9月
19日,
2006年
天・・・陽!?!
何所でも見られる天空・・・陽の明かり。
画像の光景を見ていて、先日あった裁判の結末を思っていた。
オーム真理教麻原彰晃の裁判の事を。
『テクノロジーの狂気』そして宗教。
『』の言葉は、
西暦1900年生まれで2002年3月13日に永眠された、
哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマー、享年102歳・・
が最後に世人に語った言葉である。あの9・11事件直後に語った老哲学者の困惑、
『暴力にまでなった「宗教」・・・と。
師は、「如何にすれば理性的未来を構築できる」と、苦悩を見せていた。。。
その上で、「死」が何を意味するのか、、、
「暴力」がウィーンの城門の前に立ちはだかった
(オスマン・トルコ帝国による1529年、1568年の第一次、第二次ウィーン包囲、
また1683年のトルコ軍によるウィーン包囲等を指す)などの歴史上の事実・・に重複させ、
「恐ろしく長い間絶えて無かったことを思うと本当に不気味に感じられてきます。」
「共通感覚」「他者の思考」「他者の理解」』等を語っておられた。。20世紀を代表する一人の哲学者の言を思いながら、
9・11事件以前に日本に存在した事件「オーム事件」も忘れてはなるまい。
宗教の存在が、我々の生活に如何なる力を呼び起こしているのだろう??か。
宗教は「何をなしうるか」、凡人の己には分からない。
「テクノロジーの狂気」、宗教の恐ろしさを「オーム真理教」等の新興宗教に見る。
科学技術を用い、「詭弁」「妄想」、言葉巧みに言いたい放題。
「オウム事件」を空洞化させてはいけない。
その他の怪しげな宗教団体も含めて、
罪と罰、倫理と行為規範を裁判の中で深く審理して欲しかった。
オーム事件の首謀者に断罪がくだったが、中味の全くない事実に対する結論が出ただけだ。
人が人を裁く、そこには「審理」と言う客観的整合性がなくてはいけない。
「裁判・訴訟制度」の根幹をなす、
「検証」が疎かにされ、法廷技術(訴訟技術)
つまりは、形だけの訴訟が先行して、裁かれる加害者、
そして救済されるべき被害者の存在を充分に検証していない、
蔑ろにしている。
同時に、言論・行政・政治、それを動かし携わっている人々にも危惧感を持つ。
真摯に分析、対策を講ずるべき、と・・・
新たに日本を動かす首相が決まる時、
英知を結集して、
平和な日本を築いて欲しく希して止まない。
ワオ!と言っているユーザー