万国博覧会と旅客輸送 第二話
12月
27日
万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。
国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています
当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。
時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。
同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。
これ以外にも、上り列車としては、16:30 茨木発 河瀬着18:18、万博4号、21:21 茨木発、河瀬着22:47 万博6号 下り列車としては、他に、茨木発 16:17、姫路18:14 万博3号、茨木発 21:17、姫路着 23:10の三往復が運転されていました。
また、名古屋始発のエキスポ号が陰転されていました。こちらは快速電車ですが、「全車指定席となっていました。
国鉄線という雑誌の記事を引用したいと思います。
大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転する。
となっています、また、「快速電車の茨木駅臨時停車」として、当初は臨時扱いだったそうです
万国博覧会その後
万国博覧会が終了した、10月には、ダイヤ改正が行われ、新快速が運転を開始します。
この新快速に関しては、本社は「特別快速」の名称を使わせたかったようですが、大鉄局が押しきった形となりましたが、時刻表の表記は間に合わなかったのか、特別快速と書かれています。
茨木駅と快速停車
茨木駅の快速停車は、万博終了後は正式に、停車駅として認知されることになりました。
北大阪急行の廃止と延伸
北大阪急行は、万博終了後の経営が懸念されていましたが、万国博覧会会場に通じていた会場線(東西線、万博線とも呼ばれた)については、万博終了後の翌々日に失効すると言うことで、仮駅の千里中央~会場までの約三kmの路線は廃止されました。
元々、中国道の路盤を借用していたものであり、撤去工事の費用は道路公団の予算で行われたほか、鉄道建設費は万博輸送で償却できたため、現在でも初乗りが100円と非常に安い鉄道となっています。
建設当初は、万博終了後は赤字になるのは必至だからとして、大阪市交通局が難色を示したと言うのも笑い話のようです。
1970年(昭和45年)
2月24日:南北線・会場線 江坂 - 万国博中央口間 (9.0 km) が開業。
9月14日:会場線 分岐点 - 万国博中央口間 (3.6 km) が廃止、南北線 分岐点 - 千里中央間 (0.5 km) が開業
阪急の駅廃止と駅新設
もう一つの万博への会場アクセスであった阪急千里線に、南千里と北千里駅の間に、万国博西口駅が開設されました。
この駅は、現在の山田駅より北側に400m程行ったところで、現在は跡地は駐車場になっています。
ちなみに、山田駅が開業するのは、昭和48年11月23日でした。
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