ポートランドで見つけた虹
良く見ると2重となっている
「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。
それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。」
創世記9章13節
大洪水で地上の息あるもの全てが滅ぼされた後に
ノアとその家族は箱舟から出て来ました。
先ずノアがしたこととはなんでしょう?
それは神に礼拝を捧げることでした。
大洪水の中で数ヶ月間、箱舟に揺られながらいのち守られた感謝と
新天地でのこれからの新しい人類再出発の導きを祈ったことでしょう。
その時、神はノアと契約を結ばれました。
その契約には条件が付けられてなく
「わたしが代々にわたって結ぶ契約」と言われたものです。
その契約のしるしとして「虹」を立てられたのでした。
虹を見る度に思い起こします。
かつては大雨で地表を覆う大洪水となり、人が滅ぼされたこと
だが神は大洪水で人を滅ぼすことはないこと
神の守りと支えが今日も与えられていること
私たちの永遠の将来まで保証してくださっていること
これらを「契約」形式にして確かなものと批准されたこと
その契約は今も生きていて有効なこと
神の愛のさらなる確かさは、主イエスが結んで下さった「新しい契約」で完成したこと
虹を見る度に期待と希望に溢れます。
虹は神の栄光の顕れ(シャカイナ・グローリー)を表徴しています。
ポートランドのお気に入りパスタ・レストランでランチ
「人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも
知ってはいないのです。」
第一コリント8章2節
聖書を学ぶ楽しさは尽きない。
時を忘れて気づけばお昼になっていた、という事もある。
航海で水平線の向こうに都市が見えて来て
その街がどんなものかを知ろうとする探究心に似ているかもしれない。
創世記に書かれている人間と歴史のはじめについて、
歴史の最終段階はどう推移するのか、、、、
このようなことは神が啓示された書からでないと
人間には知る由もない。
これらのことを「知った」として喜ぶとき、
留意せねばならないことがある。
冒頭の聖句には、「知った」と思った瞬間、
「知らなければならない」ことを「知っていない」ことがあり得ると教える。
同章文脈は偶像に捧げた肉を扱う問題で、
偶像の神は存在せず、それゆえ肉を食べたからといっても汚されることにはならない、
という点が論じられている。
この知識を持つのは信仰に進んだ強い人であるが、
その知識に至らない弱い人を考慮せよ、というのが論点である。
知識を持ったから何だと言うのだろう?
その知識を誇るとしたら、これほど醜いものはない。
ソクラテスは、
「正しい知識とは、知っていない者であることを知ることである」と言った。
またニュートンは、
自ら発見した科学法則は神が宇宙を運行している全体から比べれば
砂浜の砂粒一つに過ぎないと言っている。
「無知の知」を極めた人たちの言葉である。
「私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。
しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」
同章1節
日本語訳は分かりやすくするために、
言葉を補ってくれている。
英語は原文に忠実に簡潔に訳している。
単純明晰であるだけに心に刺さるものがある。
Knowledge puffs up,
but love builds up.
シュークリームは、
英語ではクリーム・パッフ(Puff)という。
知識を誇るとは、そのような空っぽのままで膨れ上がった状態。
愛がなくては意味がない。
愛こそが家庭を建て上げ、
教会を建て上げ、
国を建て上げるものだ。
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