日本の木造建築は、すばらしい。単なる素材ではなく木々の命を見せている。
とりわけ寺社建造物を手掛ける”宮大工”の職人技は、冠たるものがあり誇らしい。
技を活かす原動力源が、道具群。鑿・鉋・鋸等々、みな日本独自の鍛冶職人の技。
それら道具を駆使する大工さんは、魔術師のようにみえる。棟梁は、神だ。
道具、取分け刃物の切れ味は怖しい程に鋭い。地元鎌倉にも伝統ある刀工房がある。
生活具も作っておられ、包丁や鋏は、百年近く使っていても益々元気!!
現代の使い捨ての真逆をいっている。我が孫にも是非に使い続けてほしい。
この小正月に長男が、裁ちばさみと包丁を使うと言って引き取りにきた。
長男の仲間に砥ぎ師がいるから、と。ついでに鰹節削り器の刃も依頼!!
全部、子供に使ってほしく思って出しておいた(孫まで繋げるか)。
鰹節削り器の箱本体、鉋の鉋台部分共にかなり痛んでおり今は使っていない。
母は、鰹節削りを愛用していた。父が新潟で鉋職人から入手した物に由。
取に来た長男が、鉋の刃を見て驚いていた。刃を作った職人を知っていると!!
新潟県長岡市の与板打刃物・伝統工芸士、名工と謳われた碓氷健吾作だとか。
故人で面識はないというが、お弟子さんの船津祐司氏(鉋鍛冶)から聞いていると。
また、国立民族学博物館(大阪)映像資料「鉋づくり」も見たといっていた。
そんな職人さんの刃がなして我が家に??不思議だがご縁があったとしよう。
新潟県三条市には、鰹節削り器の心臓部を作っている所もある由。
鉋(かんな)の木部「鉋台(かんなだい)」だけを作り続けているとは驚きだ。
刃を作る鍛冶屋、鉋台を作るのは台屋と呼ばれている由。知らなかった!!
鉋で思い出すのは、槍鉋。往古の木造建築物表面加工!!に使われていた由。
法隆寺宮大工、故西岡常一棟梁によって蘇った槍鉋と技巧。まさに温故知新。
日本の木造建築技巧をもっと取り入れるべきではないか。世界に誇り得るものだ。
昔、歴史的風土を考える市民団体が鎌倉にあった(全国歴史的風土保存連盟)。
今の時代に今一度、和の風土感を考えてみるのも一考か、と思ってやまない。
「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」