12日間の聖地旅行ハイライト
1月
9日
今回もナザレが忘れられない感動の訪問となった。
その感動が頂点に達した場所や内容は毎回異なる。
先回までの2回の訪問では、
何れも半日ほどの時間を費やして巡礼の定番となっている著名なナザレの教会堂群を巡った。
最初の訪問時はハーベストタイムの中川健一氏がガイドだった。
豪華極まるフランシスコ会の聖誕告知教会の後に行った、
シナゴーグ教会が忘れられないものとなっている。
当時の旧市街マーケットは殷賑を極めており、
その賑わいをかき分けるようにして進み、
雑踏の中に現れた静謐な空間、
そこで主イエスがイザヤ書預言の成就を宣言された聖書箇所が
中川氏によって解説された。
2千年の時空を飛び越えてリアルな聖書世界が再現した。
中東最大で最大級の華麗な装飾を誇るフランシスコ会設立の聖誕告知教会。
そこは聖母マリヤの生家があったとされる洞窟の真上に祭壇が位置している。
ここでは早朝からミサが行われており、今回部分参加させて頂いた。
同じ敷地にそこから50メートルほどしか離れていない場所に立つのが
ヨセフの家。
結婚後のヨセフが
幼子イエスとマリヤとともに生活されたとされる洞窟の家の上に立つ教会。
聖誕告知教会程の華麗さはないが、
堅牢で単純な構造がその史実の確かさと相まって、
聖家族の生活の様子を彷彿と蘇らせてくれる。
ところで、「彷彿と蘇らせてくれる」精神作用は、
一人で単に黙想していて得られるものではない。
先回のナザレ訪問ではガイドとしてお世話いただいた
柿内ルツ氏によるところが大きい。
2千年前のナザレ村の一般家庭の生活がどのようなものであったか、
豊富な史料に裏ずけらた史実から簡潔に再現され、
その上で「神の一人子が人となって来られた」という聖書メッセージが
ナザレという時空の一点でどのように実現していったかを解説された。
私たち参加ツアー参加者はその時、
ヨセフの家の真上に造られた小さなチャペルで礼拝の時を持ったが
新約聖書世界の現実が目の前に色彩と立体感覚をもって
リアルに再現されて来るようで
涙が留めなく流れるのが抑えられなかった。
今回の一人旅ではそのような聖書メッセージに耳を傾けたり、
濃厚な聖霊様のお取り扱いをじっくりと戴く機会は残念ながら得られない。
許されている時間内で可能な限りの史跡を巡り、
そこで得られる見聞からの情報を集積することに主眼を置いて来た。
さて、ナザレ市内の案内地図を眺めていると、
これまで行ったフランシスコ会による聖誕告知教会以外に
もう一つの聖誕告知教会があるのに気がついた。
ギリシャ正教会が設立したもので、
フランシスコ会の教会前の坂道道路を数百メートルほど登ったところにある。
そのギリシャ正教教会の敷地隣、数十メートルの至近距離に
マリヤの井戸と呼ばれる遺跡がある。
現在は枯れて水は流れていなかったが、
天使ガブリエルからメシア懐妊の御告げをマリヤが受けたとされる場所である。
同正教教会の祭壇は、
教会入り口から地下へと進む階段を降りていったところにあり、
そのマリヤが水を汲んだとされる場所の上に位置している。
そこは水が延々と流れていた。
これらの大聖堂群やシナゴーグ教会を含めて
ナザレにある全ての史跡を巡るのに要した時間はわずかに1時間足らず。
団体行動でないため訪問数をこなす効率としては
申し分なく良い。
朝8時にホステルを出立した時間帯では観光客は誰もいなくて、
どの史跡に行っても待ち時間はゼロだったことも以前の訪問時と異なり、
スイスイ気分で進んでいける。
ただ、それぞれの史跡が意味するところや、
そこから抽出される霊的なレッスン、
そこから湧出して来る霊的な感動を他者とシェアし、
そして共有するといった醍醐味は犠牲とせざるを得ない。
一人旅で得られるプラス面と
決して得られないマイナス面とである。
そんな今回の一人旅であったが、
最大の収穫ポイントとなったのは、
地元に生活されるナザレのアラブ人との交流であった。
旧市街でビジネスを営む個人経営や家族経営の零細商店主を
紹介しながら交流するというツアープログラムが朝9時から始まった。
大使(地元民からそう呼ばれている)役を務めてくれるのがリンダさんで、
その小柄な初老の女性が溢れんばかりの熱量を放出させながら話を始めると
たちまちにして地元の商店主を虜としてしまい
私たち初対面のツアー客にも心開かせ、即時に友人に変えてしまうという
魔法を見ているようであった。
数時間をかけて5軒ほどの旧市街にある商店を巡る。
ハッカやスナックの製造所、工芸品の販売店、ジュエリーの制作兼販売店、お土産販売店、コーヒー販売店など。
商店主の話されることはそれぞれ異なり、代々とビジネスを受け継いで来た経緯、商品の解説から仕入先や流通経路、昨今の景気の流れ、ナザレにやって来た先祖や現在の家族の様子など、
社会情勢から個人的なことがらに至るまで、まさに友人のようなもてなしを頂きながら
尽きない興味ある話に引き込まれていく。
最長老の土産物店の店主は祖父がパレスチナ国王だった人の子孫で、
その国王が当時のオットマン帝国 にどのように処刑されてしまったか、
1950年代までのナザレには電気や水道等のインフラはなく
古代と同じ生活形式であったことなど、
古い白黒写真を見せながら話してくれる。
リンダさんが激しくハグして励ました相手は
まだ年若いジュエリー店主の女性。
精巧ジュエリー作りに愛着を持ちながらも
子育てと両立させる生活をいかに戦っているかを涙ながらに話される。
彼らはビジネスや生活のそのままを率直に紹介するだけで
それら商品を我々に売り込むことは決してしない。
そこで、製作されたジュエリーの値段を自ら聞いてみた。
米国で売られているのと比べてかなり安い(と思う)。
「私の娘に 、お土産としてこれを買いたいです」
と私が衝動買いを申し出ると、
それがきっかけとなって他のツアー客も購入を始める。
ジュエリーなんて私には興味なく、
相場も知らず、
今まで買ったこともないが
彼女が数日間かけて丹精に作り上げたそれは
長女の首に似合いそう(^○^)
「貴方は彼女をどれだけ祝福したか知らないはずよ。
彼女は昨日何も売り上げがなくて、ひどく落ち込んだいたのよ」
店を出た後、リンダさんがこっそりと私にそう告げた。
リンダさんはそのような大使役をボランティアで続けてすでに7年目になるという。
かつて一度に数十人を引率する程の盛況ぶりであったが、
昨今の政情不安を受けてこの日は10人ほどの参加者。
数週前は数人だけを引率した日も続いたそうだ。
孤児院で育てられたという米国人の彼女は
ここナザレにすっかり惚れ込んだあと、
移住してしまい、
今では地元にすっかり溶け込んでいる。
ナザレにある孤児院を支援する仕事もして、
ツアー最後にはそのための献金を捧げる恵みも与えらた。