物心付いた頃、我が家の12月は色々忙しい月だった、次年の準備で。。。?
お酉さまで得た“だるまと熊手”、神棚の掃除は子供には結構大変なことだった。
和洋折衷とでも言えようか??12月も中旬以降は、Christmas一色だった。
当時は、分かっていなかった“歴史・・敗戦国日本”生活環境の現実。
無邪気に・・クリスマス・クリスマスってはしゃいでいた!!
其れはそれで、僕の人生の中では良かった。欧米文化に触れて、否、米国文化か。
クリスチャン・日曜学校・服飾文化、而して英語圏文化(米国・英国)。
高校1年の数ヶ月、スコットランド・グラスゴーに滞在した。
英語と米語の違いを知ったのは、今にしては凄い経験だった。
半世紀前の横浜は、今で言う異国情緒とは違って米国文化一色だった気がする。
大桟橋入り口からの山下公園付近は、當に米国の風情そのものだった。
今の横浜球場公園にあったチャペルセンター、そこの聖歌隊に参加させて貰っていた。
又、今は埋め立てられたが、小港に横浜ヨットクラブ(YYC)もあった(米国人主体)。
そこの会員だった知り合いにChristmasパーティーに招待された事があった。
その時知った、ドレスコード・Black-tie。横浜・横須賀駐留軍(米軍)基地は感慨深い。
歴史を真摯に思える様になった今。爺になってわかったこと。我は、日本人!!
Christmasも良いが、もっと“冬至・・一陽来復”を孫達に知らしめたい。
「令和肆年(皇紀2682年)12月25日、記」