《襍・/・囈“叛逆のろれつ;報道??”❖’22-82》

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憲政史に残る、弔意文だろう。故前総理への後継総理の弔意文。
安倍晋三総理、そして官房長官であった二人三脚は、凄かった!!


身近な土手に咲く、白曼珠沙華。故安倍晋三元首相の如く繊細だ。




《“感動”菅義偉前首相の弔辞❖’22/09/27》
9月27日に営まれた安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)に際して感じたこと。
NHKの報道番組に呆れる以上に怒りを覚え、而して日本人として恥ずかしかった。
NHKは、受信料を徴収する放送局だ。公平な事実放送のはずが、偏向してる!?!
異国の友は、ネット報道で色々と知ったと逆に教えてくれた。如何ともし難い。
国葬儀に際して、一般献花の場に長蛇の列が長時間にわたって続いた、と。
友達からの連絡、画像を観て嬉しかった。献花者に若者が多かった、事!!。
9/28朝の地上波局番組の一つを見ると、葬儀批判が前提で報じているように映った。
批判は自由だ。が、葬儀会場近くでの小さな反対デモを大きく報道するがよしか?
日頃TV番組を見ない僕だが、聞き及ぶメディアの偏向ぶりを実感し、腹立たしく思った。
語っておられる方々は、さぞ高名な方々なのだろう。上から目線で客観的でない??
今回の国葬儀、吉田首相の時とは、諸々置かれた環境が違うだろうに。
後期高齢者年代、且つ70年安保を体験し勉強をもしたつもりの者として言いたい。
この30年余り静観的に事象を見聞してきたが、安倍晋三元首相の行動に畏敬の念を持つ。
国葬儀の最初に映し出された映像は、安倍総理の足跡・人柄そのものだろう。
日本国民への遺言にも見える。直近の課題提示でもあり国民に向かっての提示と思えた。
その基を、菅義偉前首相は友人代表として追悼の辞で示しておられた、と思う。
菅さんは、安倍さんとの出会いや第2次安倍政権時代の日々を振り返り、
「あらゆる苦楽を共にした(第2次安倍政権での)7年8カ月。
私は本当に幸せでした」と述べられた。未来に向かって進まれたお二人に敬意を表したい。
菅さんの追悼の辞の後、大方の会葬者自身の気持ちが、“拍手”であったと思う。
場違い、と批評すべきではないだろう。“拍手”を演出と宣った輩の非礼は目に余る。
演出と発言した、TV朝日の社員が今朝の番組で訂正謝罪した由。
この玉川徹なる人物、番組を使って言いたい放題、と家人から聞いた。
一コメンテーターなら個人の責任で済むが、TV朝日の社員、それもベテランの??
玉川徹なる人物のここ数年のコメントを調べてみるといい加減さ独断・偏見が多々あった。
正確な事実に基づく取材の発露に乖離する発言、地上波TV全体が歪んでいるとも思える。
野党の政治家にして然り。事実・公平の上にたって主張をして頂きたい。
リベラル派とか謳ってネットでコメントしてる面々、他人に厳しく、己にやさしい??
近々国会が開かれるが、不毛だった、もり・かけ議論を再度、旧統一教会問題でやらないで頂きたい。


僕自身、己の忘備録として、菅氏の追悼の辞の全文を記録しておきたい。



※   ※   ※   ※   ※   ※   ※



《◇7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。
その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、最後の一瞬、
接することができました。あの運命の日から、80日がたってしまいました。
あれからも朝は来て、日は暮れていきます。
やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、
生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。
悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、
たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが少なくないようです。
明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これがあなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。
いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、
歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。
平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが、
「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、
自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。
この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。
そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。
それが使命だと思ったからです。3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。
私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。
総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。
今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとと蘇ってまいります。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、
私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、
どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると勢いを失う。
前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、
特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、
すべて成立をさせることができました。どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。
国難を突破し、強い日本を創る。
そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。
そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。
いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。
私だけではなくすべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした。
衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。
岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、
故人をしのんで詠んだ歌でありました。
総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
深い悲しみと寂しさを覚えます。
総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
令和4年9月27日 前内閣総理大臣 菅義偉》


「令和肆年(皇紀2682年)9月29日、記」

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