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One Heart シリーズSonship②アイデンティティ

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アマゾンの例のバナナ配りですが... アマゾンの例のバナナ配りですが。最近ユニフォームを着ておられます。どうやら、バナナを渡す人たちのことを、バリスタならぬ、「バニスタ」というようです。。。。しかも、12 の背番号です。これは、シーホークスのサポーターというこてでしょうか。。。。いろんな意味で、パロってます。 日曜日は、エリックの誕生日祝い... 日曜日は、エリックの誕生日祝いを教会で。好物のバナナケーキをグルテンフリーで作って持っていきました。。。図らずも、メンズテーブルになってます。。。
2016年8月21日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/JYXPsXiKdKc

一つ心、一つmindのコミュニティの中で、欠かせないことがあります。それは、英語では、Sonship と言いますが、日本語では、「子であること」です。子であることがなぜ、一つになることにおいて重要なのでしょうか。二週間前は、「孤児の心」のことを話しました。子であることが分からないと、私たちは、交わりを避けるようになり、真の人間関係よりも、自分が何かを達成することによって、人に認められたい、また人に受け入れられようとします、あるいは、人の優位に立って、グループの中で自分のアイデンティティを保とうとします。。このような、力が働いていては、真のコミュニティを築くことができないのです。

今日は、「子であること」パート2ということで、父と子の関係、父なる神の子であるあなたの独自性について話してみたいと思います。

★誰が神の子であるのか

父なる神の子、イエス・キリストを信じるだけで、私たちは、神の子となる特権が与えられる。それは、罪の生き方をやめる決意であり、キリストが自分の罪の刑罰として身代わりに十字架にかかってくださったことを信じることです。

ヨハネ1:12 

12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 But as many as received Him, to them He gave the right to become children of God, to those who believe in His name:

と、ある通り、キリストによって私たちは、神の子とされるのです。

○神の家族の交わりに入れられる

神の子となり、神の家族の一員となった私たちには、天のお父さんを「アバ、父」(おとうちゃん)と呼ぶ霊が心に宿ります。そして、三位一体の神が互いに交わっているように、家族の交わりの中に入ります。

Ⅰヨハネ1: 3

私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。3 that which we have seen and heard we declare to you, that you also may have fellowship with us; and truly our fellowship is with the Father and with His Son Jesus Christ.

Ⅰヨハネ1: 7

7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。7 But if we walk in the light as He is in the light, we have fellowship with one another, and the blood of Jesus Christ His Son cleanses us from all sin.

「一つ」となることについて話してますが、真の交わりのためには、一人一人の罪が解決し、光の中を一人一人が歩んでいなければならないことが分かります。これは、何も努力して修行をして罪を絶対に犯さない完ぺきな人間になってから、というのではありません。恥を明るみにだして、ありのままの自分で、罪を取り去るキリストに信頼して光の中を歩むことです。その時に、私たちの間に隠れる恥が無くなり、私たちは、ますます一つになるのです。
―――バンデージブレーキングとアカウンタビリティーグループの例

○キリストと共同相続人となる。

ロマ8:14-17  14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。14 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God, 17 and if children, then heirs—heirs of God and joint heirs with Christ, if indeed we suffer with Him, that we may also be glorified together.

天の霊的財産はキリストによって私のものとなった  

私たちの身分は、一気に変わります。キリストと天の共同相続人となるのです。私たちが稼がなかったものを私たちは受けるのです。天では、すでに「キリスト=あなた」とみなされているのです。しかし、私たちがいつまでも生まれたての赤ちゃんでは、この相続財産を有効活用することができません。赤ちゃんは相続が決まっているけれでも、親は、現金を全部赤ちゃんに任せたりはしませんね。私たちは、どのように子として、成熟していったらいいのでしょうか。そこが問題となっています。

まず第一に

★子であることに充足していること

そこに、充足しているか。Doing < Being これが分からなければ、主の働きをするのが難しい。

私の経験; 孤児の心を持っていた私は、何もできなくなるくらいに疲れ果てたことがあった。そして、ただただ毎日神様の癒し、父なる神様の懐で休むことだけを目標にするしかない時期があった。そんなとき、一人の傷ついている人が私の目の前に来て、目があった瞬間に、その人が泣き出した。一緒に泣いた。そして、何と、不思議なことにその人の心がそれ以来癒されたのだ。。。

父なる神の懐にとどまるパワフルさを初めて経験した一瞬だった。

★イエス様の子としてのモデル(模範)

Everything that Jesus did, He did as a son to a father – this is the life and the lifestyle to which we are to be conformed. (John Alley)

私たちの人生の目的は、キリストを信じたときから、キリストの追従者となりましたね。そして、一番のゴールは、キリストのように生きることとなりました。イエス様はどんな風に地上を生きてくださったのでしょうか。

イエス様は、彼の神の子としてのアイデンティティを生涯全うされた。わたしはこれを喜ぶといわれ、また、荒野での試みでは、アイデンティティをことごとく試された。十字架にかかる時にも、最後まで独自性を失うことがなかった。
何かを成し遂げる以上に、何者であるかを自分が知り、つかみ、離さないところに強さがある。

私たちは、自分の神の子である独自性の中に安息を見出し、そして、充足してこそ、自分のミニストリーを全うすることができる。

その上で、父なる神に従ったイエス様

キリストは、自分のエゴをいかす生き方はしなかった。すべて、父なる神の心とともにあり、父なる神の時に従った。父のしていることをし、父のいるところにいると言った。

ヨハネ5: 19

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。19 Then Jesus answered and said to them, “Most assuredly, I say to you, the Son can do nothing of Himself, but what He sees the Father do; for whatever He does, the Son also does in like manner.

マルコ14: 36

またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」36 And He said, “Abba, Father, all things are possible for You. Take this cup away from Me; nevertheless, not what I will, but what You will.”

イエス様は、わたしを見たものは父をも見たのです。。。と言われるほどに、父と心を一つにしていた。父の心を知り、父について行くイエス様、そのイエス様について行くというのが私たちの生き方なのです。父の心と一つになることが鍵となります。。。また、これが、子の成熟の鍵でもあります。

子である資質については、次の週でお話しします。

#キリスト教 #クリスチャン #教会 #聖書

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主は私の羊飼い。The Lord is my shephard

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今週は、たくさんのホライズンフ... 今週は、たくさんのホライズンファミリーがシアトルに里帰りしました。不思議です。まるでみどりさんのメモリアルに合わせるかのようにしてみなさんシアトル入り。礼拝では、ちえちゃんと、みわちゃんが証しをしてくれました。神様の愛に感動。感動。とてもパワフルな祈りの時にもなりました。こうしてシアトルの教会に帰ってきてくれること、私たちにとって大きな祝福です!!
2016年8月14日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/5J4-1lZ-V5Q

昨日は、私たちの愛するみどりさんのメモリアルサービスでした。昨日のメッセージを準備している中で思い浮かんだ言葉は、なんと、三年前のみどりさんの快気祝い証し会の時のみ言葉と全く同じでした。神様に、とらえられて、持ち運ばれたみどりさんの人生がみ言葉を指ししめしていたことを改めて覚えました。今日は、そのみ言葉の一つ詩篇23篇をご一緒にメディテイトしていきたいと思います。

詩篇23篇

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。The Lord is my shepherd; I shall not want.
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters. 
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

この詩篇は、イエスキリストの十字架を示す詩篇22篇と、再び来られるイエス様を指し示す、詩篇24篇に挟まれています。詩篇23篇は実に、今ある私たちのためのイエス様と私たちの生き方を指示しています。

羊について;

羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近いくしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が門となって眠ります。

V1  主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。

羊の説明からも、羊には、羊飼いがいなければ、えらいことになるということがわかりましたね。詩篇23のはじめに、「主は、私の羊飼い。」とあります。「私の」羊飼いとあるとおりに、羊飼いとの個人的な出会いが私たちには、必要です。私たちは、迷いやすく、また弱いので、守ってくれる羊飼いが必要なのです。でも、誰が私の羊飼いか、知らなければ、さらに迷ってしまいます。
あなたの羊飼いは、誰でしょうか? あなたは、私の羊飼いと言える方にもう出会いましたか?

V2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。He makes me to lie down in green pastures; He leads me beside the still waters.

人にはみな名前があります。そして、私は、個人的にそれらの名前は、神様から来ていると信じています。みどりさんの名前は、いつも、この場所から取られたのだと思っています。神様は、目が見えず、方向音痴で、どこに私たちを生かす食べ物かわからない私たちをちゃーーんと、導いて、そして、豊かなみどりの牧場で十分食べさせてくださるかたなのです。肉体的にも、霊的にも養ってくださいます。

V3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。He restores my soul; He leads me in the paths of righteousness For His name’s sake. 

病は、気からという言葉がありますが、私たちの心に元気がないと、体まで病気になってしまいます。また、いくら体が元気でも、心が元気でないなら、私たちは、何をしてもうまく行きません。みどりさんは、最後の三か月、大変解放されました。癒しを経験し、解放を経験しました。それも、神様の御名のために、イエス様がそう導かれたのです。義の道というのは、神にあって正しい道。イエス様の道です。神との和解、人との和解、自分自身との和解の道です。その道は、赦しの道であり、赦された喜びの道であり、心の問題の清算の道です。私には、負いきれない心の問題だ。しこりだと思うことがあるかもしれません。しかし、御名のために、それがなされます。あなたにかかっているのではなく、神の上にその責任がかかっているのです。神はまた、あなたをそうして義の道に導き自由にしたいと思っておられるのです。

4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil; For You are with me;Your rod and Your staff, they comfort me.

みどりさんは文字通り死の陰の谷を肉体的にも精神的にも通られた方でした。しかし、そんな中で、ともにいて下さるイエス様を見つけられました。がんの治療をしている時から、私はもうすべて神様にお任せしているの。。。とおっしゃっていました。

あなたのむちとあなたの杖。。。。羊は、物覚えも悪いので、あらぬ方向に行ったりしてしまいます。そんなとき、目の見えない羊に、羊飼いは、ピシッとむちをやります。そっちじゃないよ、こっちですよ。と。また、アンルーリーな羊には、ぐいっと杖で首根っこを引っ張り引き寄せます。どうしょうもないおてんば、暴れん坊には、仕方なく、足を折って、肩に担いで旅を続けたりします。崖から落っこちたり、群れから外れてオオカミに食べられるよりは、けがをさせても、羊飼いの肩に担がれて運ばれている方が安全だからです。

近視眼の私たちは、痛みを嫌がったりしますが、ダビデは、主の矯正は、慰めである。とさえ言っています。

5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。You prepare a table before me in the presence of my enemies; You anoint my head with oil; My cup runs over.

自分に敵がいる時ほど、心が落ち着くことはありません。食欲だってありません。戦いの時は、いつも腰を落ち着かすこともできません。しかし、この個所は、当時のミドルイーストの客のもてなし方だそうです。私たちの羊飼いイエス様は、戦いの最中にあっても、私たちのために、食事を用意し、仕え、そして、私たちを歓迎いて、客人のもてなしの一つである、頭に油を注いでくださるのです。そして、私たちの人生は、私たち主導の、いつも戦いの中で、切るか切られるかの、striving なものではなく、主にあっては、主がすべてを握っておられて、また祝いのパーティの席の様だというのです。

あなたは、何に対して、がんばって戦っていますか? これは、主の戦いであって、主がすべてをカバーしてくださってることを知りましょう。

6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。Surely goodness and mercy shall follow me All the days of my life; And I will dwell in the house of the Lord Forever.

羊飼いは、先頭をきって普段は羊を導いているようですが、私たちの羊飼いは、後ろからも追いかけてくる羊飼いです。私たちは、神様の声を無視して、神様から離れて忙しくしてしまうことがありますが、神様は、いつもいつくしみと恵みをもって私たちの後ろを追いかけてまでくれる方です。どこまでも、神様主導の祝福の道なのです。

みどりさんも、天の永遠の家に帰りました。永遠にいつまでも、主の家に入られました。私たちもこの恵みの家に住まいましょう。

もう一度いいます。誰があなたの羊飼いでしょうか?

主はわたしの羊飼い。私は乏しいことがありません。 主との個人的な出会いをまず求めましょう。また、日々求めていきましょう。


#イエスキリスト #キリスト教 #教会 #礼拝 #聖書

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愛する故みどりさんメモリアルサービス

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スピーチされた皆さんの共通の言... スピーチされた皆さんの共通の言葉は、笑顔の素敵なひまわりのような方だと。。。その通りのお写真です。このときは、まだがんで余命宣告された時からそんなにたってないころの写真です。
バイブルスタディ後のお顔。。。
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天国で、また会いましょうね。私たちが行った時には、いろいろと案内してくださいね。みどりさん。
みどり松岡コアさんは
1948年12月2日 東京で生まれ
1991年2月2日に マイケル・コアさんとご結婚されました
1992年にシアトルに引っ越してこられました。
先ほど、みなさんのスピーチでもあったように、
ご自分でビジネスをされたり、日本語教師を長年されたり、新聞社で働いたり、日本語のブリスクールで教師をしたりと本当にタレントのある方で、多くの人に関わりのあった方です。
2016年8月2日に 天のイエス様のところに召されました。

私は、このホライズン日本人教会の牧師、貴子モルガードです。みどりさんと知り合ったのは、みどりさんに肝臓がんが見つかり三か月と余命宣告されたころでした。2011年のことでした。教会に癒しの祈りを受けに来られたのがきっかけで、教会に集われるようになりました。

日本でも、幼いころからおばあさまに連れられて教会に通っておられ、中高生のころには教会のピアニストもされていたそうで、讃美歌がお好きな方でした。
年齢、文化、関係なく幅広く人間関係を持たれる方で、誰にでも愛される笑顔の素敵な女性でした。

今回、突然の脳梗塞、突然のお別れのように私たち人間の側では感じてしまい、別れの準備ができていなかっただけに、寂しくつらい気持ちがします。
みどりさんが召天された時、主人と座って祈り、みどりさんと過ごした6年間の教会生活を思い起こしていました。

そして、いくつかの神様からのメッセージを受け取りました。まず第一には、

① 神様の恵みは私たちの思いと願いを超えてはるかに強く、大きいということでした。

聖書の中に、
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」』“I will never leave you nor forsake you.” ヘブル13:5

と、あります。その、神様の力強い御手を感じるできごとがありました。

余命宣告をされ、教会に来られ、がん治療が始まりました。それから、もう肝臓は移植の道しかないということで、移植のリストに登録しました。二年半、とうとう体力もなく、数回、昏睡状態に陥る状態になりました。何か月も入院していて、食べ物も水分も受け付けず、がりがりに痩せてしまいました。ホスピスの手配も終わりました。
病室もいつ行っても暗く、見舞いに行ってもみどりさんの意識のないことの方が多かったです。私も、もうこれは持たないかとあきらめていました。

しかし、神様の奇跡が起き、病院を変えたところ、みどりさんの命を救いたいというお医者さんに出会い、そして、奇跡が重なり、なんと肝臓と、腎臓を移植するという大手術になりました。そして、長い手術とその後の病院生活、リハビリも乗り越え、元気に生活できるようになりました。

通常の生活に戻って、一年、みどりさんは、証の会を開きたくさんの方を教会に招いて、祈りサポートの感謝をされました。そして、彼女は、「これからは、神様の素晴らしさを証ししながら生きていきたいです。」と言っておられました。

神様の大勝利をみんなで見ました。本当に、移植前のことが信じられないほどの元気な姿に感動しました。

「祈りの力は、すごいわよ。祈りはきかれるよ。」というのは、彼女の口癖になりました。

一か月ほど前に、礼拝前のランチに、みどりさんが何やら大きな箱をもってやってこられました。

“Thank you, God”

と文字の入った大きなケーキです。

「今日で私は、あの手術から三年なんです。もう、病院にも一年先まで行かなくてもいいの。みんなでお祝いしょうと思って。。。」
と。

私は、感動しました。もう三年たつのか。今まで、ぐんぐん元気になられて、私たちでさえ、あんな大きな手術をされたことを忘れかけていたのに。。。

② わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。Bless the LORD, O my soul, And forget not all His benefits: 詩篇103:2  
の聖書の言葉の通り、みどりさんは、「私たちに絶えず神様に感謝を忘れるべきでないこと」を教えてくれました。

この出来事から一か月ほどたった7/31の朝、みどりさんは脳梗塞で倒れられました。
礼拝前にマイケルさんからお聞きし、礼拝後すぐに数名で駆けつけ、病室で祈りました。とっても平安で、神様の臨在にあふれていました。次の日も、そうでした。三日目に、みどりさんは天国に召されて行きました。

みどりさんの癒しを祈っていましたが、そのニュースを聞いた時、神様の時について畏敬の念をもって理解しました。

思い返せば、この三か月、みどりさんは、たくさんのブレイクスルーを経験されました。

三年前には、肉体的なブレイクスルーを体験し、神様にあって守られて生活しました。けれども、心にかかるいくつかの心の重荷がありました。

それらは、長年彼女を苦しめていたものでした。そういえば、礼拝のあと、夜七時まで、みどりさんのお話しを聞いたこともありました。牧師ですから、いろいろな人生のできごとについて聞かせていただきました。

ある日曜日に、ゲストスピーカが来て、みどりさんに個人預言を与えられました。そして、その神様からの預言の言葉によって、彼女は完全に解放されました。彼女の魂が癒されたのです。彼女は、うれしさのあまり、お友達に電話をして解放の喜びを伝えたほどでした。

彼女は、教会学校で喜んで子供たちを教え、また、特別集会では、グリーターをし、喜びをもって神様に仕えることが出来ました。

彼女が召されたことを知ったとき、思いました。

「ああ、私たちの神様は、私たちの全人格の神様なんだなー。」と。みどりさんは、体が救われ魂が救われる経験をしました。

神様の側では、人の目から、外からではわからない、私たちの心の奥深くに触れて解放されたい神様である。それが、その人の道の完成形なんだ。。。ということに目が開かれました。


ルカ4:18-19 貧しいものに福音を伝え、心の傷ついたものを癒すためにイエス様は遣わされた
“The Spirit of the LORD is upon Me, Because He has anointed Me To preach the gospel to the poor;
He has sent Me to heal the brokenhearted, To proclaim liberty to the captives

みどりさんは、何も思い残すことなく、なんの心の傷や重荷もなく、喜んで、平安に天国に旅立つことが出来ました。

大きなメッセージを残してくださいました。

④  永遠への思い

そして、また、みどりさんに天国で会えるという希望を残してくれました。天国へのあこがれも私たちにくれました。天国を目指そうという気持ちを与えてくれました。

みなさん、心の中の問題は解決していますか?  イエス・キリストこそが私たちの体も心も全人的に癒しと解放をもたらしてくださる方です。

みどりさんは、彼女の人生をもってそれを証ししています。そして、それを神様からのメッセージとして私たちに残してくださました。

さぁ、イエス様のところに帰りましょう。これが、みどりさんのみなさんへの思いです。


#キリスト教 #命 #愛する人 #教会 #死 #聖書 #葬儀式

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愛する神様にある姉妹の召天

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病室で、みどりさんを見舞うチェ... 病室で、みどりさんを見舞うチェリーちゃん。。。一緒によく祈り、遊び、いい子にできました。
7月31日の礼拝前に、

私たちの愛する姉妹、みどりさんが脳梗塞で倒れたという知らせがご主人から入りました。

礼拝後、すぐに病院に駆けつけました。

それから、二日日間ずっと病室で祈りました。

とっても平安で、みどりさんは幸せそうにすら見えました。

三日目、夕方、チェリーちゃんのママが看ているときに、天に召されて行きました。

今週土曜日は、みどりさんのメモリアルサービスがあります。

ちょうど今、他州にいるホライズン日本人教会ファミリーがシアトル里帰り中で、数名おられ、日本からも来られ、

みどりさんと教会生活を共にし、三年前の大手術の病室に見舞った人たちもおられるので、なんだか、とても不思議な感じです。

土曜日に教会にいらっしゃる方々が、神様にあって祝福されますように。

日本のご家族は、先週小さな会を教会でもち帰国されました。

みどりさんを思うときに思い出される聖句です。

詩篇 23篇

1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

神様は、この聖句から、みどりという名前を彼女につけられたのだと思います。
この聖句は、図らずも、三年前に何度も危篤状態に陥ったときに、枕元で読み聞かせた聖句です。

このストーリーの続きはまた、メモリアルの後で。。。。


#信仰 #教会生活 #死 #聖書

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One Heart シリーズSonship ①孤児の心からの解放

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One Heart シリーズS... One Heart シリーズS...
2016年7月31日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/24jFML1Z5r4

一つ心、一つmindのコミュニティの中で、欠かせないことがあります。それは、英語では、Sonship と言いますが、日本語では、「子であること」です。子であることがなぜ、一つになることにおいて重要なのかでしょうか。

次の聖書の個所を読んでみましょう。ルカ15:11-32

11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

真のコミュニティを建て上げるために、またキリストの体が一つになるために、サンシップ/子であることが分からなければ、難しいのです。子であこと、については、しばしば、日本人教会でも語られて来ましたが、今週からシリーズで語りたいと思います。
まず、子であることはどういうことか。その初めについて話したいと思います。「子であること」が理解しにくい人は、きっとその反対、「孤児」である状態を説明したらよく理解できると思います。そして、子である資質について、話すためには、子として癒されている必要があります。今日は、神様が皆さんを癒しにまで持っていってくだされば、また癒しのヒントになればと思っています。

先ほど読んだのは、有名な放蕩息子の話ですね。

残念ながら、二人の息子たちは、素晴らしい父を持ちながら孤児の心をもって生きていたようです。

★ 罪→恥→分離/分裂

今まで、ワンネスの話しをしていますが、初めの人アダムとエバの堕落から、人間の頭に何が刷り込まれたか、どんな呪縛を受けているのか習いましたね。そうです。罪が入り、罪の結果呪いが入りました。

三つのマインドセットが入りました。1) 競争のマインドセット 2) 分裂のマインドセット 3) 永遠観の喪失

これらは、罪の力の働くところにおいて必ずむくむくと出てくるものなのです。この堕落から来たマインドセットが人生を動かしているのが孤児の心です。

この中で、弟も、兄も父に対して、孤児的なものの考えをしているのを見ることができるでしょうか。弟は、父を多くの人を雇っている事業主と思っています。自分は、ラッキーなことに血がつながっているから、財産がもらえる。財産だけもらって後は、好き勝手に生きよう。全く、父の心など構いません。父の心など知りたいとも思っていません。

兄はまた、好き勝手する弟に嫉妬し、父は自分が上手に事業を手伝っていればさえ幸せなんだと勘違いして生きていました。父は、たくさんの従業員の主人で、自分にとっても主人だとおもっていたのです。甘えることもできない、自分のことを知ってもくれない人だと勘違いしていたのです。

兄は、直接父に対して罪は犯していないが、心の中で罪を犯し、父を裁き、父の心から自分を離し、孤児の心をもっていたのです。

二人の息子とも、父の間に大きな溝がありました。それは、父が作ったのではありません。息子たちが勝手に父のイメージを曲げ、自分から溝を作ったのです。
これが、孤児的考え方なのです。孤児のマインドセットなのです。このマインドセットがある限り、私たちは、父なる神とも一つになれず、また、横のつながり、兄弟姉妹とも一つになることは不可能になってきます。

孤児は、罪から来る恥に根差したメンタリティ、子は、父なる神の豊かさ、愛に根差してるメンタリティ。罪を犯したら、自分を隠したくなる。これは、恥です。恥があると、人を避けたい。自分を隠したい。だから、神様との距離もできる。初めの人、アダムとエバのように、恥が自分を真の愛のコミュニティから自分を分離させる。

★孤児の心と、神の子の心

孤児と子の考え方の違い。パワーポイントの表を見る。上の写真にある表です。

孤児の生き方は、本当にしんどい生き方ですね。心に休みがありませんね。神様と離れた心、人生というのには、このように休み、安息がありません。。。ちょうど、放蕩息子が経験したように、奴隷のような気持の持ち方ですね。

★孤児根性からの脱却 悔い改め

この二人の息子に、今日読んだ個所で大きな変化がありました。それは、弟の回心です。弟は、お金持ちの立派な家に生まれながら、父の心を知らないがために、落ちぶれ、豚の餌を食べるようにさえなってしまった。その時、我にかえったのです。自分の姿に気が付き、父の懐に帰ろうと思ったのです。

★恥を栄誉に取り換える神の愛 

一番兄を怒らせたのは、他でもない、あのダメ弟が帰ってきて、なんと相続財産を持って行ったものにも関わらず、父が、靴を履かせ、指輪を与え、そして、最高の着物を着せました。

22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。22 “But the father said to his servants, ‘Bring out the best robe and put it on him, and put a ring on his hand and sandals on his feet.

私たちの神は、恥の中にいる私たちに手を差し伸べ、栄誉をもって私たちを迎え、恥から解放してくださる神なのです。

〇指輪…日本の実印のように、権威の象徴  〇良い着物…父の家のマントル。油注ぎ
〇サンダル履物…奴隷の身分からの完全な解放。奴隷の身分はみなはだしであった。これからは、はだしていなくてもよい。

私たちを変えることができるのは父の愛です。

今日、みなさんにお勧めします。父のもとに帰りましょう。先ほどの表にある、孤児の心が少しでもあると分かったら、私たちの創造主父なる神の懐に帰りましょう。天の父は、とても優しく、私たちを迎えてくださいます。






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ロバの子クラスピクニック

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子供たちは、岩に上ったり、噴水... 子供たちは、岩に上ったり、噴水をお尻で止めたり、することがいっぱい。。。。 わーーい。たのしーーーい。チー... わーーい。たのしーーーい。チーズ!
久しぶり、みんなのお気に入りのお友達、ウルトラマン君が二か月の日本訪問の後、来てくれました。久しぶりに遊べて嬉しいなーーー
この日は、もうすぐ帰国するさっ... この日は、もうすぐ帰国するさっちゃんが、みんなにお別れに来てくださいました。
さみしくなります。子供たちを愛していつも面倒を見てくれました。
また会おうね、さっちゃん。きっと今度会うときは、子供たちもうんと背が伸びていると思います。。。。
昨日は、ロバの子クラスでピクニックにいきました。

近くのシアトルセンターにあるプールに行きました。

冬は、プールではないんですが、夏は、みーーーんなここで水遊びしています。

浅いので、小さい子供たちも安心して遊べます。

お勧めのスポットです!

正確な場所は、キーアリーナの北となりにあります。
#キリスト教 #ピクニック #子育て #教会

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日本からのチーム来シアトル!

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日曜日は、大イベントがありまし... 日曜日は、大イベントがありました。日本からビンヤード教会チームが来てくださり、ミニコンサートやワーシップ、証をしてくださいました。
この写真は、日本からのチームの一員、もりさんがトランペットを吹いてくださいました。素晴らしかったです。
集会前準備の様子。。。あ、あか... 集会前準備の様子。。。あ、あかん、間に合わないーー。。。。結局やろうとしていたことは、間に合いませんでした。。。苦笑 全部で五人の方が、岐阜県や、神... 全部で五人の方が、岐阜県や、神戸から来てくださいました。
ワーシップリードは、まき子先生です。
たくさんの方々が遠くから来てく... たくさんの方々が遠くから来てくださいました。いつも神様のなさることは不思議です。予測していた人たちは来ないで、まったく知らないところから人々が引き寄せられてきました。 かおりさんのクラリネット演奏。... かおりさんのクラリネット演奏。こちらも、素晴らしかったです。 もりさんのトランペット もりさんのトランペット お天気もよく、会堂はこんな感じ... お天気もよく、会堂はこんな感じに。。。 日本からのチーム来シアトル! ビンヤードのワーシップ販売コー... ビンヤードのワーシップ販売コーナー。もりさんと、はるかさん。 この日は、ホライズンヒスパニッ... この日は、ホライズンヒスパニック教会も合同でともに礼拝しました。真ん中が日本からのまき子先生、両脇が、ヒスパニック教会牧師の、マービンとベティです。 最後に、集合写真ーーー遠く日本... 最後に、集合写真ーーー遠く日本から来てくださってありがとうございましたーーー
#Church #教会

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One Heart シリーズ男女 ⑤ 聖書の解釈

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日曜日のメッセージの時に使った... 日曜日のメッセージの時に使ったスライド。下の記事を読むときに役立ちます。しかし、これが一番最後にくると思ってアップロードしたつもりだったけど。。。。 日本から、もとシアトル留学して... 日本から、もとシアトル留学してホライズンに来ていた方が結婚してハニムーンで来てくださいました。月曜日にカヤックをしに近くのユニオン湖に行きました。とってもきれいな一日でした。 木曜日は、ロバの子ピクニックデ... 木曜日は、ロバの子ピクニックデーで、総勢二十人、ぞーろぞろシアトルセンターに遊びに行きました。チェリー姫がおにぎりをぱくついてます。彼女は、噴水に大はしゃぎでしゅうし、走り回っていました。が、かわいいちゃんは、水の音が怖くて、ずっとうずくまっていました。。。あは。人それぞれですね。笑 木曜日は暑い日で、たーーーくさ... 木曜日は暑い日で、たーーーくさんの子供連れさんが来ていました。また、八月にピクニックデーを計画しています。 日曜日は、教会員のみどりさんが... 日曜日は、教会員のみどりさんが、ランチタイムに大きなケーキを持ってきてくれました。彼女は、腎臓と肝臓を移植するという大手術、本当に死にかけたんですが、神様に奇跡的に助けられ今があります。今日は、三年快気祝いともう一年先まで病院いらずのお祝いです。感謝する心の素晴らしさを教えられたランチタイムとなりました。。。。。
2016年7月17日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/fwv_rSh0qVE

3. 1テモテTimothy2:1-15

 女が教えることを許すべきではない?
Should we not permit a woman to teach?

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ―私は真実を言っており、うそは言いません―信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。11 女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。13 アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。14 また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。15 しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。

★間違ったみ言葉の解釈の例

この個所はよく間違って解釈されて、教会生活に適用されているみ言葉の一つでもあります。罪の呪いと人間的な文化から、当時の文化や、パウロの書法を無視して読むと、だいたい次のような解釈になります。。。
女一般は、人を教えるようなものではない。なぜなら、イブが騙されたように、女というものはそれほど愚かで、男性より劣っている。しかも、男性がはじめに作られたから、男性のほうが偉いのだ。女が、慎み深くして、信仰をもっているなら、子供を産むことことができれば、救われるのだ。
と、いう風に読めませんか?  私も駆け出しのクリスチャンのころは、そう理解し、なんだかがっかりしました。江戸時代じゃあるまいし、子供を産んでこそ女性の値打ちがあるのか。。。女性には子供を産むことしか価値がないのかー、なんていう理解でした。
さて、今日もこんがらがった紐をほどいていきましょう。まずは、

★このみ言葉の背景

この手紙は、エペソにいるテモテに宛ててパウロが書いている。当時、エペソには、アルテミスという神が拝まれていた。そして、ダイアナという24の乳房を持つ女の神がおり、子宝、出産時に母子を守る神として信仰されていた。そして、女が男の起源であるとし、女は偉いという考えがあった。神殿娼婦たちがおり、魔術やシーザー礼拝も盛んであった。政治と教育の中心であった。
また、オカルトで栄えていた町であり、パウロが福音を伝え、多くの改宗者がおこったので、町の経済が立ち行かなくなったことは使途の働きでも読み取れる。
エペソ教会の開拓した創始者は、ブリスキラという女性であった。ですから、少し考えれば、パウロが女性に対して教えるなということは、あまりにも不自然なことです。

★書法 ミニキアズム

ここで、また大切な文書構成を見てみたいと思います。先週話した、キアズマ書法がここでも用いられています。

All → Men → Woman ( 女性一般・一人の女・女性一般 )
V1-7 8   9-10 11-15a 15b
All human men women ( women / a woman / women (they) )

と、このように目的語が変化していっている。A woman というのは、ある特定の人をさして言っているのである。

★パウロの要点は

全ての人に祈って欲しい。目的は、全ての人が救われるように。。。男性に祈って欲しいし、女性にも同じように祈って欲しい。両方とも神にあって聖い方法によって、男性は、聖くあり、怒らずに。女性は、謙遜に、礼節をもって祈ることを教えている。


★女性に関してミニキアズムの中身v9-15を 詳しく見てみましょう

V9 Likewise 同じように  

というのは、パウロは、男性が、争いや怒りを捨ててどこでも手をあげて祈るように、女性も以下のことを捨てて祈りなさいという意味です。パウロは、祈りなさいという言葉を女性のところでは省略して書いています。

V9,10 髪を編んだり、おしゃれをすることは悪いこと?

私はこの箇所に従って、ずっと神学生のときから地味な格好をしていました。あるとき、教会の姉妹から、「お願いだから、もう少し、おしゃれして、先生。。。」と言われました。パウロは、おしゃれ禁止と言っているのでしょうか。

当時のエペソの文化では、女性が自分の身を飾りたてることは、性的な乱れを象徴しているものでした。当時、着飾っている妻を見ると、あの人は、不倫をしているのだと思われたそうです。そういう背景から、パウロは、霊的な、内面的な姿を行いによって飾ることを勧めているのです。

真珠は、ローマの時代最も優れた宝石と思われていました。ですから、真珠を身につけることは、装飾の極みとされました。

V11-15a  特定の女を指して、あの女に教えさせるな

当時、間違った教えをする偽教師たちがはびこっていました。そして、その異端的な教えをしているリーダーの中の一人にこの女性がいました。また、当時は、女性は教育や学問、宗教教育もきちんと受けて来られなかった背景を受けて、パウロが一番に言った言葉が、この女は、きちんと習うことと、神・教会に従うことを学ぶべきだと言っています。

この言い方は、女性に対してだからin silence and full submission という言葉を使っているのではなく、しばしばラビに習うときや、宗教的な学びをするときは、男性に対しても一般的に使われていた言い回しです。

V13 ですから、この女に教えさせてはいけない。黙らせなさい。

思い出してください。エペソでは、アルテミスを信じているという文化的背景から、女性は男性の起源であるという考えがありました。

V12 の、私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しませんauthority over a man? は、ギリシャ語では、 “authentein”が使われていて、 ….. 英語でいうオーソリティではありません。
Proper translation would be ; “I do not allow a woman to teach nor to proclaim herself author of man” ですから、正しい翻訳は、「私は、この女が自分こそが男の起源であるという教えをすることを許しません。」となります。

○そして、パウロは、人間がどのように創造されたかを説明するに至り、それから、この女性は、偽りの教えに騙されている者として、同じく騙された初めの人エバの話が出てきています。

V13-14 男性がはじめに蛇に騙されなかったらえらいと言っているのではない。男性は、自分の意志で罪を犯したのですが。。。(どちらがえらい、悪いかという考え方は、男女間の競争の考え方です) 女が男性の起源だからとして威張るのではない、ということ。これも、文化的に、女性の神を信仰していた地域ならではのことです。そして、男性も女性も罪を犯したけれども、みな、キリストへの信仰によって、みな救われることができるのだ。と言っている。

○子を産むことによって救われる?? The Childbearing

① V15 The Childbearing あの出産

Saved はSozo です。キリストによる全人格的な救いです。それは、初め人アダムとエバから罪が入ったけれども、あの出産によってみんな救われることができるというのです。あの出産というのは、キリストの誕生です。キリストがこの世に生まれ、罪の贖いをしてくださったからこそ、私たちは救われるのです。

② また、当時のエペソの背景から。。。

V15 今までは、エペソの人たちは、Greek goddess Artemis / a rulership of woman/ a god of fertilityに子供を産むときに母子ともに死なないように祈っていた。しかし、クリスチャンたちは、キリストにあって、罪からの呪いである全てのことから守られ、子供を産むという危険においても死から救われる。といういみ。である、とも解釈できる。

私は、①のほうがすんなり文脈にあうと思います。

<まとめ>

パウロは、すべての人が救われることが神の心であることを説きながら、救われた私たちの務めである祈りについて、男性にも、女性にも祈ることを教えています。またその中で、キアズム処方を用いて、当時エペソ教会の問題であった間違った教えをする女性の偽教師について、この女性に学びをさせなければならないことを言及し、きちんと教えを受けるまで黙っているように指導しました。


#Bible #クリスチャン #教会 #礼拝メッセージ #聖書

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One Heart シリーズ男女 ④; 聖書の解釈

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One Heart シリーズ男...
2016年7月10日日曜日礼拝youtube https://youtu.be/0AjhfjyKZec

2. 1Corinthiansコリント14:26-40
Should women keep silent? 女は教会では黙っていなければならない?

兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。27 もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしないさい。28 もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。30 もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことでき、すべての人が勧めを受けることができるのです。32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。35 もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。37 自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。38 もしそれを認めないなら、その人は認められません。39 それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。

◎この手紙でパウロの伝えんとしている心 

ここ数か月コリント人への手紙で見てきたことのおさらいをしてみましょう。聖霊の賜物についても私たちは、学んできました。それも、コリント人への手紙でしたね。目的は、皆が奉仕するため。教会を建て上げるため。互いに、励ましあい、尊敬しあい、愛し合うこと。そして、教会はキリストの体ですから、それぞれがそれぞれのパートを担うこと。先週の11章では、男女共に主の前に立って、礼拝し、奉仕し、祈りや預言の奉仕をすることをパウロは励ましていましたね。ただ、預言をするときの身なりについて、きっちりとラインを引きました。それは、文化的な背景があったからです。今週は、13章の愛の章につづいて、14章になります。パウロのメッセージはなんでしょうか。

◎よりよく聖書を理解するために 文章の構成と文法について

 交差的文書構成 キアズマ形式 Chiasms

パウロは、Chiasms という次のような書法を好んで使いました。当時、ギリシャ、ローマ、ユダヤの作家たちもパウロのようにこれを好んで使いました。
スライドに見れるように、鏡のように、同じ課題についてA1 B1 C1 C2 B2 A2 という風に書いて行くという書法です。ちょうど人間の手を広げた形のようです。頭の部分に要点が書かれています。この個所では、要点は、★で示しましたが、26, 33, 40節に書かれてあります。すなわち、

26 兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように

33 For God is not the author of confusion but of peace, as in all the churches of the saints.
(ここは、英語と日本語とでは、意味が違いますね。あとでなぜかを説明しますね。)

40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。40 Let all things be done decently and in order.

パウロは、男女すべての人が、人々の徳を高めるために、みんなそれぞれ奉仕しなさい。けれども、それには、きちっと適切に秩序をもってするのですよ。ということを言っているのです。
そして、教会の礼拝の中で、その秩序を保つのが難しかった事柄が三つありました。それは、異言、預言、女性についてでした。

そして、その三つの事柄に関して、パウロは、同じギリシャ語の単語を使って矯正しています。それは、Be silent という言葉です。黙っていなさいということです。

異言に関しても、教会内の秩序に従って黙るべき時は、黙りなさい。そして、預言に関しても、秩序に従って黙るべき人は黙りなさい。そして、女性たち、後に説明しますが、文化的な背景と状態から、秩序に従って黙るべきをパウロは主張しています。

ここで、翻訳におけるエラーがあります。私たちギリシャ語の素人にはわかりえないことですから、今まで受け売りでそのまま読んだり教えを受けたりしてきました。

NIVの翻訳は、女性のところだけを黙りなさいと訳し三つをバラバラの単語で訳しています。日本語は、三つとも同じです。聖書は、エリックの大好きなKJVがやはりいいのかなと思わざるを得ません。(余談) 

◎ギリシャ語の文法と翻訳の間違い

句読点…当時のギリシャ語には、句読点がありませんでした。ですから、訳した人は、自分の想像で句読点を入れながら訳していったわけです。そして、先ほど読んだ通り、33節では、英語NKJVと日本語の訳の意味が違っていましたね。句読点の在り方次第で、聖徒たちのすべての教会で、女が黙ってないといけないのか、聖徒たちのすべての教会で、神が混乱の神でなく、平和の神なのかという全く違うメッセージとなってしまうのです。

33それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように 33 For God is not the author of confusion but of peace, as in all the churches of the saints.

引用句…ギリシャ語 エイ は、今でいうクオーテーションマーク、日本語ではカギかっことして使われていました。しかし、今のクオーテーションマークのように、鍵かっこが引用句のはじめと終わりについてるわけではなく、エイという一文字がついているだけです。それで、Ⅰコリントだけでも、49回も出てくるので、学者たちは、頭を抱えたようです。

そして、またこの小さい単語は、感情を表すものとしても使われたようですからややこしい。意味は、ナンセンス! 何だって!? 断じて違う! Nonsense! What!? No way! という意味だそうです。

で、今日読んだ個所の特に、36 節にも、この単語が使われているのですが、残念ながら、日本語訳にこの単語の意味は反映されていません。

しかし、興味深いことに、エイを入れて訳すと次のようになります。

V36 Nonsense! Did the word of God originate with you? What? Are you the only people it has reached? くだらない! 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。何だって? あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。となります。

(KJV では訳されているが、NIVでは省かれている。日本語でも省かれている。)

というのは、教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。for it is shameful for women to speak in church
ということに対して、パウロが反応して、ノンセンスだ、と言っているのです。

そして当時、教育も、宗教参加も長い間許されていなかった女性たちに教会の中でしょっちゅうしょっちゅう大きな声で質問しなくてもいいように、教育を受けている主人が責任をもって妻を教えておくべきだということを言っているのです。

◎女性は黙っていなければならない?

さて、教会の礼拝の秩序を乱す三つの事柄の一つが女性の問題でした。先ほどはなしたように、当時女性は、学問も宗教教育もなかったのですから、質問だらけでした。また、当時は、まだユダヤ教からキリスト教への移行期で、ユダヤ教のなごりが残っていたので、男性と女性は、それぞれに別れて座っていました。ですから、何か、わからないことがあると、妻たちは、夫に礼拝中に「なんて? どういう意味?」と分からないことがあったら聞いていたようなのです。けれども、これでは、礼拝中にやかましくて仕方がありません。ですから、パウロは、その場で聞くのではなくて、後で家で夫に聞きましょう。また夫は、きちんと家で今まで教育のなかった妻を教えましょうということを言っているのです。

というのも、神様というのは、教会において、秩序と平和の神だからです。という、句読点のところで説明した、メッセージに繋がります。ですから、どこの教会でも、女性は、黙ってるべきだ、という解釈の仕方は間違いなのです。

また、もう一つは、コリントの文化的な背景で、アフロデなどの異教の神々を信じていた女たちは、当時の風習は、金切り声をあげて叫ぶことを通して女たちは、宗教行事に参加したそうです。秩序はなく、いつも騒音と混乱の中で儀式が行われたのですから、そのなごりで、キリスト教においてもそのやり方を持ち込む女たちがいたのです。Ululation パウロは、新しい改宗者の女たちに向かって静かに、秩序に従ってということを話しています。

◎夫に服従?

34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。34 Let your women keep silent in the churches, for they are not permitted to speak; but they are to be submissive, as the law also says

この個所も、間違ってよく理解されているみ言葉ですが、服従しなさいという言葉に、誰に? 何に? という目的語が欠けています。これは、珍しいことです。で、人々は、その次にくる聖句に夫が出てくるので、妻は夫に服従するのか。と勝手に理解するのですが、この文脈から言えば教会にと考えるのが一番自然だと思います。それか、もう一句さかのぼって、33節の秩序の神に服従するのが自然です。そのような姿勢で礼拝を持ちましょう。我先に、私のニードを一番にという態度ではなく、慎み深い態度で神様におゆだねする態度を持ちましょう。ということです。

<まとめ>  ギリシャ語や文法や書法など難しいことを言いましたが、とにかく、このコリント14章は、ことさらに女性を非難している章ではなく、礼拝の秩序について語っていることを理解できたと思います。要点は、秩序をもって神様の霊に従った礼拝、人々を建て上げるような礼拝が望ましいということです。


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独立記念日のピクニック

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七月四日はアメリカ独立記念日で... 七月四日はアメリカ独立記念日でお休み。毎年教会では、ピクニックに行きます。
なんと、ブログル仲間さんの、reireiさんが来てくれました!
嬉しいーー
皆で、ポットラックとBBQを楽... 皆で、ポットラックとBBQを楽しみます。 エリックも学生さんたちと楽しく... エリックも学生さんたちと楽しくしました。
また、新しい方々もたくさん来られて、日本人教会は総勢45人になりました。
ホライズン教会全体のピクニックですから、英語、ヒスパニック教会もみーーんなで楽しみます。
子供たちも、ママたちも、留学生... 子供たちも、ママたちも、留学生さんたちも、わいわい、がやがや。。。こらーー、BBQの火で遊んじゃだめーーーってわんぱくボーイズを追いかけまわす一コマも。。。。。たはは。。。 手作り温水プールをど真ん中につ... 手作り温水プールをど真ん中につくり、子供たちは、ぴちょびちょ水遊び。。。しかし、天候に恵まれず、さむいさむい。。。暖をとりながらの水遊びになりました。 これ、みんな、手作りです。ヘイ... これ、みんな、手作りです。ヘイを積み重ねて、巨大ビニールシートで囲いました。すごいアイディア! ちぇりーちゃんも、寒い寒いと言... ちぇりーちゃんも、寒い寒いと言いながら、遊びました。 しょうたくん、図らずも、BBQ... しょうたくん、図らずも、BBQ奉行のポジションに。。。助かったわーー。焼き焼きしてくれて。。。二日後に日本に帰るYさんも、最後の思い出となり、楽しく出来ました。

独立記念日と言えば、皆でBBQのアメリカです。

この日の前日は、教会のお昼の用意にとCostco に行ったんですが、欲しいものがない。。。。

そして、大量のバンズに、ホットドッグに、いかにもBBQ仕様なものが並んでいました。

うう。。。。そうだよね。七月四日の前日に来るほうが間違ってるよ。

と、がっかり。駐車場もとーーーーくまで、探さないと見つからず。。。。

どっと疲れた独立記念日前日でした。

が、ピクニックは大盛況。

初めて来た方々もとても楽しまれて、たくさんの方とお話しされて、また、何かの時きまーーすと帰られました。よかったよかった。

#fun #picnic #教会

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