藤沢市に打戻(うちもどり)と云う地がある。周辺は、田園地帯だ。
現代の地勢・治世的に見るとしっかりと郊外・緑ある田園農地と感じる。
すぐ近くに大学があったりと最近注目されてる地域でもある。
往古の日本の原風景も感じられる地域だ。“鎮守の森”の風情も感じ取れる。
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宇都母知神社(うつもち)は、『日本総風土記』によると、
495年(雄略3年)に祭祀が行われたことが記されている(創建年は不詳)。
1290年(正応3年)、九代執権北条貞時が社殿を改築。
1627年(寛永4年)には、領主高木主水が社地九百坪を寄進し本殿を改築。
1923年(大正12年)関東大震災によって社殿等全部が崩壊した。
3年後の1926年(大正15年)には現在の姿に復旧された。
(※震災当時の建物は、1858年(安政5年)に建築されたもの)
祭神;
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)
若日下部命(わかくさかべのみこと)
宮鐘・・宇都母知神社銅鐘は、第二次世界大戦中の物資回収によって献納。
現在の銅鐘は、1975年(昭和50年)、天皇在位50年を記念して鋳造された。
※ 延喜式内相模十三社 ※
(大社一座・寒川神社、 小社十二座:大山阿夫利神社他、近間では深見神社)
「延喜式」とは、927年(延長5年)醍醐天皇の時代に編纂され、
967年(康保4年)、冷泉天皇の時代に施行された法典。
藤原時平が編纂着手したのが905年(延喜5年)で「延喜式」と呼ばれている。
「延喜式」は五十巻から成り、巻一から巻十までが「神祇・祭祇」に関する規定で、
巻九と巻十が「神名帳」となり、ここに登載されている神社を「延喜式内社」と呼ぶ。
神社等社寺は、其々存在・歴史の流れの中で日本の治世文化が見えてくる。
ここ宇都母知神社は、相模の国十三社のひとつ。今は農耕知で野菜生産地だ。
以前は、養蚕の神として崇められており、「神明様」と呼ばれている。
地区名である打戻は、この寺社の名の宇都母知から転称されたという説もある。
地名の由来等も思うと楽しい。
「令和肆年(皇紀2682年)1月12日、記」