みんなが想像する以上に甘いものではない。 福島第一原発の現場は、今日もギリギリのところで戦っている。 やっと電源の回復が進んではいるが、ここから先の作業は強力な放射線下でのものとなる。 正直、これほど破壊された建物の中で、まだ原子炉が遮蔽物として機能し続けるとは思っていなかった。 作業者の被ばく線量も発表されているが、それを分かったうえでその場所に立てる使命感に頭が下がる。 現地の懸命の作業のおかげで、今日の戦いは優勢にみえる。 長期的な影響を懸念されるニュースも出始めた。 野菜や牛乳は当然ながら汚染される。 数回の摂取では問題ないと言うが、食品とは毎日口にするものである。 僕ならば、その野菜を食べない。 政府は直ちに当面の出荷停止を決定し、国内の食品の安心と、日本製品の国際的な信頼を確保すべきである。 まずは放射能漏れを確実に止め、そのあと充分に調査を行い、その結果に基づく発表を行わなければ、政府の発表を信じる者はだれも居なくなる。
隠れ家を久しぶりに片づけてみた。 この風景だよなこの場所は。 脱、スーパーの袋。 生活感のかけらは、僕には要らない。 エコと言う言葉がはやった数年前、僕はエコの正体を書き続けた。 http://jp.bloguru.com/furyou/b244549911/2009-11-12 http://jp.bloguru.com/furyou/b146560412/2008-08-28 関東の緊急時には、個人の節電努力も実を結ぶ。 しかし、エコを語るならば、個人の努力よりも社会の仕組みが重要なのだ。 エコは人々を動かす社会の仕組み作りそのものなのだ。 津波が人々の価値観を変えたように、今しかできない事がある。 それが成し遂げられたとき、僕は本物の不良になれる。 エコ社会で、1969年式の9.4リッターのコルベットを、世間の白い眼の中で転がす異端になることができる。
温度管理はどんなものでも必要だ。 原子炉を憂いながら、今日も温度の確認に大忙しだ。 華氏38度で保管されたDom Perignonをオーダーする。 僕が飲むのなら1953年物なのだが、今夜はこのシケたボトルで我慢しよう。 ・・・といきがってみたものの、「あれ@@? 美味いね。。。」と本音がもれる。 まあ、たまにはシケた酒も悪くない。(lie) 僕は醸造アルコールにめっぽう弱く(断じて味はわかるのだが・・・)、この後は新地でべろんべろんで、眠り落ちる寸前で命からがら帰宅したなり。さらに、この酒は誰かのおごりだったと、うっすら記憶している。アタマいて。。。
環境を維持させながら、経済のレベルを確保する。 それが僕の「豊かな小国日本」という発想である。 世界の人口全てが、豊かに暮らしたのでは、地球環境は維持できない。 だから、人間の数を1/3にする。 それでも豊かな国があるのだという事を、世界に知らしめるのが日本の役割と考えてきた。 その為の日本の切り札が「原子力」だ。 日本はあたかも石油産出国のように豊かで、かつ高度なITを駆使して高効率な社会を形成できるという構想だ。 それを実現させるために、ボトルネックとなっていた高レベル放射性廃棄物を安全投棄する事が可能な「国」を日本国内に作ろうともしてきた。 それは、環境問題をクリアさせながら豊かに暮らす、非常に高度なバランスの上に成立する計画だ。 いや、僕の考えは、今や「だった」と表現すべきだろう。 ここ数日間の出来事は、全ての価値観を覆し、我欲を洗い落とす、まさに天罰のような出来事である。 資本主義の世界では「大きい事が偉い」わけである。 我々はもっと豊かに、もっと豊かになろうと、頑張ってきた。 業務は高効率化され、高度なコンピュータシステムなしでは競争に勝てない時代へと激変した。 街には、24時間明かりのついた店に全国から集められた商品が並び、我々はその中から幾つかだけを選択する。 夏は皆がエアコンを使い、排熱が街にあふれ、窓を開ける者はいない。 冬は「こたつ」で耐えていた地方でさえも、今や部屋中を暖めている。 本当に必要な商品の3倍〜10倍の物を生産し、エネルギーと資源を無駄にしても当然な社会。 そんな社会を我々は作ってきた。 さて、時間軸を昭和に戻してみると、そこにこれからのヒントがある。 共働きなんてしなくても食べていける。 夕食の買い物は夕方。24時間のコンビニなんてない。 明るくなったら起きて、夜は寝る。 夏には窓を開ければ、気持ちの良い風が入る。 旅行に行けば、そこでしか食べれないものに舌つづみを打つ。 ・・・この方が楽しくないか? エネルギー依存社会をやめる。 良いかもしれない。 これから、新しい形の昭和や江戸をみんなで考えないか? 方向性を持たない借金まみれの政治をやめさせて、何を理想とするかを明確にした国家はできないものだろうか? 原子力がダメなら、森林を伐採して「バイオ」だとか言う輩には、やはり天罰を!
僕には分る。 戦場のような福島第1原発の現場が。 どんどん失われる対応策、選択肢。 さあ、どうする? 人類の知恵を結集しなくてはいけない。 何かできる事があるはずだ。 決死の作業だが、ここからは短時間で作業者を交代させるしかない。 原子力安全委員会、原子力委員会、東京電力などに、作業の志願をしました。 なに、母親より少しだけ長生きできればそれでいい。 「チャイナ・シンドローム」そんな言葉が昔あった。 そんな事になってほしくないが、涙が止まらない。
3月に入り、全国で「不要不急の道路工事」が始まった事と思う。 一時期は減る傾向にあったが、自民党政権末期・民主党政権になって、この傾向はまた酷くなった。 この無駄な工事をすぐにSTOPし、災害復興に寄付できないのだろうか? 僕らから搾り取った税金を、無駄に使ってもらいたくない! 「XX県より義捐金x億円です。この義捐金で災害復興工事をする場合は、ぜひ当県の業者をご指名ください」とすれば、全員の顔が立つ。
停電にならなかったと言って、怒り狂っている人がいる。 計画停電とはいっても、電力が停止されるだけで危険になる命もある。 電力会社は、可能であれば計画の直前でも電力を供給したい。 計画停電というアナウンスは「電気が止まっても、止まらなくても文句を言うな」という事だと理解しよう。 当初対象地域とされていた東京都武蔵野市の20代女性は「昨夜(13日夜)、市の広報車が輪番停電についてアナウンスしていたのに…」と混乱した様子。「朝(14日)から市の広報車が辺りをスピーカーを鳴らして走り回っているけど、何を言っているのか聞き取れない」と話す。「いったいどうなっているのか、家族も憤っている。結果的にはよかったのかもしれないが、心構えをしていたので拍子抜けした。二転三転ぶりには、怒りを通り越して、呆れてしまう」と語った。