと京成が乗り入れる路盤に活用されているのはご存じのとおりです。
その後も、整備新幹線に関して多くの調査指示が出され、昭和47(1972)年6月29日には、北海道・東北・北陸・九州新幹線の基本計画が決定され、国鉄及び鉄道建設公団に調査命令が出されています。
ただ、国鉄は新幹線建設にあたっては、
i )建設資金の調達、政府出資および利子補給
ii〕経営に対する補助
などが必要であるとし、道路建設に対する税制上の特別措置、地下鉄建設に対する国の助成、空港や港湾の整備、住宅建設など社会的な必要性の大小により順次所要の措置がとられてきているといえるので公共的に重要な使命をもち、社会的要請ーの強いプロジェクトである新幹線建設なので、資金面および経営上の必要な措置がなされるものと考えられる。
としているのですが、実際の東北・上越新幹線の建設に際しても、国からの新幹線に対する助成はなく(以下訂正、新幹線の建設に際しては助成金及び利子補給などの措置は取られていますが、建設費用全額を国が負担したという井訳ではありませんので、開業後に財政投融資屋鉄道債券の償還などに追われることになりました。)
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