この日はニュージャージにある日本人教会牧師のN先生と一緒にランチをしました。
お話しをしながら、今回が初めて会うものでないことが分かりました。
私たちは約30年ほど前にすでにいちどだけお会いしていたのです。
それも今回のその日まで、お互い気付かずにいました。
私は当時高校2年生、N先生は高校3年生。
そこは東京都大島で開かれた高校生クリスチャンキャンプでした。
忘れもしません、そのキャンプで私はイエス様を信じ受け入れる決心したのです。それまでの私の生き方とは全く違う価値観にひどい躊躇や戸惑いを覚えながらの、よろよろのクリスチャンとしての出発でした。
一方N先生は牧師家庭にお生まれになられ、聖書教育を幼い時から与えられて大変うらやましい環境にいるなぁ、と高校生ながら憧れたものです。
ところが当時の先生もまた激しい葛藤や試練の中を通られていて、はっきりとした信仰を抱くのは大学生になってから、との事でした。
キャンプで数日間同室だっただけですが、数年間を学窓で過ごした友との同窓会をしたような、大変楽しい時を過ごすことができました。
私にとり高校時代に主イエス様に出会えたことが何にも勝る宝です。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(聖書)
今晩は長女のカリキュラムナイトに参加しました。
中学生の彼女の学校では科目ごとに教師が変わります。
ここまでは日本と変わりないでしょうが、この学校では教室は科目ごとに設定されていて教師はそこにとどまります。生徒が各教室を渡り歩くことになっています。
そこで私たち父兄も各教室を訪問して、各教師からそれぞれ15分間の教育施政演説を伺うことになりました。
科学、フランス語、社会、英語、数学、コンピューター、オーケストラの各教室を巡り終えたらすでに2時間が経過していました。
どの先生も情熱を持ってクラス運営されておられるのが良くわかり、私も明日からこの学校で中学生となって学びたくなりました。
真っ先に大反対するのは長女自身でしょうけれど。。
この日の夜、妻と長男の通う小学校へ行ってきました。
年に一度の「カリキュラム・ナイト」と言われるもので、担任教師と父兄たちとのクラス懇談会に出席のためです。
教師の教育に対する姿勢や、何を重視しているのかという価値観、成績のつけ方やクラス運営の実際方法など、あらゆる点をそれぞれの教師がその教室で父兄たちに説明する40分ほどの集いでした。
いわば年度初頭の教育指針演説、といったところでしょうか。
真剣に子供と向き合うその教師の情熱を感じることができたし、理解してもらうための工夫や共同生活するうえでの互いを尊重する価値観などには共感できました。
その教師は学力を伸ばすことに熱心な点でも学校で高い評価を得ている方です。
長男にはふさわしい教師であると、うなずいた夜となりました。
人は楽をしようとすればどこまでも怠惰になれます。
子供が訓練なしにセルフコントロールを取得することなんてあり得ません。
訓練なしに育ってきた私がたどり着いた結論でもあります。
写真は、その教師がクラスに張ってある「能動的参加チェックリスト」です。
クラスで挙手や発言など積極的な参加ができた生徒をチェックするもので、生徒の答えの正誤は問題にされません。ある程度たまるとピザなどのご褒美が与えられるようです。
「若者を(子どもを)その行く道に ふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない。」(箴言22:6)
今週から新学期が始まった。
小学4年生となった長男は、学校が好きになれない。
毎朝、重たい気持ちで起きてきて「学校へいかないと行けないの~」と聞く。
彼は米国で流行のNinjyagoの大ファン。
漢字で「忍者」の意味を説いた。「忍耐する者なのだ」と。
するとNigagoに出てくる忍者KAIはどれほど忍耐がないかを説明しだした。
そのエピソードの物語をとうとうとまくし立てる。
忍耐なくても忍者になれる妥当性を説得しているようだ。
ヤレヤレ。
FBの友人が、「忍」とは、「心」の上に「刀」を乗せた緊張状態とコメントしてくれた。
それも彼に説いてみると、
「それじゃ、死んじゃうジャン」
なんとも諦めが早いことよ。
先ほど家族総出で長女を迎えにシアトル北部まで行ってきた。
8日間のキャンプを終えた我が子を迎える家族たち数百人が控えている駐車場。
そこに大型バス4台に便乗した子供たちが帰還してくる。
どの家族たちも熱くハグを交わしながら感情的だ。
私も涙を抑えることができるか、心配になった。
バスのタラップを降りて姿を現した長女。
いつの間にやら変わっていた。
大人になっている。
家内の次にハグをしても、私ほど感激していない。
「Daddyに会えなくて、さびしかったでしょ」
「いや~ べつに」
あっさり。
別の種類の涙が出そうになった。
彼女の座席の窓を私がジャンプしてハイタッチしたことも、「恥ずかしかった」と厳しいおことば。
「あなたからはすでに離れたわねえ」と家内のおことば。
つい昨日までおしめを取り替えていたと思っていた。
こんな日がいつか来るのはわかっているつもりであったが、こんなにも早いとは。
独立していく我が子を見て頼もしくは感じない。
さびしく感じるばかりだ。
日本からお客さんをお迎えしてともに夕食。
その方は2年ほど前、留学中に当ホサナ教会にしばらく出席され、KID’S TIMEでも子供たちに紙芝居等をしてくれました。
久方ぶりに食卓に日本語が通うことになりました。
「さあ、今日は日本語でお話しようね」
「僕、わからないモン」と長男。
忍者のことには詳しいが、その他のこと、ことに勉強系のことにはからっきし興味を示さない彼。
日本語をかなりわかっているはずなのに、わからない振りをしていることも今晩判明しました。
この夏の山形の小学校でも、先生に言葉がわからない振りをしながらそれ以上に学習を進ませない戦術を使ったとか。。
その面の知恵が働くのも、父譲り?!
それなら思い切って、日本に一人だけで通年留学させちゃうぞよ、カイ君。
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